中禅寺の薬師如来像

  美しいお堂の中に安置されるお薬師さま

住所

上田市前山1721

 

 

訪問日 

2008年9月14日 

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

上田情報蔵・中禅寺薬師如来坐像   神将像

 

 

 

拝観までの道

中禅寺へは、上田と別所温泉を結ぶ上電バスで「王子」下車徒歩約20分である。

また、4〜11月の間、上田交通別所線の塩田駅と別所温泉を結んで運行される「信州の鎌倉シャトルバス」に乗車すると、「中禅寺」下車すぐである。

 

信州上田レイライン線

 

 

拝観料

200円

 

 

お寺のいわれ

上田市は、古代、信濃国の最初の国府が置かれ、国分寺・尼寺もつくられるなど、古くから開けたところである。

中禅寺は平安初期、空海による創建と伝えられるが不詳。平安末から鎌倉初期の仏像が伝来していることから、この頃までには伽藍が整えられていたと思われる。

 

中禅寺のあるあたりは塩田庄と呼ばれ、平安末期、最勝光院の荘園として寄進されたということが当時の貴族の日記からわかっている。最勝光院は後白河院の后である建春門院が1173年に創建した寺院で、東寺が実際の管理にあたっていたらしい。そうした中央との関係からこの地に高い仏教文化が入ってきていたのかもしれない。

 

 

拝観の環境

薬師堂の扉には格子がはめられていて、扉口からの拝観となる。像までは距離があり、またやや暗いため、残念ながら細部まではよくわからない。

 

 

仏像の印象

鎌倉初期の作と考えられている薬師如来像は、薬師堂の本尊である。薬師堂は真四角の整った建物で、本尊同様鎌倉初期のものと考えられており、長野県最古のお堂である。薬師如来像はその中央に安置されている。像高は1メートル弱の坐像で、カツラの寄木造である。

 

全体的には穏やかな表現で、平安後、末期時代のスタンダード・定朝様式の仏像である。螺髪は細かく丁寧に表され、胸は豊かに、膝は厚みを抑えている。

顔の表情は、一見柔和で優しそうに見える。ところが、写真で見るとなかなか精悍である。これは、堂内の薄暗い中での印象と、撮影寺にライトを強く当てた時の印象のズレである。こうしたことはよくある。どちらが正しいということでなく、光や見る角度によっていくつもの表情が現れるということである。仏像の魅力である。

衣の襞(ひだ)は浅く流麗だが、定朝様式の仏像としてはやや強めである。この襞の表現と、顔つきの精悍さから、この仏像は鎌倉時代に入っての造像であろうと考えられている。また、台座の一部に弓を射ようとしている武士を描いた戯画が残っていて、その躍動的な線はこの仏像が鎌倉に入ってのものであろうとする根拠になっている。

薬壷を持つ左手先は後補、光背は当初のものだが、周囲の舟形が失われている。台座もおおむね当初だが、一部後補。また、蓮弁は失われている。

 

 

その他

薬師堂内にはあと1躰、神将像が安置されている。像高70センチ弱のヒノキの寄木造で、本尊より遅れての造像と考えられている。腕や左足先が失われており、この像がたどって来た厳しい歴史の流れを感じさせる。薬師如来の眷属十二神将のうちの1躰だけがかろうじて残ったものと思われるが、あるいは別のお堂から移されて来たものであるのかもしれない。体の動きは少ないが、怒りの表情や逆立った髪は迫力があり、なかなか魅力がある。

 

薬師堂前にはとても簡素な仁王門が立ち、仁王像が守っている。像高は2メートル余り、後補の彩色におおわれているため判断しにくいが、平安末期にさかのぼる、長野県で最も古い仁王像である可能性がある。

 

 

さらに知りたい時は…

『仁王』、一坂太郎、中公新書、2009年

『定本 信州の仏像』、しなのき書房、2008年

『龍王山中禅寺写真集』(中禅寺発行の冊子)、2000年

『上田市の文化財』(『上田市誌』27)、上田市誌編さん委員会、1999年

『長野県史 美術建築資料編 美術工芸』、長野県、1994年

『仏像めぐりの旅6 信越・北陸』、毎日新聞社、1993年

 

 

仏像探訪記/長野県