国宝めぐり8寺院の諸仏

萬徳寺本堂
萬徳寺本堂

住所

小浜市羽賀82-2 (羽賀寺)、 小浜市門前5-22(明通寺)、 小浜市国分53-1(国分寺)、

小浜市金屋74-23(萬徳寺)、 小浜市神宮寺30-4(神宮寺)、小浜市多田27-15-1(多田寺)、

小浜市野代28-13(妙楽寺)、   小浜市尾崎22-15(圓照寺)

 

 

訪問日 

2009年10月3日、4日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

小浜市ホームページ 寺社・史跡  若狭小浜のデジタル文化財  小浜八ヶ寺巡り

 

 

 

小浜市の「国宝めぐり」

福井県小浜市は「海のある奈良」とも呼ばれ、古寺、古仏のまことに多い地域である。

小浜のパンフレットなどには、羽賀寺、明通寺、国分寺(若狭国分寺)、萬徳寺(万徳寺)、神宮寺(若狭神宮寺)、多田寺、妙楽寺、圓照寺(円照寺)が「国宝めぐり」の寺院として必ず紹介されている。

以前は、この8か寺を循環する「国宝めぐりバス」というのがあったが(2008年度まで)、現在は運行されていないので、手軽にまわるにはレンタサイクルがお勧め。ただし、1日ですべてを回るのは不可能である。

 

 

レンタサイクルでまわる小浜

小浜駅を降りて左手の観光案内所と、小浜駅から小浜線で東にひとつめの駅である東小浜駅の構内でレンタサイクルを貸し出している。台数としては東小浜駅の方が多い(70台)。小浜駅の方は20台しかなく、シーズン中の土日などすべて出払ってしまう可能性もあるとのこと(予約はできない)。

 

8か寺のうち、小浜駅、東小浜駅間の線路より北側にあるのは羽賀寺だけで、あとは南側にある。羽賀寺は小浜駅、東小浜駅からともに自転車で20分ないし25分の距離(もちろんこぐスピードによる)。一番東南にあるのが明通寺で、東小浜駅から20〜25分くらい。また、一番西南にある圓照寺(円照寺)は、小浜駅から25〜30分くらいである。あとの5つの寺は、その間のエリアにある。

全体的に平地が多いが、妙楽寺への道など坂道はある。また、自転車道や自転車も通ってよい広めの歩道も整備されているが、そうでない道も多い。

レンタサイクルのセンターには地図のついたパンフレットがあるが、簡単なものなので、自分で地図を用意して行く方が無難と思う。

 

 

すがすがしい「みほとけの里」

小浜市のお寺の仏像は、その多くがお堂に安置されている。他の地域の像が多く収蔵庫にあるのと異なり、やはり本来安置されるべきところにあると雰囲気が違う。

また、もと秘仏であった仏像が多いのも特色といえるかもしれない。

羽賀寺の十一面観音像は長く厳重に秘され、その存在が広く知られるようになったのは1957年、京都国立博物館の「平安時代の美術」展に出陳されてからという。多田寺の薬師如来と脇侍像もきわめて厳重な秘仏で、1950年代、さまざまな困難のもとにようやく調査が進んだ。妙楽寺の千手観音像、明通寺の薬師如来像、国分寺の薬師如来像もかつては秘仏であった。

 

ところで、これら「国宝めぐり」寺院のそばには、いかにも観光客向けといった土産物屋や食堂が少ない。どのお寺も、静かな風景の中にとけ込んでいる感じである。

8か寺はすべて事前連絡を必要とせず(冬季は別)、いつでも観光客を迎え入れてくれるが、それでいて観光化が進んでいて辟易するということもない。これは希有のことだ。小浜はとても気持ちのいい「みほとけの里」である。

なお、拝観料は、8か寺ともに400円である。

 

 

羽賀寺

羽賀寺(はがじ)の本尊十一面観音像は、「国宝めぐり」8か寺の仏像中、最も魅力ある像と思う。

像高150センチ弱の立像。樹種はカヤ。等身大より小さい像なのだが、写真で見る印象は大きく感じる。実際に拝観すると、ああ、やっぱり小さいんだと思った。しかしとてもとても存在感ある像で、しばらく前にいるとどんどん印象が変わって、お堂を出る頃にはむしろ大きさを感じるようになっていた。

 

羽賀寺は寺伝によれば奈良時代前期の女性の天皇である元正天皇の勅願によってつくられたといい、本尊十一面観音像はこの元正天皇の姿を写したとされる。

もと厳重な秘仏で、彩色が非常によく残り、あでやかな像であるが、しかし顔はなかなかいかめしく、男性的である。眉、目、鼻、口元、顎はそれぞれに圧倒的な力強さを持ち、さらに耳の上端はとがり、鼻の下には人中(にんちゅう、鼻と唇の間の縦の2本の線とその間の溝)をしっかりと表す。頭上には厚い幅の天冠台、その上には比較的小さな菩薩面が斜めににょきにょきと生えている感じでつけられている(仏頂面はない)。

寺伝にある元正天皇の奈良前期まではさかのぼり得ないとは思うが、定型の十一面観音像ができる以前の作、かなり古い像であるように感じられる。

 

下半身は異様に長く、手もとても長い。腹にかかる条帛の端、裙の折り返し、天衣、垂下する腰紐は互いに重なりあう。「めくるめく」という言葉が思い浮かぶ。それくらい凄い表現である。

一木造だが、下半身背面側では別の木が補われるなど、やや変則的なつくりをしているそうだ。元の材に制約があったためかもしれない。また、印象的にはすべて木を刻んで細かなところまでつくられているようだが、実際には木屑を混ぜた漆によって整形されている部分が少なからずある。左手先など後補部分があるが、全体に保存状態は奇跡のようによい。

本堂中央厨子中にあるが、明かりがつけられて、すぐ前から大変よく拝観できる。

 

そのほか、厨子の左右に立つ千手観音像と毘沙門天像は、12世紀後半の像内銘をもつ。もと羽賀寺末の松林寺の像であったが、同寺が近代初期に廃寺となって、移って来た仏像。また、本尊の背面にはもと釣姫神社の本地仏であったという薬師如来坐像が安置されている。霊威を感じる像である。その他、2躰の地蔵像、近世に羽賀寺の修理に力を尽くした秋田氏の肖像なども安置されている。

 

 

明通寺

「国宝めぐり」というが、本当に国宝のあるお寺は、8か寺中明通寺(みょうつうじ)だけで、この寺の本堂、三重塔(鎌倉時代の再建)は国宝指定されている。

仏像は、本堂本尊の薬師如来坐像、その脇に立つ降三世明王像、深沙大将像と客殿の不動明王像が平安時代の作である。

 

降三世明王と深沙大将が対になっているのは当初からのものなのだろうか、不思議な組み合わせである。共に像高2メートル半以上あり、おとなしめの作風だが、大きさゆえの迫力がある。すぐ近くで拝観させていただける。

 

不動明王像は像高160センチ余で、もと羽賀寺の千手像、毘沙門像とともに松林寺というお寺に安置されていたものという。松林寺の廃絶後、羽賀寺を経てこの客殿の本尊となった。お堂の入口からの拝観で、やや距離がある。

 

 

国分寺

国分寺(若狭国分寺)は東小浜駅の東南、歩いても行ける距離にある。本堂は奈良時代創建の国分寺の金堂跡の上に立ち、その周囲は遺跡公園として整備されている。

本堂本尊の釈迦如来坐像は丈六仏で、若狭大仏ともよばれる。頭部が大きく、アンバランスな感じがあるが、それは頭部のみ江戸時代につくられたものであるためである(体は鎌倉時代の作という)。

 

道をはさんで建つ小堂に鎌倉時代の薬師如来像、阿弥陀如来像、釈迦如来像が安置されている。中央の薬師如来坐像は、もと国分尼寺(その場所はまだ見つかっていない)の像との伝承がある。像高約80センチとほぼ等身大の像で、ゆったりと頼りがいのある姿。若々しい表情が魅力的ないかにも鎌倉仏の優作という仏像である。やや高い位置に置かれるが、すぐ前でよく拝観できる。

 

 

萬徳寺

国分寺より南へ1キロ半ほどのところにある萬徳寺(万徳寺)は、仏像よりも近世の書院や庭園、そしてヤマモミジの大木で有名な寺である。

 

