光恩寺の阿弥陀三尊像

  鎌倉前期の阿弥陀さま

住所

千代田町赤岩1041

 

 

訪問日 

2008年1月20日 

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

千代田町の文化財

 

 

 

拝観までの道

光恩寺のある千代田町は鉄道が通っていないため、東武線の館林駅か太田駅からバスで行くか、利根川をはさんで南側の埼玉県から渡し船(下の「その他」を見てください)で入る。

館林駅からのバスは経由により3つの路線があるが、光恩寺へは「JA永楽支所前」バス停か「熊野南」バス停で下車し、東に歩いてすぐ。「赤岩不動尊」「荻野吟子生家長屋門」という案内板を目印に行くとわかる。

 

千代田町ホームページ・広域公共バス路線

 

阿弥陀三尊像の拝観は、本堂向って右手の事務所に申し出る。事前連絡必要。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺について

光恩寺は古代にはじまり、後醍醐天皇の勅によって再建されたと伝える。境内には古墳、鎌倉時代の地蔵菩薩像の陰刻のある板碑、日本最初の女医である荻野吟子ゆかりの長屋門と、各時代の遺跡がある。

地蔵菩薩板碑には藤原姓の名前が多く刻まれているが、この地域は、平安前期に活躍した武士である藤原秀郷の流れを汲む佐貫氏という武士が力を持っていたそうで、この藤原も佐貫氏と考えられる。光恩寺の興隆も佐貫氏の力があったのであろう。

 

赤岩山光恩寺ホームページ

 

 

拝観の環境

阿弥陀三尊像は、境内の東の端に立つ耐火建築の阿弥陀堂に安置されている。堂内にあげていただけるので、よく拝観することができる。側面の様子もよくわかる。

 

 

仏像の印象

ヒノキの寄木造で、平安時代後期風の安定感に鎌倉時代の清新さが加わったような作で、鎌倉前期の作と思われる。

中尊は像高約140センチの坐像なので、半丈六像である。ゆったりした上半身、丁寧に仕上げられた衣文の流れ、十分な膝の張りをもつ。脇侍は160センチ弱の像高の立像である。三尊とも玉眼が入り、それがやや生々しさを感じさせる。

 

両脇侍でやや作風が異なり、左脇侍(向って右、観音菩薩)はきりりとしてまた安定感もあるが、右脇侍(向って左、勢至菩薩)はやや茫洋とした印象がある。また、観音菩薩像は左右2材からなるオーソドックスな寄木造だが勢至菩薩の方は複雑に木組みをである等の違いが見られ、この像は後の時代に観音像にならって補われたと考えられる。

 

 

その他

南へ500メートルほど行ったところに赤岩渡船がある。これは県道熊谷・館林線の一部であり、利根川を渡る橋のない公道である。千代田町が管理運営を行っていて、埼玉側から渡るためには旗を揚げて合図をする。渡し賃は無料。4分ほどで対岸に着く。埼玉側には「葛和田」というバス停があり、1時間に1本程度、熊谷駅行きのバスが出ている。

 

 

さらに知りたい時は…

「ほっとけない仏たち62 光恩寺の阿弥陀三尊」(『目の眼』533)、青木淳、2021年2月

『木彫仏の実像と変遷』、本間紀男、大河書房、2013年

「光恩寺蔵 木造阿弥陀如来及び両脇侍像」(『国華』1393)、武笠朗、2011年11月

『東日本に分布する宗教彫像の基礎的調査研究』(『東国乃仏像』二)、有賀祥隆ほか、2010年

『仏像集成』1、久野健編、学生社、1989年

『群馬の文化財』、上毛新聞社、1985年

 

 

仏像探訪記/群馬県