江島神社の弁才天像

2躰の弁才天像をまつる

住所
藤沢市江の島2-3-8


訪問日 
2017年3月28日

 


この仏像の姿は(外部リンク)
江島神社について・ご祭神



拝観までの道
江の島(江ノ島)は藤沢市の南部にある周囲約4キロの陸繋島である。
近くには3つの鉄道の駅がある。小田急線の片瀬江ノ島駅が最も近く、駅の正面の橋を渡り、国道の下をくぐり、江ノ島大橋を渡る。徒歩10分くらい。江ノ電の江ノ島駅や湘南モノレールの湘南江の島駅からは徒歩約20分。

島に入ると、左右に土産物屋さんや飲食店がにぎやかな短い参道がある。その先、正面の階段をのぼっていくと江島神社の辺津宮(へつのみや)に着く。
本殿に向かって左側に八角形の建物がある。奉安殿といい、ここに弁才天像がまつられている。


拝観料
200円


神社や仏像のいわれなど
江ノ島と書いたり江の島と書いたりするが、古くはさらにさまざまな表記があったらしい。町名としては「江の島」。神社の名称は江島神社である。
6世紀、岩屋に神をまつったことにはじまるといい、古くから信仰の島であったが、近世以後参拝客が著しく増加し、観光化も進んだ。
神社は3つの宮からなり、島の入口に近いところに辺津宮、それより奥、東南に中津宮、西南に奥津宮がある。
また、竹生島、厳島と並び日本三大弁財天と称される。鎌倉時代のはじめ、文覚上人が弁才天を勧請したのがそのはじまりだそうだ。


拝観の環境
奉安殿の正面奥に2躰の弁才天像が安置されている。
薄い布でさえぎられているが、比較的よく見ることができる。


仏像の印象
弁才天像には2臂(手が2本)の像と8臂の像がある。江島神社奉安殿では8臂と2臂の弁才天が並んで安置されている。
8臂の像は坐像で、頭に宇賀神(蛇の体、老人の頭部をつけた神様、ただし後補)をいただき、8本の手にはさまざまな持物をとる。この姿の像は以後たくさんつくられていくが、その早いころ(鎌倉時代なかばごろか)の作として貴重である。かつては中津宮にまつられていたという。
像高は約60センチ。肩にかかる髪は豊かで、ていねいなつくりである。顔つきは引き締まってすがすがしく、手の配置も自然。

上半身はあまりメリハリをきかさず、脚部は自然な起伏で、おとなしくまとめる。
左足を前にはずして座る。

向かって左側には、左足を踏み下げて座る2臂の弁才天像が安置される。裸形像で、琵琶を持つ。

厚く彩色されているが、これは修復によるもの。神社では鎌倉時代の作としているが、時代の特定は難しい。かつては相当傷んでいたようだ。
今では美しい姿に整えられ、妙音弁財天ともよばれて、芸能に携わる人などからの信仰を多く集めているという。


その他1(弁才天について)
弁才天はもともとインドの河の神である。やがて川岸で行われる祭りを守護する女神として、さまざまな神事や芸能の神となり、また福徳神、戦闘の神としてもあがめられた。
奈良時代に重視された経典である金光明経には重要な尊格として登場し、この時代の彫刻作例として東大寺法華堂に伝来した塑像の弁才天立像(現在は東大寺ミュージアムに移されている)がある。8臂の姿である。
平安時代初期に空海によってもたらされた胎蔵曼荼羅中には、2臂で楽器を持つ姿で描かれる。
しかし、平安時代には同じ女神である吉祥天ほどには信仰が広がらず、彫刻作品は残されていない。
鎌倉時代以後、2臂、8臂両方の弁才天像が多くつくられるようになった。財宝の神として弁財天と表記されることも多くなる。宇賀神という神様と習合したり、また、七福神のひとつとしても信仰された。


その他2
鎌倉の鶴岡八幡宮にも、2臂で琵琶を持つ裸形着装像の弁才天像が伝来している。鎌倉国宝館に寄託されていて、時折展示される。
像内に銘があり、八幡宮の舞楽師であった中原光氏によって1266年に造立されたことが知られる。


さらに知りたい時は…

『月刊文化財』669、2019年6月

『新指定 国宝・重要文化財』(展覧会図録)、文化庁ほか、2019年

『鎌倉時代造像論』、吉川弘文館、塩澤寛樹、2009年

「鎌倉時代の造像と社会についての一考察 神奈川・江島神社八臂弁才天像を例に」(『芸術学』5)、塩澤寛樹、2001年

『吉祥・弁才天像』(『日本の美術』317)、根立研介、至文堂、1992年10月
『神奈川県文化財図鑑 彫刻篇』、神奈川県教育委員会、1975年


仏像探訪記/神奈川県