書院から上がった本堂中央に、半丈六の阿弥陀如来像が安置されている。

穏やかな表情、小粒で美しく整えられた螺髪、高めの肉髻、流麗な衣、高めの上半身と豊かに張り出した両膝など、全体にやや素朴さを感じるが、典型的ともいうべき定朝様式の仏像である。台座は古様な裳懸け座。手先は残念なことに後補。少し高い位置に安置されている。

堂内は明るく、よく拝観できる。

 

神宮寺
神宮寺

神宮寺

神宮寺(若狭神宮寺)は、萬徳寺の南、1キロ半ほどのところにある。

このお寺は、国宝めぐり8か寺の中でもっともユニークなお寺といえる。

奈良、東大寺二月堂のお水取りは有名であるが、その取るお水を奈良へと送る役割を持つお寺がこの神宮寺なのだ(「お水送り」)。今も境内の井戸にはこんこんと水がわいているが、この井戸から取った水を、少し離れた鵜の瀬という場所で遠敷(おにゅう)川に注ぐと、その水は10日ののちに奈良へと届くと信じられている。鵜の瀬までは白装束の僧侶を先頭にして、3000人ほどがたいまつを手に行列するそうだ。小浜は奈良のほぼ真北に位置し、古来より特別な場所とされてきたのかもしれない。

 

神宮寺の本堂は戦国大名朝倉氏によって再建されたもので、屋根の勾配が美しい。お堂は東面し、仁王門は北側、少し離れたところにぽつんとたつ(北門)。車なら本堂の東側から来て、駐車場にとめるが、自転車なら北門で自転車を置き、門を入って真っすぐに進むとよい。ゆっくりあるいて5分くらいで拝観入口につく。その間の道は畑の中を行くが、昔は堂塔がそびえていたという。

 

本堂は幅よりも奥行きの方がやや長い建物で、かつては僧は裏側から出入りしていたそうだ。正面にはしめ縄が張られる。中に入ってお堂の隅を見上げると、象・獏がいるが、これは通常であればお堂の外側によくつけられている飾りのはずで、いろいろと不思議なところのある寺だと思う。そして内陣、向って右側は神の座になっている。神仏習合がこれほど色濃く残る寺は他にはないだろう。

拝観は通常は外陣から格子を通して内陣を覗く。しかし、事前にお願いしておけば、内陣に入れていただいて拝観でき、ご住職のお話をうかがうこともできる。

 

須弥壇中央には薬師三尊と十二神将、向って左の段には千手観音と不動・毘沙門天像、そして向って右は神名が書かれた掛け軸が下がる。「ワカサヒコノミコト」など6柱の神様である。

ご住職によれば、このお寺の近現代の歩みは厳しかったという。神仏分離以後、ここまで神仏を共にまつる寺院は他にはないという環境の中、いろいろと難しいこともあったそうだ。その時代を知らぬ者には、ずいぶんユニークなお寺だなと思うくらいのものだが、お話には驚かされることが多い。

この神宮寺が守り伝えた信仰の様子によって、私たちは歴史の中に確かにあった神道と仏教の習合のありさまを実感をもって想像することができる。政府によって強制的に行われた神仏分離によって失われたものの大きさについても。

なお、このお寺には神像が2躰伝えられているが、収蔵庫にあって非公開である。

 

 

多田寺

古仏が多く残る小浜地方だが、羽賀寺の十一面観音像とともに特に古様な仏像が多田寺の薬師如来像・脇侍像である。

中尊の薬師如来像は像高約190センチの立像で、蓮肉までの一木造である。腹からももにかけての衣の下の豊かな肉付きとそれにそって大胆に刻まれる衣のひだはすごい。特に両足間のU字形の衣文の線の連なりは、神護寺本尊の薬師像のそれに非常に近いと思われる。

 

脇侍は寺では日光、日光菩薩と称するが、右(向って左)脇侍は頭上面を持ち、明らかに十一面観音像である。像高150センチあまり、ほほえみを浮かべた像である。胸から下がるアクセサリーが共木でつくられ、裙の折り返しが狭く、腰からの天衣が2本前に下がり、また裙の襞の様子などとにかく古様の像である。

左脇侍の伝月光菩薩像(菩薩形立像)は像高140センチ余、厳しい表情の像である。胸のアクセサリーや天衣から裙の裾に下がるアクセサリーの形、条帛の結び方、肩にU字形にかかる垂髪など、こちらも古様な像である。

 

