勝因寺の虚空蔵菩薩像

1月13日と9月13日に開帳

住所
伊賀市山出1658


訪問日 
2025年1月13日

 


この仏像の姿は(外部リンク)
神社仏閣ご朱印めぐり 伊賀忍者回廊・勝因寺



拝観までの道
勝因寺(しょういんじ)は、名張駅前と伊賀上野駅前をつなぐ三重交通バスで「金坪」下車、東へ徒歩約10分。バスの便数はおよそ1時間に1本だが、土日祝日は少なくなる。

本尊の虚空蔵菩薩像は秘仏で、33年に1度の開帳。前回は2017年で、春に1週間程度の日程で行われ、稚児行列やコンサートなども開かれる賑やかなものだったそうだ。
しかし、勝因寺の場合、大きな開帳行事とは別に、毎年2度、1月13日と9月13日に本尊の開扉が行われている。本来は檀家向けのものであるが、一般も拝観できる。
時間は、はじめと終わりに開帳、閉帳の法要が行われるので、その間の時間帯ということになる。本堂内に受付があり、拝観料を納め、堂内で拝観できる。
筆者が訪れた2025年1月の開帳の際には、10時ごろから開帳の法要、15時前に閉帳の法要という時程だったが、時間についてはその時々により変わるようなので、できれば事前に問い合わせてうかがうとよい。


拝観料
1000円


お寺や仏像のいわれなど
真言宗寺院。
寺伝によると、唐より帰朝した空海が虚空蔵求聞持法を修するための場所を求めてこの地を訪れ、草庵を結び、自ら虚空蔵菩薩像を彫ってまつったことがはじまりという。
16世紀、伊賀へ侵攻した織田氏の軍勢によって多くの寺が戦火に巻き込まれ、勝因寺も焼かれてしまった。この時、人々は仏像を土に埋めたり、池に沈めたりして守ったという。
その後、勝因寺のある山出地区出身の修験者である小天狗清蔵(こてんぐせいぞう)が勝因寺をはじめ、伊賀及び周辺の国々の多くの社寺の復興に尽力した。

清蔵は晩年勝因寺に住み、ここで1632年に亡くなったそうだ。本堂内には木造の小天狗清蔵像が安置されており、自刻像と伝えられている。
なお、現在の勝因寺の本堂は戦後の再建で、鉄筋コンクリート造の近代的な建物である。


拝観の環境
本堂中央の厨子中に安置される。厨子は扉に二童子像らしき姿が描かれており、別の像の転用かと思われるが、本尊の虚空蔵菩薩像はその中にぴたりとおさまっている。
以前は厨子の前面に垂れものがあって、像がはっきりとは見えなかったそうだが、今はそうした幕はなく、ライトを当ててくださっているので、大変よく見える。


仏像の印象
像高は1メートル弱の坐像。カヤの一木造。内ぐりもない、古様なつくりである。平安時代中期から後期にかけての作。
現状素地をあらわす。両手とも胸のあたりにあげて、左手は宝珠をとり、右手はてのひらをこちらに向けて親指と中指で丸印をつくる。
威厳をたたえた表情である。目と眉、鼻と口が近く、目は切れ長に、口はしっかりと閉じて、なかなかに力強い。
肩はややなで肩だが、上半身は大きく、逞しい。衣の線は自然で、スキがない。足は右を上にして組む。
じっくりと見つめていると、次第に菩薩の大きな慈悲に包まれていくような、豊かな気持ちになっていく。実に素晴らしい像であると思う。


その他
本尊の厨子の左右には二天像が、さらに向かって右側の間には聖観音立像、左側の間には千手観音立像が安置される。これらも平安時代の仏像である。


さらに知りたい時は…
『三重県史 別編  美術工芸』、三重県、2014年
『上野市史 文化財編』、上野市、2004年


仏像探訪記/三重県