正法寺の阿弥陀如来像

春秋に各数日公開

正法寺法雲殿
正法寺法雲殿

住所
八幡市八幡清水井73


訪問日 
2023年5月20日


この仏像の姿は(外部リンク)
正法寺ホームページ・みどころ



拝観までの道
八幡(やわた)市は、すぐ西隣は大阪府という京都府西南部にある。京阪線石清水八幡宮駅の南側の男山には石清水八幡宮があり、正法寺はその東南の麓に位置する。
交通は石清水八幡宮駅から京阪バスに乗車し、「走上り(はしあがり)」下車、南に徒歩約5分で着く。

普段は非公開だが、春秋に各数日間公開され、日程はお寺のホームページにて告知される。2023年は4月1日、2日、5月20日、21日、10月21日、22日、11月18日、19日が公開日とのことだった。その日には八幡市観光協会のガイド(やわた観光ガイド協会)の方が常駐していて、1周1時間くらいかけてご案内くださる。

*公開日の案内→正法寺ホームページ


拝観料
700円


お寺や仏像のいわれなど
正法寺は鎌倉時代前期に天台宗の寺院として創建され、室町時代に浄土宗に転じ、江戸時代以後大きく発展して今日に至る。
寺を開いたのは鎌倉幕府の御家人、高田氏で、のちに清水(志水)氏を名乗ったという。志水氏から徳川家康の側室、お亀(相応院、尾張藩主初代の徳川義直の母)が出たことから、現在の伽藍が整備されることとなった。

このお寺の法雲殿(宝物館)に安置される丈六の阿弥陀如来坐像は、鎌倉時代前期の作。説法印を結ぶ。
本像はもと石清水八幡宮西谷の八角堂に安置されていたが、近代初期の廃仏の時期に正法寺の住職がお堂ごと譲り受けて、移座したという(八角院と称していた)。その場所は正法寺の南、約1キロのところにある古墳(西車塚古墳)の上で、今も八角堂はそこに立っている。しかし、近年になりお堂の傷みが進み、仏像にも影響が出てきたため、京都国立博物館で修復を行い、しばらくの間寄託されていたそうだが、2008年に寺内に法雲殿がつくられて、ここに移座された。
なお、同じく八角院に安置されていた元三大師像(鎌倉時代)は、現在も京都国立博物館寄託となっているらしい。

 

*八角堂は2014年〜2018年にかけて修復され、面目を一新した。5名以上で、事前申し込みで堂内見学を受け付けている(問い合わせ先、八幡市文化財課)。


拝観の環境
理想的なライトのもとで、近くよりとてもよく拝観できる。


仏像の印象
像高約280センチ、ヒノキの寄木造、彫眼。
雄渾な像であるが、やや大味な印象もある。顔はやや面長で、目・眉は長く、鼻は大きく力強い。肉髻は低め、髪際は正面が若干カーブして下がっている。上半身はがっしりとたくましく、説法印は胸のあたりより下めに組んで、重心を下げている。脚部は左右によく張り、安定感を出している。
表面は傷みが進んでいるが、肉身は漆箔、衣は彩色でしあげられていた。

本像は石清水八幡宮の古記録より検校という役職にあった祐清が造立し、その年代は建保年中(1213~1219年)という。祐清の譲り状に「丈六堂寺用料」とあるのが八角堂のことをさしており、それが快慶らによって再興された長谷寺十一面観音像に関する項目の前にあることから(同文書の項目は基本的に年代順になっている)、本像の造立が長谷寺像再興の1219年よりも前であることの傍証となっている。
作者についての記録はない。この頃、石清水八幡宮関連の造像を多く担っていたのは院派仏師であるが、本像の雄渾な作風から慶派仏師ではないかと推測されている。願主の検校祐清と快慶の間に接点がある(快慶が石清水八幡宮に奉納した八幡神画像に祐清の名が記されている)ことから、本像の作者は快慶ないし、その周辺の仏師ではないかと考える説が有力となっている。


正法寺本堂の仏像
本堂本尊の阿弥陀三尊像は、中尊は来迎印を結ぶ坐像で、像高約1メートル、脇侍は大和座りをする来迎の三尊像である。中尊はまるまるとした顔つきで堂々と座り、脇侍は前傾したり来迎のスピード感にこだわったりはせず、落ち着いた作風である。本寺が創建された鎌倉前期ごろの作と考えられている。

本尊に向かって左奥の脇陣に安置されている阿弥陀如来像は、像高約110センチの立像。一木造でがっしりとした体つきをしており、平安時代中期にさかのぼる古像である。
これらの像は外陣からの拝観であり、やや遠目となる。


善法律寺の仏像
善法律寺(ぜんぽうりつじ)は、石清水八幡宮駅と正法寺の間にある律宗寺院。正法寺から北へ徒歩約10分、駅からは15分くらいで着く。
紅葉で有名なお寺で、鎌倉時代、石清水八幡宮のゆかりの寺院として創建された。室町時代には足利将軍家との関係があり、保護されたという。
本堂は江戸時代の再建。本尊は近代初期に石清水八幡宮から移された八幡大菩薩像で、平安期の定朝様式の地蔵菩薩坐像の姿形をしている。おそらく、もとは地蔵としてつくられ、神仏習合の像として信仰されるようになって、今もそれを受け継いでいるということだと思われる。

本堂の左右には、中世の迫力ある愛染明王像と不動明王像が安置されている。
また、本堂の裏手に接続して、奥殿(阿弥陀堂)があり、拝観できる。本尊の宝冠阿弥陀如来像は南北朝時代ごろの作といい、これも石清水八幡宮から移されてきた像という。脇仏には平安時代の地蔵菩薩像、鎌倉時代の千手観音像が安置されている。

筆者がうかがった5月20日と翌日の21日は、特別公開日となっており、正法寺と同様に観光ボランティアの方が説明をされていた。拝観料は500円。こうした公開日以外でも予約をすれば拝観ができるかもしれない。

 

善法律寺ホームページ


さらに知りたい時は…
『仏師快慶の研究』、奈良国立博物館編、思文閣出版、2023年
『特別展 快慶』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2017年
「仏師快慶と石清水八幡宮」(『日本宗教文化史研究』29)、青木淳、2011年7月 
「石清水八幡宮祐清造立の阿弥陀像と解脱房貞慶--八幡市正法寺(八角院)阿弥陀如来坐像に関する一史料をめぐって」(『文化史学』65)、杉崎貴英、2009年11月
「湛慶世代の作風展開について--京都正法寺(八角堂)阿弥陀如来坐像、京都西園寺阿弥陀如来坐像を中心に」(『京都大学文学部美学美術史学研究室研究紀要』22)、 松岡久美子、 2001年
「石清水八幡宮と神仏分離」(『日本工芸美術』660)、伊東史朗、1993年9月
『八幡文化のふるさと』、八幡市教育委員会、1991年


仏像探訪記/京都府

善法律寺
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