常福寺の五大明王像
年間5日間の開帳
住所
伊賀市古郡559
訪問日
2017年1月2日
この仏像の姿は(外部リンク)
江寄山常福寺ホームページ
拝観までの道
近鉄大阪線または伊賀鉄道終点の伊賀神戸駅下車。北へ徒歩約20分。
駅の北で木津川を渡り(伊賀神戸大橋)、国道422号線に入りさらに北へ。郵便局(伊賀神戸局)を過ぎ、小さな橋を渡ると、お寺の看板が出ている。そこを右折(東へ)するとお寺の石段の前に着く。
本尊・五大明王像の開帳は、1月1日~3日と4月3日、8月18日の年間計5日間。
護摩焚きなど行事があるので、時間を問い合わせて行くとよい。
筆者は、事前に電話でお聞きしたところ1月2日の午後が比較的ゆったり拝観できるというお話だったので、その日にうかがわせていただいた。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれなど
奈良時代の創建と伝える。
戦国時代の戦乱で焼かれるが、江戸時代に復興され、現在に至る。
真言宗の寺院。
拝観の環境
五大明王像は本堂正面の大きな厨子内に揃って安置されている。すぐ前からよく拝観させていただけた。
中央に不動明王、向かって右手前が降三世明王、左が軍荼利明王、後ろ側に大威徳明王と金剛夜叉明王という通例の配置である。
大きな厨子だが、5躰の大きな像を納めているので、後ろの2躰は前の像や中央の不動明王の火焔光背のかげになってしまい、あまりよく見ることはできない。
仏像の印象
不動明王像像高約170センチの坐像。
太い巻き毛、太い眉が印象的で強い怒りをあらわすが、その一方で親しみを感じる表情でもある。平安時代半ばという時代があらわれているということであろう。
体勢は自然で、広くとった胸、あまり張らない肘、ほどよく肉がついた腹、まっすぐの姿勢、たいへんよく張った両膝と、とても安定感がある。
腕の一部を含んで一木でつくられているのは古様である。巻き毛で片目をすがめているのは空海がもたらしたいわゆる大師様の不動でなく、その後の図様によるもので、本像はそれが定型化する前の比較的古い姿のものとして注目される。
軍荼利明王、降三世明王は等身大の大きさ。ほぼ相称の体勢で、動きをあらわしつつも、全体として穏やかな作風であり、顔つきもあまりおそろしいものにはなっていない。
降三世明王が踏まえるヒンズー神夫妻は、夫のシバは頭を踏みつけながらも合掌し、妻のウマは片手で明王の右足を支える。ただ踏みつけられているのでなく、仏教に帰依し明王を支えているという姿であらわされている。
大威徳明王の乗っている牛は前足を折っている。
その他(古代・中世の五大明王像について)
古代、中世の彫刻で五大明王が揃っているのは、まず京都・東寺の講堂。日本最古の五大明王像であり、空海が直接構想した群像である。中央の不動明王の大きさは約170センチの坐像なので、等身大のおよそ倍のサイズである。
これに次ぐ時代のものとしては、松島・五大堂の像(秘仏)と京都・醍醐寺の像がある。また、平安後期から鎌倉前期のものとしては、京都・大覚寺に伝来する明円作の像と奈良・不退寺の像がある。これらは東寺の像に比べると1回りも2回りも小さい。
常福寺の五大明王像は平安前期彫刻の要素を引き継ぎ、平安後期へと向かって行く時期のものとして、貴重な作例である。スケールも東寺の像に匹敵する。
これほどの像を安置した古代寺院がどのようなものであったのか、手がかりがないのが残念である。
さらに知りたい時は…
『三重県史 別編 美術工芸』、三重県、2014年
『上野市史 文化財編』、上野市、2004年
『五大明王像』(『日本の美術』378)、中野玄三、至文堂、1997年11月
→ 仏像探訪記/三重県