竹成大日堂の2躰の大日如来像
15世紀後半につくられた像
住所
菰野町竹成2070
訪問日
2018年3月11日
この仏像の姿は(外部リンク)
三重県教育委員会・みんなで、守ろう!活かそう!文化財・情報データベース
拝観までの道
JR四日市駅か近鉄四日市駅より福王山行き三重交通バスに乗車し、「竹成」下車、北へすぐ。バスの本数は2時間に1本といったところ。
2躰の大日如来像をまつる大日堂は、松樹院という名前のお寺であるらしいが、無住。事前予約で開扉。
毎日曜日は老人会の方が交替で詰めており、予約なしで拝観できる。
問い合わせ先は菰野町竹成観光協会。
拝観料
拝観料等の設定は特になかった。
お寺や仏像のいわれなど
もとは大日寺というお寺があったというが、早く廃絶してしまい、江戸時代には小さなお堂が残るのみとなっていた。
2躰の大日如来像が奇跡的に今日まで伝来し、地区で管理を行っている。
拝観の環境
堂内、近くよりよく拝観させていただけた。
仏像の印象
2躰の大日如来像はほぼ同じ約1メートルの像高。印相から、向かって右が胎蔵界の大日如来、左が金剛界の大日如来とわかるが、互いにとてもよく似た姿をしている。それにしても2躰の大日如来像を並べて本尊とするというのは珍しいように思う。
像内に銘文があり、仏師名は不明だが、金剛界像は1479年、胎蔵界像はその2年後に善通聖阿弥陀仏の発願によってつくられたことがわかる。
材質は寄木造で、樹種はヒノキ。玉眼。体幹部は4材を寄せているそうで、伝統的なつくりを守っての造像といえるだろう。
像はほぼ素地をあらわし、清楚な雰囲気である。体に奥行きがあり、姿勢がよい。まげを高く結い、すっきりとした目鼻立ちが目を引く。ほおや体の肉付きの凹凸をあまり強調することなく、おだやかなつくりである。
その他
お堂の前の小山には、石造の五百羅漢像が置かれている。江戸時代末期、19世紀なかばの作。この地で生まれた照空上人が発願し、15年をかけて完成したものだそうだ。
さらに知りたい時は…
『三重県史 別編 美術工芸 解説編』、三重県、2014年