長光寺の地蔵菩薩像と常楽寺の如来坐像

長光寺地蔵菩薩像は年2日開扉

長光寺地蔵堂
長光寺地蔵堂

住所

稲沢市六角堂東町3丁目2-8(長光寺)

稲沢市日下部東町3-29(常楽寺)

 

 

訪問日 

2019年2月24日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

稲沢市の国指定文化財・鉄造地蔵菩薩立像

稲沢市の県指定文化財・木造如来坐像

 

 

 

長光寺(六角堂)について

名古屋駅からJR東海道本線の岐阜、米原方面行き各駅停車に乗車し2駅、清洲駅で下車。ほぼ線路に沿い、北北西方向に15分ほど歩いたところに長光寺はある。お寺の入口は東側。

かつては法相宗で、真言宗を兼修するお寺であったというが、室町時代に臨済宗に転じた。

 

立派な楼門(仁王門、江戸時代後期)をくぐると、境内の中央に六角形のお堂が建っている。地蔵菩薩をまつる地蔵堂で、室町時代後期、1510年の建築だそうだ。

軒を深くとり、放射状にたくさんの垂木を巡らせた美しい建物である。六角形や八角形のお堂を円堂ということがあるが、八角形のものは法隆寺夢殿をはじめとして比較的多い。六角形のお堂も比較的簡素なものは時々見られるが、これほど堂々とした六角堂は珍しいと思う。

 

お堂は東面し、奥の面に地蔵菩薩像と脇には童子像2体が安置される。正面の格子戸の一部から中が見えるようになっていて、普段もここから拝観できるようだが、よく見るのは難しい。

年に2日、2月24日と8月24日の午前にお地蔵さまのご縁日(地蔵会)として、お堂の左右の扉が開かる。筆者は9時すぎに着いたが、開扉されたところだったようで、堂内で拝観させていただくことができた。

拝観料等の設定は特になかった。

 

 

長光寺地蔵菩薩像の印象

地蔵菩薩像は、像高約160センチの立像。珍しい鉄製の仏像である。台座に銘があり、1235年の作とわかる。

愛知県は比較的鉄仏が多い。本像はその中でも古く、優作であることで知られる。鉄の鋳造は銅に比べて難しく、それだけになぜこの素材が選ばれたのか不思議でもあるのだが、全国にまで視野を広げてもこの像は最もすぐれた仏像の1つといえると思う。

技法的にも、手足など別につくってつないでいるのでなく、全身を一度に作り上げている。前から見たところでは、鋳直したり、継いだり、バリが残ったりしているところがなく、奇跡のように美しい姿である。

 

顔は小さく、体は細身で長い。美しいプロポーションである。しかし、近寄って見ると、細くしなやかという以上に、しっかりとして頼もしい印象である。

左手は曲げて宝珠をささげ、右手は腰のあたりで錫杖を持つ。

下半身の衣は自然で、ひだの流れも美しい。

顔だちも美しく整う。眉はあまり上げず、目は切れ長にして、目尻と眉がこめかみの方へと続いていくさまも優美である。口はあまり大きくないが、くちびるは上下ともしっかりと厚みをもってつくられ、あごもしっかりとつくる。

 

 

常楽寺について

常楽寺は曹洞宗の寺院で、創建は桃山時代。

場所は、JR清洲駅の北西徒歩約10分、または近鉄名古屋線の大里駅から東へ徒歩約15分。

筆者は長光寺の拝観ののち、南へ徒歩およそ10分で移動できた。

 

このお寺には、平安時代の如来形坐像が伝えられている。お寺の成り立ちよりもずっと古く、このお寺に安置されるに至った経緯は不詳で、尊名についても明らかでない。織田信長がどこかのお寺から持ってきてしまったとか、この近くにあった国分寺に関係するのではなどといった推測もあるようだ。

 

如来坐像は本堂に向かって左側のお堂に安置されている。

事前に電話を入れておいたところ、お堂を開けてくださっていた。明るい堂内でよく拝観させていただいた。志納。

 

 

如来坐像の印象

像高はおよそ140センチ。堂々たる半丈六坐像である。ヒノキかと思われる針葉樹の材の寄木造の像である。

頭部は大きく、螺髪は小粒。眉はあまり上げず、目はよく見開き、大きい印象である。鼻筋はよく通る。口は小さめで若干正中線からずれているように感じられるが、これも動きをはらんでいるようで、面白い。頬は丸まるとは張らず、だからといってきびしく引き締まっているというのでもない。

ややなで肩。

衣のひだは浅めだが、なかなかにぎやかに刻まれている。

施無畏与願印、左足を上にして足を組む。

基本的には定朝の様式の像と思うが、奥行きがあり、横顔の印象はなかなかに頼もしい。

 

 

如来坐像の目について

このお像の最もユニークなところは目である。内ぐりの面から金属板を当てている。これを止めるための当て木は後補であるが、目そのものは後補なのか当初の工夫であるのか、判断が難しい。

もしも当初のものとすれば、玉眼と一部共通する技法ということができる。水晶でなく金属を用いて目をつくりだしている像として、ほかには広隆寺の秘仏の聖徳太子像(1120年)がある。玉眼が主流になったために忘れられてしまった技法ということになろうか。

本像の目が当初の工夫ということであれば、大変貴重な遺作ということになる。

 

 

さらに知りたい時は…

『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』5、中央公論美術出版、2007年

『鉄仏』(『日本の美術』252)、佐藤昭夫、至文堂、1987年5月

『日本の鉄仏』、佐藤昭夫・中村由信、小学館、1980年

『新修稲沢市史 研究編2 美術工芸』、新修稲沢市史編纂会事務局、1979年

 

 

仏像探訪記/愛知県

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