建物も鑑賞したいミュージアム・戦後編

国立西洋美術館本館
国立西洋美術館本館

 

国立西洋美術館本館

 

 博物館・美術館が集中する上野公園の中で、この建物は決して目立つ方ではない。それほど大きくもない。ひたすら四角い箱で、外壁は緑色系の石が貼られている。よく見ると建物の上部中央に三角形に飛び出た部分があることがわかる。また、近づくと、入口のある1階部分にはかなり広くピロティがとられている。なにげない空間だが、暑い日や雨の日はここで一息つける。

 この建物、国立西洋美術館の本館(1959年完成)は、20世紀建築界の巨人、ル・コルビュジエの日本における唯一の作品なのである。

 

 この館を語るためには、どうしても松方コレクションのことから始めなくてはならない。

 第一次世界大戦による好況下、川崎造船所(現川崎重工の前身)社長・松方幸次郎は、船舶の売り込みの傍ら、ヨーロッパ各地で絵画を収集した。彼は海軍省からの密命を受けていた時期もあったらしく、絵画収集はその隠れ蓑であったともいわれるが、集めた西洋美術の数は半端ではなく、二千点にも及ぶ。

 彼はコレクションを広く公開するために美術館の建設を夢見るが(「共楽美術館」と名前を決め、建設模型まで作っていた)、一転、戦後不況でそれどころではなくなる。コレクションの一部は売り立てられて散逸し、他の一部は後にロンドンで倉庫とともに焼失、最後に残ったものも第二次大戦の終了とともにフランス政府によって敵国資産として凍結されてしまった。日本はサンフランシスコ講和条約で旧連合国への請求権を放棄したため、この最後の松方コレクションは正式にフランスの所有に帰した。

 このように一度は法的に決着済みとなったコレクションだが、結局フランスはそのほとんどを日本に返還する。そして、この返還された松方コレクションの展示のためにル・コルビュジエに設計を依頼し誕生した建物が、国立西洋美術館本館なのである(この事実は、本館2階に上がった正面に掲示、説明されている)。

 

 前置きが長くなったが、この建物に入ってみることにしよう。

 1階正面の常設展示場入口を抜けると、そこはロダンの作品などの彫刻がならぶ展示室である。ここはコルビュジエが「19世紀ギャラリー」と名付けた吹き抜けの空間で、外から見えた三角の部分の真下になる。そこから自然光を取り込んでいるが、直射でなく、黒々としたブロンズ彫刻を鑑賞するのにすぐれた空間となっている。一時ここが動線の関係で出口になっていたこともあったが、現在では本来のとおりに入口に戻されている。

 スロープで2階へと進む。このスロープ(斜路)はコルビュジエの建築によく見られ、アーメダバード美術館(インド)などコルビュジエ作の他の美術館でも同様の作りである(なお、コルビュジエは生涯に3つの美術館をつくったが、うち2つはインドにあり、残るひとつがこの西洋美術館本館である。3つの中で、西洋美術館本館が若干小規模である)。

 2階は吹き抜けの空間をぐるりと囲んでおり、とぎれのない回遊空間となっている。どこからどの方向を見ても同じような風景で、実際にはそれほど広くないにもかかわらず、大きなスペースを進んでいるように感じさせる。内装は柱を含めてコンクリートの打ちはなしだが、なめらかな仕上がりである。柱には松の型枠の跡がかすかに残る。荒々しさよりも丁寧さを求めた仕上げは日本側からの提案で、コルビュジエはこれをその国の風土にあったものでよいとして認めたのだそうだ(このコンクリートのやわらかな風合いはコルビュジエの建築の魅力を減じさせたといった批判もある)。

 

 コルビュジエが考え出した、建築の寸法を決めるための単位に「モデュロール」というものがある。これは人間の体の大きさをもとにしてサイズを決めていくという考えで生まれたもので、例えば、人間が立って腕を上にあげると226cmとなり(ただしヨーロッパの男性を基準としているのだが)、これを天井の高さとするといったやり方をコルビュジエはとった。この美術館の2階は高い部分と低い部分が組み合わされているが、低い天井は226cm、高い天井はその倍の高さとなっている。また、外壁や前庭の石畳の大きさ、柱間の幅もモデュロールにもとづいて決められているという。

 

 松方コレクションの中心は、19世紀後半~20世紀初頭の絵画である。松方は、すでに評価が定まった一時代前のものを高価な値段で少数買うというのでなく、同時代美術を果敢に購入したのであり、その姿勢は評価に値すると私は思う(「玉石混淆」といった批判も多いが)。そういうわけで開館時国立西洋美術館は1800年以前の西洋絵画をほとんど持たなかったが、その後この部分を補強するように積極的に収集した結果、現在では、本館では18世紀以前の絵画を展示し、のちに本館に連結してつくられた新館(コルビュジエの弟子であった前川國男が設計)に19世紀・20世紀の作品は展示されている。結果的に、コルビュジエの建物と松方コレクションという組み合わせが崩れてしまっている(19世紀ギャラリーを除いて)のは残念である。

 今ではこの西洋美術館本館では、日本の他の美術館ではなかなか見ることのできない14~18世紀の西洋絵画を鑑賞できる貴重な場となっている。

 

→ 国立西洋美術館ホームページ

 

*台東区上野公園7−7(JR上野駅公園口を出てすぐ)。休館日は原則月曜日。金曜日には開館時間が20時まで延長される。

 

