来迎院・寂光院・古知谷の阿弥陀寺

  平安~鎌倉時代の仏像と出会える3か寺

来迎院本堂
来迎院本堂

住所

京都市左京区大原来迎院町537(来迎院)

京都市左京区大原草生町676(寂光院)

京都市左京区大原古知平町83(阿弥陀寺)



訪問日 

2015年3月29日



大原の来迎院

京都、出町柳、四条河原町、国際会館の各駅から出ている京都バスで「大原」へ。バス停から東へ10分足らずで三千院の前に出る。そこからさらに東へ坂をのぼること約5分、来迎院に着く。

観光客が途切れることなく訪れる三千院とは対照的に、静寂な雰囲気のお寺である。

拝観料は400円。


12世紀はじめに良忍が開いたと伝える。良忍は比叡山を出て大原に隠棲し、天台声明を大成するとともに、融通念仏の教えを確立した方である。

裏手には良忍の墓とされる三重石塔があり、拝観できる。



来迎院本堂の三仏

本堂は室町時代後期以後に再建された建物。入母屋造で軒を大きく出す。山里のお寺らしい小ぶりで落ち着いた雰囲気のお堂である。

本尊は薬師如来を中尊に、阿弥陀、釈迦を左右に配した三仏で、いずれも平安時代後、末期の作。三尊とも坐像。像高は薬師像が約90センチ、阿弥陀、釈迦の両像は約60センチ。上半身をゆったりとって、静かに座る。


堂内で拝観できる。ライトはあるがやや暗い。筆者がうかがった日は雨模様であったので、より暗く感じられたのかもしれず、青天の日であればまた印象は違っていたかもしれない。


光背、台座は新しいが、中尊の前の卓は中世のすぐれた作である。


寂光院本堂
寂光院本堂

寂光院について

寂光院もバス停「大原」から徒歩約15分のところだが、三千院や来迎院とはバス停をはさんで反対側、北西方向にある。天台宗の尼寺で、建礼門院徳子ゆかりの寺院として名高く、拝観客も多い。

拝観料は600円。


桃山時代に再建された本堂に鎌倉時代の半丈六の地蔵菩薩立像(寄木造、彫眼)が安置されていたが、2000年の火災のために焼けてしまった。放火であったという。現在の本堂と本尊はその後に再興されたものである。


寂光院ホームページ



寂光院旧本尊地蔵菩薩像の納入品

本堂、建礼門院の庵の跡を拝観したのち石段を下ると、宝物館(鳳智松殿)の前に出る。旧本尊の像内納入品が展示され、ガラス越しながら間近で見ることができる。また、本堂の火災を伝える新聞なども掲示されている。


当時の写真を見ると、焼け落ちた本堂の中、本尊は表面はひどく焼損しながらも、力強く立ち続けている。その姿は感動的である。

これは適切な消火活動のためという。高圧の水を直接かければ、当然像は崩れ落ちただろうが、消防隊がそうしなかったのは、普段からの訓練のたまものであり、京都ならではの文化財に対する理解の深さゆえであったのだろう。今、旧本尊は表面処理を施されて、寺内の収蔵庫に安置されている(毎年5月と11月に数日間の特別公開期間を設けているほかは非公開)。


旧本尊像の納入品には、1229年の年の入った造立願文、経典類、数百躰もの小地蔵尊像などがある。

これらはもとは無造作に像の中に籠められていたそうだが、20世紀後半に行われた修理の際、いくつかの桐の箱に詰められて納められた。この桐の箱が納入品を火から守る役割を果たした。

小地蔵尊の大きさは数センチから十数センチ。小さく、また経年の劣化と火災の影響のためくすんでいるものが多いが、中にはつくられた当初の鮮やかな彩色や切金が見られるものもある。

当時の人の地蔵菩薩への厚い信仰が偲ばれる。


阿弥陀如来像(阿弥陀寺本堂安置)
阿弥陀如来像(阿弥陀寺本堂安置)

古知谷の阿弥陀寺

大原の里のさらに北、古知谷(こちだに)という山間に阿弥陀寺がある。

国際会館駅から小出石行き京都バス(19系統)で「古知谷」下車(「大原」以北はバスの本数は少ない。「大原」から「古知谷」へ、歩くと30分弱である)。

 

「古知谷」バス停からバス進行方向に少し行くと、左手に阿弥陀寺の駐車場がある。駐車場の奥からお寺へと続く道があるので、15分くらいその道を行く。緑の中を歩いているとすがすがしく、心まで洗われるようだが、次第に上り坂が急になって、息が苦しくなったころにお寺に着く。

拝観料は400円。

 

このお寺は江戸時代初期、弾誓(たんぜい)上人という方が開いた念仏道場に始まるという。本堂本尊は上人自刻の像といい、立ち姿で、ひげをはやし、袈裟をつけ、合掌する。また石廟には即身仏となった上人がおさめられていると伝える。

 

 

阿弥陀寺本堂安置の阿弥陀如来像

大きく静かな本堂の中は、とても落ち着く空間である。

本尊に向かって右手奥に阿弥陀如来像が安置されている。ライトがあり、姿がよくわかる。

像高は約70センチ、定印の阿弥陀如来坐像。ヒノキの寄木造。

螺髪の粒は細かく、よく整い、肉髻は半球のように盛り上がる。ほおからこめかみへの曲面は、当時の仏師の人を超越した仏の顔立ちをつくりだしたいという願いが伝わってくるようだ。

大きな上半身、安定した座り姿は定朝様をよく受け継ぐが、衣は一本一本の襞がしっかりと彫り出され、鎌倉時代に入っての作かと思われる。

 

 

さらに知りたい時は…

『寂光院』(『新版 古寺巡礼 京都』38)、淡交社、2009年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』4、中央公論美術出版、2006年

『最澄と天台の国宝』(展覧会図録)、京都国立博物館ほか、2005年

「清凉寺・寂光院の地蔵菩薩像と『五境の良薬』」(『仏教芸術』234)、奥健夫、1997年9月

『三千院』(『古寺巡礼 京都』17)、淡交社、1977年

 

 

仏像探訪記/京都市