3-2 藤原清衡が2つの戦争を生き延びた話に百花、衝撃を受ける

中尊寺の境内
中尊寺の境内

ゆいまくん さっきも言ったように、奥州というのは陸奥国の別名なんだ。陸奥、すなわち「陸の奥」って、今の言葉なら「さいはての地」とでもなるかな。都から最も遠い地として、古代の人にとっては怖れやあこがれの対象だったのだろうね。
 さて、その陸奥国が、金の産出地として大いに注目されることになったんだ。

百花さん へー、昔は金がとれたんだ。

ゆいまくん 当時は、金は鉱山を掘るのではなく、砂金を集めるという方法で得るものだったんだよ。
 時は奈良時代。聖武天皇によって東大寺の盧舎那(るしゃな)仏、今言うところの奈良の大仏造立の大事業が進められようとしていた。大仏は光り輝く姿で仕上げなければならないため、全国で金を求めたが、なかなか見つけることができなかった。中国にお願いをして得る道しか残されていないのかと思われたまさにその時、百済王敬福 *(くだらのこにきし きょうふく)が赴任先である陸奥国で産金地を発見し、黄金を献上して来た。その場所は、現在の宮城県涌谷町というところとされているんだ。

百花さん (小声で)ゆいまくん、なんだか名調子っぽくなってきたみたい。

ゆいまくん その後、さらに北の、現在の岩手県の北上川流域でも砂金を産出することがわかってきた。陸奥国には、金のほかにも毛皮や漆、名馬など、都の近辺では手に入りにくい特別な産物があり、その大地の豊かさは次第に知られるところとなっていったんだ。良質な紙の生産地でもあったようで、『枕草子』や『源氏物語』にも陸奥紙の名前が見えるんだ。
 その豊かな大地、奥州に戦乱の嵐が吹き荒れることになるんだ。それも2度も…
 ここからの話には、4つの氏族が登場してくるよ。その4氏とは、安倍氏清原氏源氏、そして藤原氏だ。この4つの氏族が関係して、2度の戦争が奥州で起こる。前九年合戦後三年合戦 ** といい、11世紀のなかばから後半にかけてだから、中央では摂関政治の全盛期から院政時代へと移っていくころのことだよ。

百花さん 前九年合戦と後三年合戦か。うーん、これも歴史の授業で聞いた気もするけど…

ゆいまくん 平安時代中期、この関山丘陵の北側、北上川沿いに設けられた奥六郡を中心に勢威をふるっていた豪族が安倍氏だ。11世紀の中ごろ、安倍氏の当主は頼良(よりよし、のち頼時と改名)といい、藤原経清(つねきよ)という人がその婿となった。

百花さん 婿ということは、安倍氏の娘を妻にしたということね。4つの氏族のうちの安倍氏と藤原氏が義理の親子として登場…と。うん、ここまでは大丈夫。

ゆいまくん 藤原経清は現在の宮城県南部地域を根拠地とし、陸奥国の役所の役人をしていたらしい ***。
 1046年、奈良の興福寺が火災で焼け落ちた。興福寺は歴史上何度も炎上しているけど、これがはじめての大火災だったんだ。興福寺は藤原氏の氏寺であると同時に国家のお寺でもあり、当時は藤原道長の子頼通(平等院鳳凰堂をつくった人物)が関白をつとめる摂関家全盛時代で、復興は速やかにはじめられたんだ。
 この興福寺復興を支えた人物の中に、藤原経清の名前があるんだ(『造興福寺記』)。おそらく彼は安倍氏との関係で金を得ることができる立場にあったのだろうね。仏像を新たにつくったり修理したりすれば、たくさんの金箔が必要となるから、経清はその調達に尽力し、興福寺の再興に貢献したのだろう。地方の一役人だった藤原経清は、安倍氏と関係を築き、富を蓄え、中央とも接点を持とうとしていたわけだね。

百花さん 地方から中央の貴族に向けて猛アピールって感じかな。その藤原経清という人、なかなかのやり手みたい。その後、出世していったとか。

ゆいまくん いや、経清の人生が順調だったのは、ここまで。というのも、強大となった安倍氏を朝廷は抑えこもうとして、経清も巻き込まれてしまうんだ。
 陸奥守(むつのかみ)として赴任してきた源頼義(よりよし)に対して安倍氏は恭順の意を示したんだけど、行き違いがあったのか、あるいは安倍氏の屈服をめざす頼義の野心が非常に強固であったためか、ついに大きな戦争が勃発してしまうんだ。これが前九年合戦だよ。
 安倍氏は源頼義の攻撃に対してよく持ちこたえたんだけど、隣国である出羽(でわ、今の秋田県、山形県)の豪族清原氏が頼義側として参戦したことで、ついに滅亡へと追い込まれてしまう。そして、安倍氏の側についた藤原経清は捕えられ、残虐に殺されてしまったんだ。

百花さん 残虐にって、どんな… あっ、やっぱりそれはいい。言わないで!
 とにかく、源氏と清原氏のために安倍氏は滅ぼされ、藤原経清は殺されたということね。

ゆいまくん  ところで、安倍頼時の娘と藤原経清との間には7歳になる息子がいた。勝利した源頼義側がとった安倍氏や経清への厳しい処断を思えば、この息子も殺されて不思議はなかったのだろうが、幸いにも助けられ、母が清原氏の一人と再婚したため、その一員として成長する。この子がのちの藤原清衡、つまり奥州藤原氏の初代となるんだ ****。

百花さん 藤原清衡の母は、自分の一族や夫を滅ぼした側の清原氏の1人と再婚したんだね。なんかフクザツ… 息子を守るために、そうするしかなかったのかも。

ゆいまくん 清原氏にとっては、安倍氏亡きあとの奥六郡を支配するにあたって、かつての覇者、安倍氏の血を引く清衡の母を妻とすることで、正統性を得ようとしたんだろうね。
 ところが、今度はその清原氏一族に内紛がおこってしまい、陸奥守としてこの地にあった源義家(源頼義の子)の介入を招いてしまうんだ。これが後三年合戦だよ。期間こそ前九年合戦よりは短いけど、その戦いはとても凄惨なもので、その結果、清原氏もまた滅亡してゆくんだ。
 藤原経清の忘れ形見、藤原清衡がどうなったかというと、安倍氏、清原氏の人々が次から次へと命を落とし、また清衡の妻子も戦いの中で殺されてしまうという悲劇の中で、彼自身はこの過酷な戦乱を生き延びたんだ。前九年合戦の時には子どもだった清衡は、この時32歳となっていた。

百花さん うーん、話が重すぎて、ちょっと辛くなってきた。
 マンガとかで、何か大きな事件があって、ただ1人生き残った主人公が荒野の中、呆然と立ち尽くすみたいなシーンがあるけど、その時の清衡ってそれそのまんまじゃん。サバイバーってことだね。

ゆいまくん 百花さん、大丈夫? 目が泳いでいるみたいだけど。

百花さん 歩き疲れた上に、話を聞いていたら頭がくらくらしてきたみたい。それにお腹もすいて、私自身が「サバイバルに挑戦」みたくなってきた。何か甘いものを食べたい…

ゆいまくん 金色堂はもうすぐだよ。がんばって。


(注)
* 698-766 滅亡した朝鮮の百済の王の子孫。749年、陸奥守であったとき、金を献上したことで知られる。

** 前九年合戦は1051年から1062年まで。後三年合戦は1083年から1087年まで。いずれも年数は9年、3年よりも長いが、なぜ前九年、後三年とよばれるようになったかは諸説あり、確定していない。なお、かつては前九年の役(えき)、後三年の役とよばれることが多かったが、これらは近代以後の呼称であり、近世以前は「合戦」が使われることが多かった。「役」は国家的な戦役のことで、朝廷が逆賊の安倍氏、清原氏を源氏を使って倒すという戦前の歴史観に基づいた呼称であるとして、近年では使われなくなってきた。

*** 経清本人かまたはその父の代に、陸奥守となった主人に付き従い、そのままこの地に根をおろしたといった推測ができるが、確かなことはわからない。

**** 清衡は1128年に死去し、その時73歳であったので、逆算によって生年は1056年とわかる。ただし、もう少し(数年)若かったのではないかとする説もある。