真福寺の阿弥陀像・観音像

  端正で若々しい鎌倉仏

住所

小鹿野町大字河原沢442

 

 

訪問日 

2008年11月23日 

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

小鹿野町ホームページ・文化財2

 

 

 

拝観までの道

秩父には34カ所の観音霊場めぐりがあり、その2番が真福寺(秩父市)であるが、ここで紹介するのは、それとは別の小鹿野町(おがのまち)の真福寺である。

 

小鹿野町は埼玉県の最西部にある。西武秩父駅または秩父鉄道の秩父駅から西武観光バス小鹿野車庫行きで約40分、「小鹿野役場」に着く。そこで西武観光バス坂本行きに乗り換える。このバスの本数は1日数本しかない。

町の東にある小鹿野町役場から西の県境の方へとバスに乗ること30分、終点の坂本の2つ手前、「小金平」で下車。バスが行ってしまった先には屏風のように切り立った山並みが見え、あの向こうが群馬県だとわかる。 

 

西武バス・乗合バス時刻表

 

真福寺は下車したバス停から徒歩で5分ほど。地元の方が管理しているお寺である。

拝観のお願いは、小鹿野町教育委員会社会教育課へ連絡する。

住所や所属、拝観の目的(本や論文の執筆のためでなく、あくまで拝観することそのものが目的であること)など、町教委のご担当の方を通じて連絡をしたところ、こころよく受けてくださった。当日は、連絡した時刻にお堂を開けて待っていてくださり、歓待してくださった。

 

 

拝観料

志納

 

 

仏像のいわれ

伝来は、現在この真福寺の本尊であるという以外は不明である。

なお、阿弥陀像の底板に江戸中期の修理銘があり、そのなかに「長正院」という言葉が出てくるが、これは近くにあった長松院(廃寺)のことと考えられ、長松院に何らかの関係があった仏像とも考えられる。

 

 

拝観の環境

阿弥陀如来坐像と観音菩薩立像は、厨子内ではないがお堂の奥、天蓋などの陰になるところに安置されている。やや暗いが、近くよりよく拝観することができた。

 

 

仏像の印象

阿弥陀如来像は、像高90センチ弱の坐像。ヒノキの寄木造で玉眼。元は金箔で仕上げられていたと思われるが、現在はほぼ素地をあらわしている。

若々しい顔つきで端正な印象の魅力的な像である。肉髻はやや低くあらわされ、螺髪の生え際は中央で下方に若干カーブする。上半身は高さがあり、膝の左右への張りは十分で安定感があるが、膝の高さはやや低めである。衣の流れは自然であるが、力強い感じではない。足先が衣にくるまれているのは古様である。

全体的に慶派の特色をもつ像であるといえる。運慶の時代の次の次の世代くらい、鎌倉時代の中期ごろの作であろうか。

それにしてもこれほどの像が、この山間地に残っていることは非常に不思議である。慶派の仏像をまつることは鎌倉御家人にとってステイタスであった時代背景を考えると、地域の有力武士による造像であろうか。この付近にも武蔵七党と総称される武士団が勢力をもっていたことが知られているので、そうした武士団の流れを汲む御家人による造像である可能性がある。

 

聖観音像は像高1メートル余りの立像で、本尊に向って右側に安置されている。ヒノキの寄木造で、玉眼。顔は張りがあり丸いが、体はすらりと長く、衣は自由闊達である。宋風であろうか。本尊同様、鎌倉時代の作である。飾りなどは後補。

本尊と同時期と思われるのでその脇侍であった可能性もあるが、その場合手の上げ方や腰のひねりから考えて右脇侍(向って左側に立つ)と考えられ、そうすると本来は勢至菩薩像であったのかもしれない。

 

 

さらに知りたい時は…

『鎌倉時代造像論』、塩澤寛樹、吉川弘文館、2009年

『埼玉県指定文化財調査報告書』第15集、埼玉県教育委員会、1986年

「小鹿野真福寺の鎌倉仏」(『埼玉文化史研究』12)、林宏一、1980年

 

 

仏像探訪記/埼玉県