月山寺美術館の五大力菩薩像

珍しい五大力像が寄託されている

住所
桜川市西小塙1677


訪問日 
2022年10月8日


この仏像の姿は(外部リンク)
桜川市教育委員会・木像五大力菩薩像


拝観までの道
場所はJR水戸線の羽黒駅下車、北へ徒歩約15分。
境内の月山寺美術館で寺宝が展観されている。月曜日は休館。その他の曜日でも法事等、お忙しい時には対応が難しいときがあるので、あらかじめ電話をしてうかがうのがよい。


入館料
300円


お寺や仏像のいわれなど
月山寺は北関東の天台古刹で、寺伝によれば平安時代初期に徳一によって創建されたという。室町時代に天台宗となった。

境内の月山寺美術館に、桜川市内にある末寺の吉祥院弥勒寺の五大力堂の五大力菩薩像が展示されている。
この像は伝承によれば、将門の乱に際し、その平定を祈願してつくられたものという。実際には平安時代末期の像である。
五大力菩薩の仏像、仏画は少なく、特に仏像となると奈良、秋篠寺の本堂外陣にまつられているものが知られているくらいだが、この秋篠寺像も平安末期までさかのぼれるのは5体のうちの1体だけ、あとは後補とのこと。従って、本像はとても貴重な遺例である。


拝観の環境
美術館1階中央にガラスケースなしで置かれ、とてもよく見ることができる。坐像の大きな1体、それを囲むように立像の4体が安置ている。


仏像の印象
中央像は半丈六の坐像(像高約135センチ)。サクラの寄木造。炎髪、しん目で、口を少し開いて歯を見せる。額、まぶた、頬骨を強く前に出し、鼻はくっきりとした三角形をしている。鬼の面を思わせる、デフォルメの具合である。地方の作としてのユームラスな魅力がある。足は左を上にして組んでいる。
立像の4体は像高160センチ前後。一木造。2体が右手と右足を、残る2体が左手と左足をあげる。一本足で立ち、腰で角度を変えながら体を傾けているので、像としてはたいへん不安定な姿勢であり、破損部分もも多く、支柱にくくってようやく立っている状態である。

体は薄いが、像によって厚みに違いがあるように感じられる。手足の長さや曲がり具合が不自然で、ユームラスであり、楽しい。腰のあたりに下げた方の手は、人差し指と中指を立てる。
顔は中央像と同じく怒りのエネルギーを強く出しているが、口は閉じて、上の歯と牙で下唇を噛んでいる。下半身にまとう衣は浅くひだを刻む。

立像のうちの1体の像内から銘文が見つかっている。読めない部分もあり、文意に不明の点もあるが、年と仏師名があるのが貴重である。年は1178年、仏師定允の名前が書かれる。


その他1
別の1体の像内には歌が書かれており、『岩瀬町の文化財』に紹介されている。恋の歌で、和歌よりもずっと長いものである。
このいかめしい像の中になぜ恋の歌なのかと思うが、江戸時代には「五大力」と封じ目に書くと、人に見られることなく手紙が届くという信仰が江戸時代に広く行われていたといい、地唄や長唄の「めりやす」に「五大力」という曲が、また、歌舞伎の外題にも「五大力」とつくものがある。古くより、五大力菩薩像は恋しい人に思いをとどかせる霊験があるといった信仰があったのかもしれない。


その他2
月山寺美術館の2階には平安時代後期の菩薩立像や天部立像、室町時代の徳一と伝えられる僧形坐像などが展示されている。


さらに知りたい時は…
「五大力堂蔵 五大力菩薩像」(『国華』1326)、津田徹英、2006年4月
『曜光山月山寺寺史』、曜光山月山寺,、2004
『岩瀬町の文化財』(増訂版)、岩瀬町教育委員会、2002年


仏像探訪記/茨城県