東京国立博物館法隆寺宝物館の五大明王鈴

  法具にあらわされた五大明王

住所

台東区上野公園13-9

 

 

訪問日

2012年6月3日、 2022年8月15日

 

 

東京国立博物館までの道

東京国立博物館は、JR上野駅公園口から徒歩約10分。法隆寺宝物館は、入口から正面の本館の方へ行かずに、左へ。

休館日は原則月曜日と年末年始。

 

 

入館料

総合文化展(平常展)は一般1,000円

 

 

五大明王鈴について

東京国立博物館には、五大明王像が側面にあらわされた金剛鈴(こんごうれい)が2口(く)所蔵されている。

そのうちひとつが、博物館内の法隆寺宝物館2階の第4展示室でほぼ常時展示されている。

 

密教では、さまざま道具(法具)を用いる。武器や楽器を起源とするものなど、不思議な形をしたものが多い。金剛杵(こんごうしょ)と金剛鈴はその代表的なものである。

金剛杵はもともとは武器で、仏教に取り入れられ、修行者を守り、また煩悩を打破する役割を持つとされた。先端が割れていないものが独鈷杵、3つに割れていれば三鈷杵、5つに割れていれば五鈷杵という。

 

一方、金剛鈴は、ベルと金剛杵の半分をドッキングさせたものである。

中央に握る部分(把部、つかぶ)があって、その片側に釣り鐘を小さくしたような形の鈴がついている(鈴身部)。中に舌が垂れていて、揺らすと音がでる。法会の開始の際に鳴らされる。それは、修法を行う人の仏性を呼び覚まし、また、諸尊の来臨を請う音色なのである。

鈴身部の反対側には金剛杵のきっさき部分がつく(鈷部)。金剛杵と同様に先が3つあるいは5つに分かれているものは三鈷鈴、五鈷鈴などとよばれている。

 

東京国立博物館の法隆寺宝物館に所蔵されている五大明王鈴は、鈴身部の側面にぐるりと五大明王が陽鋳された金剛鈴である。だだし、持ち手の部分より上、すなわち鈷部は失われてしまっていて、惜しまれる。

このように仏像を浮き彫りのようにする金剛鈴は、仏像鈴とよばれる。明王以外には四天王や梵天・帝釈天など天部をあらわしたものがあるが、作例は決して多くない。東京国立博物館にもうひとつの五大明王鈴(五鈷鈴)が所蔵されているほか、高野山正智院の五大明王五鈷鈴、金剛峰寺の四天王独鈷鈴、奈良国立博物館の四大明王五鈷鈴、香川・弥谷寺の四天王五鈷鈴などが知られている。

これらは唐時代から元時代にかけて中国で制作され、請来されたものと考えられている。

 

 

展示の環境

上部からのみの照明は暗めであるが、くっきりした彫りがよくわかる。

壁付きのケース内の展示なので、背面の造形を見ることはできない。

 

 

仏像の印象

高さは約12センチ、鈴の部分だけでは7センチあまりと、小さなものである。金剛鈴としても、比較的小ぶりの部類に入る。

その小さな鈴の部分に5躰の明王像がぐるりととりまいてつくられている。彫りが深く、ごつごつとした感じである。像の厚みが感じられ、精巧で、力強く、大変魅力がある。

口縁には花びらのように切れ込みを入れる。明王1躰ごと、花弁に乗っているようで、安定感がある。

 

不動明王を正面にして展示されているので、当然のことながら、不動像が最もよく見える。

右手に剣を、左手に縄を持ち、岩上に座す、通有の不動明王像である。顔はやや右を向いて、左(向って右)側に髪を垂らす。怒りを表す顔つきは、異国的な感じがする。頭光を負う。体や頭光のまわりにたくさん彫られている線は、炎の表現であろうか。条帛や下半身の裙には力強く襞(ひだ)を刻む。

 

不動明王の向って右側は烏芻沙摩(うすさま)明王、左側は軍荼利(ぐんだり)明王で、この2躰は斜めからかろうじて見ることができるが、残念ながら降三世、大威徳の2明王像は裏側になり、見えない。

4本の手を持つ烏芻沙摩明王像は、振りかぶるように腕を斜め上にあげ、躍動感がある。逆立つ髪の表現も力強い。左足を立て膝して、蓮華座上に座す。

軍荼利明王像は8本の手を持ち、右足を立て膝して蓮華座上に座る。この明王も髪を逆立て、恐ろしい形相をしている。

 

 

烏芻沙摩明王を含んだ五大明王像について

五大明王といえば、東寺講堂をはじめ、醍醐寺、大覚寺などに伝来する木彫像が有名である。それらは不動明王を中心にして、降三世(ごうざんぜ)明王、軍荼利明王、大威徳(だいいとく)明王、金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王の組み合わせで、不動明王は坐像、大威徳明王は牛の上に座った姿、あとの3明王は立像としてつくられる。

ところが、この五大明王鈴の像はそれとは明らかに異なっていて、不動明王以下、5躰の明王すべてが坐像としてあらわされている。また、金剛夜叉明王にかわり、烏芻沙摩明王があらわされている。

 

平安後期の真言僧である心覚(しんかく)によって編まれた図像集である『別尊雑記』に、この明王鈴の像とよく似た坐像の五明王像が採録されている。そこには、「智証大師請来」すなわち平安時代前期に天台宗の密教化を進めた円珍が中国から請来した図像であるという註記がつけられている。しかしこの姿の五大明王像は、画像にはあるが、彫刻の遺品は見当たらない。

この五大明王鈴の図像は、空海がもたらしたものとはまた別系統の五大明王の姿をあらわしたものとして、貴重な造形といえる。

 

 

その他

この五大明王鈴は、法隆寺に伝来したものである。

ところで、法隆寺は江戸時代、2度、江戸でも出開帳すなわち宝物の出張公開を行っている。江戸時代後半、19世紀なかばに両国の回向院で行われた2度めの出開帳にこの明王鈴も出品され、この時の図録にあたる木版刷りの「御宝物図絵」には、「真鈴」という名前で登場している。

 

この五大明王鈴をはじめ、2度目の出開帳の出品作品を中心とする宝物類が、1878年、法隆寺から皇室へと献上された。それがのちに国有となり、この館で公開されているわけである。

江戸後期の法隆寺出開帳は、天保の改革の倹約令のさなかであったために、興行的には失敗で、期待されていた伽藍復興費用の捻出がかなわなかった。結果的に、このことが近代、生き残りをかけて皇室へ宝物を献納するという法隆寺の決断へとつながっていったと思われる。

 

東京国立博物館・展示・法隆寺宝物館

 

 

さらに知りたい時は…

『聖徳太子と法隆寺』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2021年

『金剛鈴と金剛杵』(『日本の美術』541)、関根俊一、ぎょうせい、2011年6月

『明王 怒りと慈しみの仏』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2000年

『五大明王像』(『日本の美術』378)、中野玄三、至文堂、1997年11月

『法隆寺献納宝物』(展覧会図録)、東京国立博物館、1996年

『仏像をあらわした金剛鈴』(特別陳列図録)、奈良国立博物館、1988年

「仏像鈴所顕の五大明王像」(『美術史』61)、岡崎譲治、1966年

 

 

仏像探訪記/東京都