三尊は厨子中に安置されるが、厨子は大きな立派なもので、江戸時代、領主の酒井家によって寄進されたものというが、それでも3躰を納めるには狭く、脇侍像は斜めからでないと見えないし、また、三尊ともに下肢は見えない。また、かつて秘仏だったことの名残りか、普段は厨子の前に薄いカーテンのような布が一枚かけられている。残念ながら羽賀寺と比べて拝観の環境は良好とはいえない。

この他に四天王像や3躰の阿弥陀像など、古代の仏像が多く残る。

 

多田寺から南へ坂道を行くと、若狭西街道という道にぶつかる。この道を東にとると神宮寺や萬徳寺へ、西に行けば妙楽寺に近い。ただしトンネルを通らねばならず、車の通りもそこそこある。自転車はライトをつけて走るようにと、多田寺の方がおっしゃっていた。

 

 

妙楽寺

妙楽寺の本尊・千手観音立像は像高170センチ余とほぼ等身大だが、大きく感じる仏像である。本堂中央の厨子中にあって、元は秘仏であったのであろう。この仏像の背後にもう1躰千手像があって、こちらが前立だったと思われる。

千手観音像としては異形の姿で、本面の左右に面がつく、いわゆる三面千手だが、さらに頭上面が21つく。手は大手、中手、小手を組み合わせて、実際に千本の手のある姿である。

後世の箔のために近くからはかえって表情にピントが合いにくいような感じだが、少し遠ざかると迫力満点である。

 

そのほか、本尊向って右に聖観音立像が、本堂の左手地蔵堂に地蔵菩薩半跏像が安置されている。聖観音像は、天衣、条帛、裙の各所に渦巻きの文がこれでもかこれでもかという感じに配置された特異な造形の像である。

 

 

圓照寺

圓照寺(円照寺)は妙楽寺の西南西、1キロ半ほどのところにある。大日堂に大日如来像と不動明王像が安置されている。

大日如来像は胎蔵界大日で、丈六の坐像である。肉身は金に輝くが、後世の補い。平安時代後・末期の作で、膝は低く、幅を広く取り、安定感ある仏像。

院政期、五仏、五大明王などの丈六像あるいはそれ以上の巨大な像が多くつくられたことが記録にあるが、残念なことにほとんど伝わらない。その中でこの像は、院政期造仏のさまを偲べる貴重な遺品である。

美しい蓮台がつく。本来は平等院の像のように何重もの台座の上にあったのだろうが、下部は失われて、蓮台だけの低い台座に乗っている。

 

不動明王像は像高約160センチの立像で、実にすきのない姿をしている。左足を前に半歩踏み出し、腰をややひねり、顔も斜め左を向く。見得をきっているような姿で、動と静がともにある一瞬を造形化したようである。

 

 

さらに知りたい時は…

『羽賀寺十一面観音と若狭』(『原寸大 日本の仏像』37)、講談社、2008年3月

『明通寺1201』(展覧会図録)、福井県立若狭歴史民俗資料館、2007年

『地方作仏教尊像の研究 若狭・越前の秘仏』、野村英一、野村元積発行、2002年

『見仏記 親孝行篇』、いとうせいこう・みうらじゅん、角川書店、2002年

『明通寺・神宮寺と若狭・加賀の名刹』(『週刊 古寺をゆく』37)、小学館、2001年11月

『羽賀寺ー日本海交流と若狭』(展覧会図録)、福井県立若狭歴史民俗資料館、2000年

『海の仏』、藤森武、東京美術、1998年

『わかさ小浜の文化財(図録)』、小浜市教育委員会、1995年(第10版)

『十一面観音の旅』、丸山尚一、新潮社、1992年

『福井県史 資料編 14』、福井県、1989年

『仏像を旅する 北陸線』、至文堂、1989年

『若狭の秘仏』(展覧会図録)、福井県立若狭歴史民俗資料館、1987年

『古佛』、井上正、法蔵館、1986年

『若狭・丹後の仏像』(『日本の美術』223)、鷲塚泰光、至文堂、1984年12月

『若狭の古寺美術』、「若狭の古寺美術」刊行会、1983年

「羽賀寺十一面観音像について」(『仏教芸術』127)、浅井和春、1979年11月

『仏像の旅』、久野健、芸艸社、1975年

 

 

仏像探訪記/福井県