田宮寺の2躰の十一面観音像
年2回、2月18日と8月9日に開扉
住所
玉城町田宮寺322
訪問日
2009年8月9日
この仏像の姿(外部リンク)
玉城町・フォトギャラリー(歴史)
拝観までの道
田宮寺はJR参宮線の田丸駅から西南に徒歩35分から40分。
駅前にタクシー会社がある。
本尊は2躰の十一面観音像。秘仏。開帳は年2回で、2月18日(初観音)と8月9日(夏祭り)。
問い合わせ先は玉城町産業振興課。
拝観料
志納
お寺のいわれ
このお寺は伊勢神宮内宮の神主の長であった荒木田氏の氏寺として、平安中期に創建されたと伝える。伊勢神宮法楽寺とも称した。歴代住職は荒木田氏によって真言宗僧侶が任命されてきたという。
その後、室町時代の火災と信長による兵火にあいながらも、江戸時代には復興を遂げ、紀州藩の信仰も厚かった。
しかし、近代初期の神仏分離によって壊滅的な打撃を受ける。この時におこった廃仏毀釈運動は特に伊勢では猛威を振るったことが知られるが、田宮寺も本堂、仁王門以下ことごとく破却され、かろうじて残された聖天堂に救い出した仏像をまつったのが今日の田宮寺である。
拝観の環境
堂内の奥に耐火式の収蔵庫が造り付けられていて、2躰の観音像はそこに安置されている。ご開帳の日にうかがうと、その扉口から拝観させていただける。照明もあり、間近からというわけにはいかないが、まずまずよく拝観できる。
仏像の印象
2躰の十一面観音像はともに立像で、像高もほぼ同じくらい(約170センチ)。一木造。一見ほとんど同じ姿で、右足を若干浮かし、腰を少しひねる。右手を下げ、左手に水瓶を持つ。
江戸中期の史料によれば、本堂本尊は2躰の十一面観音像とあるので、少なくとも近世には2躰そろって本尊とされていたことがわかるが、もともとセットとしてつくられたのかは不明である。
しかしつぶさに見ると、細部は異なってる。向って右の像はやや細身で、腰が引き締まっている。衣の線は形式化が進むとはいえ、しっかりとした襞(ひだ)が刻まれ、下肢は翻波式で、また両膝の間には渦巻きの文が見える。
向って左の像は顔はやや四角張って大きく、肩幅、胸、足にはボリューム感がある。やはり若干の時代の前後はあると思われる。
その他
奈良時代の例で、興福寺や西大寺には十一面観音像を2躰ならべてまつったことが記録にある。
さらに知りたい時は…
『三重県史 別編 美術工芸』、三重県、2014年
「秘仏巡礼」7(『大法輪』73巻6号)、白木利幸、2006年6月
「中勢地方の仏像」(『近畿文化』597)、赤川一博、1999年8月