海徳寺の阿弥陀如来像

  丈六仏、伊勢から渡海

住所

碧南市音羽町1-60

 

 

訪問日 

2008年8月23日

 

 

 

拝観までの道

名鉄名古屋本線の知立(ちりゅう)駅から三河線という支線に乗り替え、約35分。終点の碧南(へきなん)という駅に着く。

矢作川河口部に位置し、海にも近く、港町として繁栄した町である。駅を降りて西から西南にかけては寺町となっている。その中に海徳寺というお寺があり、平安時代の丈六の阿弥陀如来坐像を本尊としている。

 

事前に電話をしたところ、日中であればいつも本堂をあけているので拝観できるとうかがったが、筆者が着いた時にはご法事が行われていた。終わるのを待ってお堂にいれていただき、拝観することができた。また、ご住職からいろいろなお話を聞くことができた。

 

 

拝観料

志納

 

 

仏像のいわれ

この寺の本尊阿弥陀如来像(地元では大浜大仏とも呼ばれている)が本堂に安置されたのは、近代になってからのことである。

近代初期の神仏分離とそれにともなう廃仏運動によってたくさんの仏像がこわされたりしたが、伊勢神宮のある現在の三重県ではそれが特に激しかった。

商用で松阪に来ていた三河国大浜(現在の碧南市)の商人がこの話を聞き、集金した金で数十躰の仏像を購い、海路三河へと仏像を運んだ。その中で最も大きいこの丈六仏を海徳寺の本尊に、またその他の仏像は海徳寺の前の一行庵や海徳寺の檀家の人々に分けたという。

陸路では遠い両地域も、漁業や海運を通じて海での行き来は盛んであったということがあったからだろうが、篤志家の活動によって貴重な仏像が今日に伝わることになったのである。

 

 

拝観の環境

拝観は外陣からであり、やや距離があるが、仏像が大きいので十分よく拝観できる

 

 

仏像の印象

丈六というのは1丈6尺の略で、5メートル近い大きさである(坐像の場合は2メートル50センチ前後になる)。これが実は仏の大きさの標準で、その大きさによって仏の偉大さを表現している。しかし、標準といっても実際にこの大きさで仏像を造るということは容易でなく、仏像めぐりの旅を続けていてもそう出会えるものではない。

仁王門をくぐると正面が本堂であるが、もうその時点で丈六の本尊像が見えている。胸だけ。あまりに大きすぎて、顔は見えない。本堂に上げていただき仰ぎ見ると、光背の先端は梁に隠れて見えない。このお堂はお寺の本堂としては決して小さなものではないが、それだけ丈六仏というのは大きいということだ。

 

顔は丸く、目鼻立ちはくっきりしているが、全体としては鷹揚な感じである。螺髪は小粒。胸はゆったりと大きく、腰はくびれてメリハリがある。左肩からの衣文は流麗で、衣の薄さがよく表現されている。全身は金箔で輝いているが、これは近世のもの。胸に卍の印があるが、当初からのものかは不明ということであった。

 

平安後・末期の定朝様式の仏像であるが、後補の金箔のためにその時代のものと断定できずにいたらしい。

2002年に調査が行われて像内を調べたところ銘文が見つかり、1134年から1136年にかけて菩提山神宮寺の本尊としてつくられたことがわかった。この菩提山神宮寺とは、奈良時代に伊勢神宮内につくられた大神宮寺の後身という。平安後期に復興され、その時造像されたのが本像であるが、神仏分離とそれに伴う廃仏によって寺は廃絶した。

この銘文の発見によって、この仏像はたしかに平安時代後期の作であるというだけでなく、旧伊勢神宮の神宮寺本尊という非常に由緒ある像であることが明らかになったわけである。

なお、木の寄せ方は、1148年の銘がある京都・三千院の阿弥陀如来像などと共通しているという。台座、光背は後補。

 


阿弥陀如来像以外の仏像

本尊に向って左側には、3尺の阿弥陀如来立像が安置されている。実は近代初期に現本尊が迎えられるまで、この像が本尊だったそうだ。残念ながらこちらの像は、暗い上に距離があり、よく拝観できない。

 

仁王門に安置されている仁王像もまた、伊勢の菩提山神宮寺の仁王門に安置されていた像。

像高は2メートルを越える堂々たる仁王像で、ヒノキの寄木造、鎌倉時代のものと推定されている。

 

 

その他1

海徳寺仁王門の前に「一行庵」という仏堂がある。これは江戸時代につくられた念仏道場のようなところで、現在も個人管理なのだそうだ。ここに数躰の仏像が安置されているが、これらの像の多くも伊勢から来たものである。ただし像高50センチ弱の阿弥陀坐像は、伊勢からの渡海仏と交換で岡崎の寺から来たものだそうだ。このように伊勢から渡って来た仏像の中には、この地からさらに他の寺院へ移って行ったものも多いらしい。海徳寺の住職のお話では、運ばれて来た数十躰の仏像について、その全体像や今どのように分布しているか等、調査は十分でないという。近くの個人宅の中には仏壇と釣り合わない大きさの仏像をお持ちの方がいて、こうした仏像も渡海仏ではないかということであった。

一行庵については、ガラスがはめ込まれて覗けるようになっているが、中は暗く、よく拝観することは難しい。

 

 

その他2

海徳寺から300メートルほどのところにある称名寺には、平安時代中期とみられる古様な聖観音像が伝わっている。尾張のお寺から移って来たのだそうで、境内の収蔵庫の厨子中に安置され、毎年1月17日に30分ほど開扉されるのだそうだ。

 

 

さらに知りたい時は…

『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年

『仁王』、一坂太郎、中公新書、2009年

『ふるさとの仏像をみる』、内田和浩、世界文化社、2007年

「伊勢・菩提山神宮寺旧在の仏像」(『愛知県史研究』9)、伊東史朗、2005年3月

「新指定の文化財」(『月刊文化財』477)、文化庁文化財保護部、2003年6月

『碧南の文化財』(『碧南市文化財』第10集)、碧南市教育委員会、2003年

 

 

→ 仏像探訪記/愛知県

 

仁王像
仁王像