雪蹊寺の毘沙門天像、脇侍像

仏師湛慶の代表作

住所
高知市長浜857-3


訪問日 
2023年4月15日


この仏像の姿は(外部リンク)
高知市・文化財情報



拝観までの道
雪蹊寺(せっけいじ)は、高知駅からとさでん交通バス塩谷経由桂浜行きに乗車し、「長浜」で下車。バス進行方向にある長浜病院の角を右折してしばらく歩くと右側にある。バス停から5分とかからない。

仏像は本堂裏にある霊宝殿(宝物館)に安置され、事前連絡で拝観できる。


拝観料
700円


お寺や仏像のいわれなど
真言宗寺院として空海が創建したと伝える。もと高福寺といい、のちに慶雲寺、その後現在の寺名となる。戦国時代に中興され、以後臨済宗寺院。
近代の廃仏の時期に一時廃寺とされたが、現在は四国霊場33番札所として、お遍路さんのお詣りがたえない。


拝観の環境
霊宝殿の中には壇がつくられて、正面に薬師三尊像、向かって左に毘沙門天像が吉祥天、童子を従えた三尊像、さらに十二神将像が左右に5体ずつ安置されている(10体のみ伝来)。


仏像の印象
毘沙門天像が左右に吉祥天像、善膩師(ぜんにし)童子像を従えた三尊像。毘沙門天像の足のほぞの銘から、湛慶作と知られる。年の記述はないが、湛慶の肩書きに法印とあるので、湛慶が父の運慶の譲りによって法印位にのぼった1213年から、亡くなる1256年ごろまでの間の作とわかる。
この他の湛慶作品としては、最晩年の三十三間堂の中尊の千手観音坐像、そして1225年ごろと考えられている高山寺の善妙、白光神像があり、この像はどちらかといえば三十三間堂の重厚さよりも、高山寺の像に近いものがあるのではないかとされる。また、雪蹊寺の前身である高福寺の創建は1225年と伝えられており、仏像もその頃と考えていいかもしれない。

毘沙門天像は、像高約170センチ。ヒノキの寄木造で玉眼を入れている。残念なことに右手は肩から、左手は手先が失われており、かつて厳しい環境の中にあったことがうかがえる。しかし、手を失っているのに、不安定に感じるどころか、非常にバランスがよい。小顔で、目を見開き、口を固く結ぶ。眉、目鼻、口もとに誇張がなく、静かで、神というよりは厳格な人物のようでもあり、しかし守護神としての頼もしさも感じられる。鎧はシンプルで、銅を紐で絞るが、それほどメリハリを強調せず、あくまで自然な立ち姿をしている。

吉祥天像は約80センチ、善膩師童子像は約70センチの立像で、三尊像の脇侍としては小ぶりである。吉祥天像も小顔で、こちらも女神さまというよりは人間的な雰囲気がある。すらりとしているが、ほお、あご、また脇腹のあたりには自然なやわらかみがあり、美しい。

善膩師童子像は衣のひだを単純化し、ひざを少しだけ曲げ、手は前方に出して、かわいいしぐさをする。片方のまぶたが傷んでいるようで、左右対象が崩れており、そのためもあってか、やや愛くるしい小動物のように見えなくもない。


薬師三尊像について
雪蹊寺の本尊、薬師三尊像は、中尊は像高約140センチの坐像、脇侍は約170センチの立像である。ヒノキの寄木造で、玉眼を用いている。
中尊は、目を見開く。肉髻は低く、螺髪の最下段はくっきりと立ち上がっている。上半身は大きくたくましくつくる。お腹のあたりの衣は薄い布が複雑にひだをつくったり折り返されたりして、やや西洋の古代彫刻の連想させるがごとくである。
脚部は左右に大きく張り、ひだの流れは闊達である。
脇侍は顔を小さく、体部を長くつくる。条帛の着け方、下げた方の腕を曲げる角度、視線の向きなど、左右の像で少しずつ変化をつけているのが面白い。全体的にはいずれの像も姿勢や衣の流れは奇をてらうところがなく、実直な作風であるように思う。
作者は不明だが、鎌倉時代前期の風が顕著であり、毘沙門天像、脇侍像と同様に湛慶の作であるか、そうでないとしても湛慶周辺の仏師の作ではないかと思われる。


十二神将像について
十二神将像は、10体が伝来している。残る2体のうちの1体は、同じ高知市内の竹林寺にあることがわかっている。ただし頭部は欠失。雪蹊寺が近代初期に廃寺とされたときに、竹林寺に什宝を預けた経緯があったそうで、破損が進んだこの1体は戻されないままになってしまったようだ。また、最後の1体は所在不明のままであり、雪蹊寺の10体も、腕を失うなど、傷んでいるものが多い。
像高は85センチ内外、寄木造で玉眼。銘文より、雪蹊寺の前身である高福寺の像として、1274年から1276年につくられたことがわかる。作者名として筑後公海覚とある(この仏師については他の事績は知られない)。
それぞれ顔つきはおそろしく、しかし体の動きはユーモラスである。顔の向きの左右、また上下にと変化をつけ、髪や足の踏まえ方、上半身の傾きなど、各像に個性を持たせる。腕は大きく振りかぶるものはなく、胸のあたりでそれぞれにポーズをとる。


さらに知りたい時は…
『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』12、中央公論美術出版、2016年
「湛慶作雪蹊寺毘沙門天立像の制作工程に関する研究 : 神将形像における運慶様の継承と変容」(博士論文)、中村志野、2013年
『 日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』7、中央公論美術出版、2009年
『雪蹊寺 毘沙門天と遍路道の古仏』(『週刊 原寸大日本の仏像』 48)、講談社、2008年
『図録高知市史 考古~幕末・維新篇』、高知市、1989年
『四国の仏像』(『日本の美術』226)、田辺三郎助編、至文堂、1985年3月


仏像探訪記/高知県