付記1)法的には返還する必要のない松方コレクションを日本に戻す決定をし たフランスの態度からは、学ぶべきところが大きいように思う。例えば、日本とアジア諸国との関係に置き換えれば、たとえ請求権など法的問題が終わっているとされる分野についても、日本は国家としてできることがまだ多くあるのではないかとの思いを持たざるを得ない。

 

付記2)松方コレクションの成立については、『幻の美術館 甦る松方コレク ョン』(石田修大、丸善ライブラリー、1995年)が分かりやすい。ほかには、「松方幸次郎とその美術館構想について」(湊典子、『Museum』395・396、1984年)も。

国立西洋美術館本館の成立については、『ル・コルビュジエと日本』(高階秀爾編、鹿島出版会、1999年)の中の「キュービストがつくった芸術容器-国立西洋美術館におけるル・コルビュジエと日本の弟子たち」 (藤木忠善)が詳しい。これを読むと、ル・コルビュジエの設計はいかに実現したか、またどの部分がなぜ変更されたのか、実現しなかったのかがよくわかる。また、国立西洋美術館の展覧会図録『ル・コルビュジエと国立西洋美術館』(2009年)には文献一覧が掲載されている。

 

付記3)ル・コルビュジエについての専門のミュージアムとして、ギャルリー・タイセイがある。小さいが、建築に詳しい人もそうでない人も楽しめるよう、よく練った展示がなされている。新宿センタービル内にあったが、現在は横浜市に移転。→  ギャルリー・タイセイのホームページ

 

付記4)国立西洋美術館本館は2007年12月、重要文化財指定を受けた。戦後建築の指定としては、2006年の広島平和記念資料館と世界平和記念聖堂につぐものである。さらに、現在フランス政府が世界23カ所のコルビュジエ建築について「ル・コルビュジエの建築と都市計画」として世界遺産登録を目指しており、国立西洋美術館本館もそのひとつに入っている。(残念ながら2009年には登録を見送られた。)

 

 

 

那珂川町馬頭広重美術館

 

 栃木県にある那珂川町馬頭広重美術館は、同県出身の実業家・青木藤作氏が収集した浮世絵四千数百点が遺族より馬頭町(当時)に寄贈されたのを受け、その収蔵・展示のために設けられた美術館である。開館は2000年(馬頭町広重美術館として開館したが、町の合併に伴い2005年より現在の名称となった)。建物は気鋭の建築家隈研吾氏の手になる。

 「馬頭役場前」でバスを下りるとまもなく美術館が見えてくる。2つの展示室を中心にした平屋の美術館なので決して大規模な館ではないのだが、大きく見える。特に大屋根の存在感が印象的である。屋根と外壁には細い杉材が等間隔に取り付けられていて、これが遠くから見たときの力強い印象、近くで見たときの柔らかい印象をもたらしている。このような、間隔を開けて取り付けられる部材を建築の用語でルーパーというそうだ。この杉は一見したところふつうの角材のようだが、様々な処理によって火や劣化に強い「準不燃相当」の材質となっているということだ(『隈研吾/マテリアル・ストラクチュアのディテール』、隈研吾建築都市設計事務所編著、彰国社、2003年)。

 道路側に設けられた駐車場の横を通り、美術館の正面へ。そこから奥の側にいったん回り込むように設けられた動線に沿って来館者は入場する。奥の側は石が敷かれ、その先が木立となっており、馬頭の自然と出会いながら美術館へと入場していく演出である。また、前述のルーパーに用いられている杉は八溝杉という地元産のものだそうだが、ほかにも地元の自然素材(和紙・石材)が使用され、これも特徴としてあげられよう。

 浮世絵の展示のため照明はおさえられているが、見やすく工夫されている。

 

→  那珂川町馬頭広重美術館ホームページ

 

*宇都宮駅または氏家駅から東野バス。本数が少ないので要確認(ホームページにバス時刻表掲載)。原則月曜休館、ほかに展示替え期間や年末年始は休み。

 

 

 

 

 

金沢21世紀美術館

 

 金沢21世紀美術館(2004年10月開館、設計は妹島和世と西沢立衛)の建物は、直径110メートルの円形をしていて、周囲はガラス、天井は薄く、巨大な円盤が降りたったようにも見える。ガラスという素材ならではの開放的な雰囲気があり、実際四方からアプローチできる。その中に無料ゾーンと有料ゾーンが組み合わさっている。大きさ、天井高も大小の展示室が積木の箱のように配され、この展示室の壁面が耐震も含めて建物全体を支える構造となっている。展示室と展示室の間が通路となってそれぞれを結んでいるのだが、やや迷路のようでもある。順路が分かりにくい、自分がどこにいるのか分からなくなり不安であるという声もなくはない。

 だが、そうした短所を補って余りある存在感をもつミュージアムであることは間違いない。私は高く評価する。何よりこの美術館を知ってしまうと、大きな空間を展覧会ごとに仮設壁で仕切るという形の美術館が安っぽく見えてしまう。間違いなく、この美術館は現代の美術館建築のひとつの到達点であると感じる。

 

→  金沢21世紀美術館ホームページ 

 

*金沢21世紀美術館は金沢市の中心部、バス停「香林坊アトリオ前」から徒歩10分。

 

 

 

 

→ 次のおすすめミュージアムを読む   おすすめミュージアムトップへ