コラム04

秘仏 なぜ仏を隠すのか・下

 

04−1 安房の観音霊場

 

 観音札所めぐりといえば、和歌山・青岸渡寺からはじまる西国三十三所、鎌倉・杉本寺からはじまる坂東三十三観音が有名であるが、それ以外にも霊場めぐりは全国各地域にある。中には近年に設定されたものもあるが、千葉県南部の安房国の三十四カ所霊場は、ローカルな観音巡礼ながら、歴史ある霊場めぐりである。第1番の那古寺(館山市)は、坂東三十三カ所の第33番札所でもあり、いわば坂東の札所霊場に連結するように設けられている。

 この安房札所の寺々では、その本尊は秘仏となっているところが多いが、12年に2度、丑年と午年の春の1ヵ月間、それぞれの札所でご開帳が行われる。地域柄、押し寄せる人の波というほどの賑わいではないが、途切れることなく巡礼の方が手をあわせてゆく。質実で落ちついたご開帳の雰囲気は好ましく、地元の方によるお茶の接待も出て、旧交を温める方々の姿も微笑ましい。

 さて、2009年の3月から4月にかけてのご開帳の期間、私は第25番札所である真野寺(まのじ)を訪れた。境内の桜が満開で、蜜を集める蜂のぶんぶんという羽音が聞こえる、好天の土曜日だった。

 本堂の前にはこのご開帳のために立てられた角塔婆。そこに結ばれた白い布の紐に導かれて、本堂の中へと進む。紐には小袋がいくつか下げられていて、他の巡礼の方々の様子を見ていると、あらかじめ小銭を用意して来ているようで、その小袋ひとつひとつにお賽銭を上げながら本尊の前へと進んでいく。この安房の霊場ならではのことなのだろうか、それとも他の札所でも見られる光景なのだろうか。

 

 

 

04ー2  「覆面観音」という不思議

 

 白い紐は本堂内陣の開かれた厨子の中、本尊千手観音像の手に結ばれている。拝観は外陣からである。内陣の厨子の中は外からの光が届きにくく、はじめ見えにくいが、次第に目が慣れてくる。ところが、どうも本尊のお顔が尋常でない。やがてお面を着けているとわかった。

 この真野寺の千手観音像は平安時代後・末期の作。そして面は南北朝時代ころの行道(ぎょうどう)面である。行道面というのは、祭礼で諸菩薩の来迎のシーンなどに用いられる面で、もちろん本来は人がつける。それをなぜか本尊の仏像がつけている。面をつけた観音像であるので、この仏像は「覆面観音」あるいは「覆面の千手観音」などと呼ばれている。事前に入手した資料でそのことは知ってはいた。しかし、ご開帳なのだから面は外しているだろうと思い込んで出かけたのだが、そうではなかった。観音さまは面をつけてお立ちになっていたのである。

 面とは不思議なものである。人は面をつけるとその人らしさを消失し、別の何かになる。突然面をつけた人が現れれば、我々はぎくりとする。そして、それは仏像でも同じである。いや、面をつけた仏像というのは、面をつけた人よりもいっそう異様であるといえる。しかし何のために? 私はお面をつけた仏さまという不可思議で威圧感のあるお姿に圧倒されて、しばし呆然と立ちすくんだ。

 

 

 

04−3 キーワード・「強すぎる霊験」

 

 お堂から出て、札所の方に覆面のいわれをお聞きした。この観音さまは霊力が強く、昔、かえって人に災いを与えてしまうことがあったのだという(罪人に対して、あまりにも強い懲罰を与えるとも)。そこでこうして覆面をしたところ、ちょうどよくお救いくださるようになった。今でも、住職は別として、地元の人も面の下のお顔を拝んだ人はほとんどないだろうとのこと。

 人々は仏さまの持つ救済の力を頼って、お参りをする。ところがその力があまりにも強すぎると、それはそれで恐ろしいと感じるということなのか。

 「強すぎる霊験」という言葉がその時思い浮かんだ。と同時に、これが秘仏というものが存在する理由のひとつなのではないかと思いあたった。すなわち、あまりに強い救済力をもつ仏像は、場合によってその力がうっかり逸れた時には害をなすことがある。だから厨子に納め、特別な祭礼の時などを除いて開かない。この真野寺の観音さまに至っては、その力があまりに強力であるため、厨子に入れさらに面までつけた。また、お寺によっては、厨子が開いている時でも、厨子上部の陰になっていたり、帳が下がってお顔がよく拝せないということがままあるが、あるいはこれも強すぎる霊験を慮ってのことかもしれない。

 以下、思いつくままにあげると、静岡・御前崎の海福寺の十一面観音像は、かつては21年に1度21日間のみ開帳する秘仏で、開帳の際にもわずか2〜3寸だけ厨子の戸を開いたと伝える。鳥取・学行院の薬師像は、やはりかつては秘仏で、ご開帳の時にも像を直接見ずに、鏡に写して拝観したと管理されている方からお話を聞いた。中津川市・東円寺の薬師像は後ろ向き薬師と呼ばれ、馬上でお寺の前を通る人がことごとく落馬してしまうので、薬師像を本堂後陣に後ろ向きに安置したところ落馬がなくなったと言い伝えられているが、この像もかつては1年に1度の開帳仏であったともいう。

 こうした例は皆、仏像のもつ強すぎる霊験を伝える逸話と考えられる。人々は仏の救済に期待をしつつ、同時にその人知をはるかに越えた力を恐れ、厨子におさめてその外から拝んだのである。それが、秘仏というあり方を生んだ理由のひとつではないだろうか。

 

 

 

04−4 神と仏の関係の近さ

 

 しかし翻って考えるならば、観音や薬師がいくら偉大なる力を持つとはいっても、それが人に害をなすこともあるなどということがはたしてあるだろうか。そうしたことがあるかもしれぬなどと、昔の人は本当に思ったのであろうか。経典によれば、観音はあらゆる姿をとって人々を救うとあり、薬師は病苦をはじめとする現世のさまざまな苦を除いて福を授けるという。害も成しうるといったような仏説がどこにあろう。

 ところで、よく「神仏に祈る」などと言う。もともと外来である仏に対して、神は日本古来のものと考えることができる(外来と考えられる神もあるが)。そして「荒ぶる神」という言い方があるように、神は時として大いなる力で我々を圧倒する。

 これに対して本来仏にはそのような属性はなかったはずが、日本における仏教受容の過程で、あたかも神に対して感じたように、仏の強すