長安寺の不動明王像

  毎年1月27日、28日、10月28日に開扉

住所

横須賀市久里浜2-8-9

 

 

訪問日

2012年1月28日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

横須賀市ホームページ・よこすかの文化財

 

 

 

拝観までの道

長安寺はJRまたは京急の久里浜駅下車、南へ5分。

本堂に向って右側に不動堂があり、不動三尊像をまつる。地域の方が立ち寄っては拝んでゆく様子が見られ、信仰厚いお不動さまである。

普段は厨子の扉を閉ざした秘仏だが、毎年1月27日、28日、10月28日の3日間は開扉される。時間は要確認。

 

 

拝観料

特に拝観料等の設定はなかった

 

 

お寺や仏像のいわれなど

長安寺は戦国時代に創建された浄土宗寺院。

不動三尊像は、もと近隣の村にあった丸山不動院の本尊だったが、江戸前期にこのお寺が山津波にあい、以後長安寺にまつられているそうだ。三浦不動尊二十八札所のひとつにもなっている。

二童子を従えた三尊像だが、脇侍は江戸時代の後補。

 

 

拝観の環境

堂内は照明もあり、よく拝観できた。

 

 

仏像の印象

中尊の不動明王像は像高約65センチの坐像。ヒノキの寄木造、玉眼。

等身より小さい像だが、迫力のある姿で、大きく見える。なかなかシャープな感じだが、近年表面の修理を行ったためもあるのかもしれない。

 

顔は大きく、特に額と頭髪の部分を大きくつくっている。いわゆる十九観の不動のゆがめた顔つきであり、劇画調というか、誇張した怒りの表情が印象的である。玉眼がきいている。

しかし、顔の強さにくらべて体はやや迫力がなく、左の肘はあまり張らず、上半身は細身というと言い過ぎかもしれないが、少なくとも下半身は小さめで、また衣の襞(ひだ)も省略気味である。

 

像内に運朝ら4人の仏師名と南北朝時代の1351年の年が書かれる。何でも、関東大震災の時に破損して、修理が行われ、その時の記録が残されていたそうである。

運朝は、東京・光厳寺の釈迦如来像などの作品を残す仏師だが、この不動像の銘文に「運慶五代法眼運朝」とある。

運朝が実際に運慶直系の仏師であったかは不明。おそらく、このころ運慶の名声がさらに高まりを見せ、また三十三間堂の再興を最後に仏像の大量受注の時代が終わりを告げたこともあって、運慶後裔であると主張することは当時の仏師にとって重要なことだったのであろう。

 

 

その他(正業寺と等覚寺の仏像について)

長安寺から久里浜中学校をはさんで西北、徒歩5分ほどのところに正業寺(浄土宗)がある。その本尊の阿弥陀三尊像は、中尊が鎌倉時代の作(脇侍は後代の補作)で、近年市の文化財に指定された。

小ぶりの坐像で、穏やかな定朝様を基調としつつ、鎌倉時代らしい溌剌さをあわせ持つ像。前もってお願いしておいたところ、拝観させていただけた。

 

正業寺からさらに西へ5〜10分くらい行くと、等覚寺(日蓮宗)がある。境内入口の枝垂れ桜が有名で、京急電鉄のポスターにもなっていた。

本堂に向って斜め前、左側に観音堂があり、千手観音像と仁王像が安置されている。いずれも平安後期〜末期ごろの作として貴重である。それぞれ近くの廃寺から移されてきた仏像だそうだ。花祭りの4月8日午後など、年間何日か開扉される。

千手観音像は2011年の震災で破損し、修復されたそうで、全身が金で覆われた姿になった。

 

 

さらに知りたい時は…

『鎌倉の仏像』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2014年

『新横須賀市史 別編 文化遺産』、横須賀市、2009年

「横須賀・長安寺不動明王坐像と像内銘」(『神奈川文庫研究』318)、奥健夫、2007年3月

『よこすかの文化財』、横須賀市教育委員会、2007年

『横須賀市文化財調査報告書』第37集、横須賀市教育委員会、2002年

 

 

仏像探訪記/神奈川県