笠間市の3寺院の鎌倉仏

  毎年4月8日に開帳

弥勒教会
弥勒教会

住所

笠間市石寺529(弥勒教会)

笠間市片庭775(楞厳寺)

笠間市来栖2696(岩谷寺)

 

 

訪問日 

2007年4月8日 

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

茨城県教育委員会・いばらきの文化財(国指定)

 

 

 

拝観までの道

笠間まではJR(水戸線)か、東京方面から直通バス(1日4往復)で。

笠間駅改札口のすぐ脇に観光協会の案内所があり、自転車を貸し出している。笠間市内は路線バスが本当に少なく、まったく使えそうもなかったので、このレンタサイクルを使用することにした。やや割高だが電動のものがあったので、それを選んだ。3寺院はそれぞれ離れており、坂もあるので、電動レンタサイクルは威力を発揮した(ただし充電は最後まではもたなかったが)。

なお、道順を示す看板などはないため、観光協会で簡単な地図をもらえるものの、詳細な地図の準備は不可欠である。

 

弥勒教会は笠間駅のほぼ真北、石寺の丘陵地帯にある。途中から厳しい上り坂となる。笠間カントリークラブをすぎ、射撃場の表示が出てくるとあと少し。駅から6キロぐらい。楞厳寺(りょうごんじ)は笠間駅からは北西方向にあり、裏山にはヒメハルゼミという珍しい蝉の自生地があるなど、自然豊かな場所にある。駅からはやはり6キロぐらいである。

 

岩谷寺は笠間駅の西南西約2キロ半くらいで、3つの寺院の中では一番駅に近い。

 

 

拝観料

弥勒教会は線香料として100円。楞厳寺と岩谷寺では、特に拝観料の設定はなかった。

 

 

仏像のいわれなど

鎌倉幕府の有力御家人であった宇都宮氏の一族、笠間(藤原)時朝は仏教を深く信仰し、京都・三十三間堂の千一体の千手観音像のうちの2体を寄進している(鎌倉御家人で唯一の寄進者)。また、彼は笠間の地に6体の仏像を作らせ安置したという(笠間六体仏)。

秀吉による笠間氏の滅亡、さらに近代初期の廃仏毀釈などの険しい歴史を越え、この6体のうち3体が現在も笠間市内の諸寺に伝来し、毎年、釈迦の誕生日と伝えられる4月8日の花祭りの日に開帳されている。

 

3寺院のうちまず弥勒教会だが、かつてここには五間四方の弥勒堂があり、江戸時代の史料によると、その仏像は笠間六体仏のうち運慶作弥勒菩薩像であると書かれている。この堂宇は廃仏毀釈の際破壊され、仏像は個人の手で保護された。

1927年の解体修理時に、像内の胸腹部と足のほぞの部分から銘文が発見され、鎌倉中期の1247年に笠間時朝によって造立された弥勒如来像であることが明らかになった。1973年に現在の収蔵庫を兼ねた堂に安置されたという。

以上のような経緯で、このお堂は無住のまま、集落の方々の手で維持されている。名称の弥勒教会の「教会」とは、信者の集うところというほどの意味で、真言宗に属しているという。

 

楞厳寺の千手観音立像もまた、笠間時朝の造立になる笠間六体仏の1体であり、背面に1252年に笠間時朝によって造られたことが陰刻されている。像に陰刻で銘文を記すことは金属の仏像では多いが、木彫では珍しい。

岩谷寺の薬師如来立像も背面に陰刻銘があり、1253年に笠間時朝によって発願造立されたことが分かる。

 

 

拝観の環境

弥勒教会では、係として詰めている集落の方にお願いすると堂内にあげていただけたので、側面の様子などもよく拝観できた。また、堂内には発見された銘文を書きうつした紙も展示されている。

楞厳寺では本堂左手の収蔵庫での拝観で、入り口には網がかけられていたため、やや見づらいのが残念であった。

岩谷寺も収蔵庫での拝観だが、このお寺では中に入ることができ、近づいて、また背面からも見ることができた。

 

 

仏像の印象

弥勒教会の弥勒如来像、楞厳寺の千手観音像、岩谷寺の薬師如来像は、いずれも立像で、像高は180センチから200センチある。ヒノキの寄木造であり、引き締まった表情が魅力的である。弥勒教会像は運慶作という伝承があるが、銘文の年代では運慶から1〜2代あとの時期のものである。その力強い表現から運慶の流れを汲んだ慶派仏師の作であることが推測されるが、3体とも銘文に作者名はない。張りとともに安定感があり、衣の襞(ひだ)の表現も宋風の自由さはあるものの、奔放に流れ過ぎていない。

 

3体の中では、最も引き締まった感じがあるのが弥勒教会像、体を太めにつくりそこに複雑な衣文を刻んでいる様子が魅力的なのが楞厳寺像、一番穏やかな作風であるのが岩谷寺像である。共に慶派の流れを汲むといっても、仏師は異なっていると思われる。

岩谷寺収蔵庫
岩谷寺収蔵庫

その他1

岩谷寺の収蔵庫には薬師如来立像のほか、薬師如来坐像が安置されている。像高は約85センチとほぼ等身大の像である。ヒノキの割矧(わりは)ぎ造で、平安末から鎌倉初期の像だが、いかにも平安後期の様式を受け継いだ穏やかな像である。

こちらのほうが本尊で、笠間時朝造像の薬師立像は本尊の前立であったらしい。

 

 

その他2

これら仏像の複製が戦後つくられ、笠間市立笠間公民館にあるという。筆者は未見。複製制作の経緯については、『香薬師像の右手』(貴田正子、講談社、2016年)に詳しい。

また、茨城県立歴史館には弥勒教会の弥勒如来像の複製が常設展示されているそうだ。

 

 

さらに知りたい時は…

「ほっとけない仏たち58 笠間時朝の千手観音と薬師如来」(『目の眼』529)、青木淳、2020年10月

「ほっとけない仏たち57 弥勒教会の弥勒如来」(『目の眼』528)、青木淳、2020年9月

『中世宇都宮氏』、江田郁夫編、戎光祥出版、2020年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』7、中央公論美術出版、2009年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』6、中央公論美術出版、2008年

「常陸の仏像」(『国華』1326)、後藤道雄、2006年

『茨城彫刻史研究』、後藤道雄、中央公論美術出版、2002年

『日曜関東古寺めぐり』、久野健ほか、新潮社とんぼの本、1993年

「時朝造立の三躰仏」(『Museum』142)、佐藤昭夫、1963年1月

 

 

仏像探訪記/茨城県