4-5 持国天像、増長天像の魅力

持国天像。体を大きく開き、右足に重心をかけて立つ
持国天像。体を大きく開き、右足に重心をかけて立つ

 
百花さん 持国天像は、これでどれくらいの大きさなのかな。

ゆいまくん 持国天に限らず、この四天王像は像高2メートル前後なんだ *。ヒノキの寄木造でつくられているよ。

百花さん 2メートルか。人より少し大きいサイズなのね。でも、迫力ある像だからかな。もっと大きく感じる。

ゆいまくん その迫力は、どういったところからのものかな。

百花さん どういったところからって、そうだなあ… とにかく全体的にそう思う。堂々としていて、カッコいい! 特に…目がすごい。瞳がくっきりとしていて、少し左(向かって)をにらんでいるみたい。目頭が大きく開いていて、なんかすごいことになってる。目が三角になってるっていうけど、そんな感じ。

ゆいまくん 四天王は仏教の世界を守る守護神だからね、邪悪なものに強く対峙して、怒りを表出する姿につくられているんだ。
 目頭を大きく開くのは、人の目では決してそうはならない不思議な形だけど、これは瞋目(しんもく)といって、天部の神様の怒りの表現なんだよ。くっきりと見える瞳は、水晶のようなものはめ込んでいるんだ。本体とは別の素材を用いて瞳とするのは、古代の仏像にみられる技法で、あるいは焼ける前の四天王像がそうだったのため、忠実に再現をこころみたものかもしれないね **。

百花さん 目と目の間がこぶのように膨らんでいるところ、上まぶたが波打つようになっているのもいいねー。口ひげもご立派! 口は少し開いて、あ、歯が見えている。細かいところまでしっかりとつくりあげているのね。
 見ているうちに、迫力はあるけど、それだけではないっていうのがわかってきた気がする。調和がとれているっていうか。

 

持国天像の表情。目力がすごい
持国天像の表情。目力がすごい


ゆいまくん 怒りの造形をみごとに彫り上げるっていうのは、なかなか難しいことなんだ。どことなく滑稽になってしまったり、意地の悪そうな顔に見えてしまったりすると、守護神らしくなくなってしまうからね。 

百花さん なるほどね。怒ってはいるけど、怒り狂ってはいない。強そうだけど、同時に品があるね。体の動きはむしろ抑えめで、姿勢はムッチャいい。ちょっと腰高で、右足1本に重心がかかっているのは、少し不安定にも感じられるけど、鎧兜でビシって決めて、仏教を信じるものを害する行為は絶対に許さないという揺るぎない意志が伝わってくるようだね。
 じゃあ、次は…増長天さんだね。
 おや、持国天像とは雰囲気がずいぶん違うみたい。どんぐりの形に大きく見開いた目に、鼻も立派だなー。への字にきつく結んだ口も、顔の各パーツには全部に力がこもっていて、それがまた、顔の中央に集まっている。あごは大きく張って、頭の形が台形みたいだよ。顔は赤く塗られているのかな。

ゆいまくん 四天王像は、顔の色も塗り分けられてあらわされるんだ。持国天は青緑色、増長天は赤色に塗られているね。持国天像は兜をつけていたけど、増長天像は兜を着けず、結った髪を見せているところも違っているよ ***。

百花さん なるほど~。4体の姿は少しずつ異なっていて、それがまた見どころとなっているのね。
 体の動きは、持国天像は動きが少なく、姿勢よく立っている印象だけど、増長天像は体に躍動感があるね。腰が左側(向かって右)に出て、右手は上げて高い位置で武器の柄をもっているね。それでもって、右肩は少し後方に引いているのかな。左右だけでなく、前後の動きも入っているんだね。少し動きを抑えた持国天、大きな動きをつけた増長天。こうして変化をつけることで、魅力的な群像をつくりあげていったんだ。すごいなあ。
 紐やベルトで胴を引き締めていて ****、メリハリのついた体つきになっているのもいいね。でも、細身で引き締まった体つきかなと思ったら、そんなことはないのね。斜めから見ると肉付きがよくって、堂々としている。

ゆいまくん 百花さんは、すっかり増長天像にはまったみたいだね。
 12世紀前半に大江親通という人が奈良の寺々を巡拝した『七大寺巡礼私記』という記録があってね、南円堂の四天王像について、「南方天殊勝也(増長天が特にすぐれている)」と書かれているんだ。もちろんこれは南都焼打ち前のことだから、この増長天の前身の像のことだけど、現在の像が旧像をよく写し取っているなら、今から900年近く前の人もこの姿をすばらしいと感じていたってことになるね。

ももかさん へー、昔々の大先輩も仏像を見て、こっちの像がいいねーとかそういうふうに思ったり、書き残したりしているのね。面白ーい。

 

増長天像。躍動感があり、すばらしい
増長天像。躍動感があり、すばらしい


(注)
* 像高は、持国天、増長天、広目天、多聞天の順にそれぞれ約204センチ、203センチ、205センチ、199センチ。なお、不空羂索観音像は像高約345センチ、法相六祖像は73~85センチ。

** 1181年に焼失する以前の四天王像の姿については、詳細に記録したものはない。しかし本尊の不空羂索観音像の焼失前の姿は『十巻抄』(平安末期成立の仏教図像集)などに記録があり、鎌倉期再興像は失われた像の姿を忠実に踏まえていることがわかっている。四天王像もまた、旧像の姿をよく再現している可能性は高いであろう。

*** 南円堂四天王像の肉身の色は、持国天は緑色、増長天は赤、広目天は白、多聞天も白く見えるが、これは下地の色で、本来は青系の色であった。兜については、増長天だけが着けず、他の3像はかぶっている。

**** 天部像が着ている鎧は、唐時代に発達した甲制(こうせい)がもとになっていると考えられている。しかし、それが日本の天部像に取り入れられた際、各パーツや留め方が独自に解釈され、意匠もさまざまに工夫がこらされるようにもなった。南円堂四天王像の鎧も、像ごとに形や装飾に変化がつけられており、大きな見どころともなっている。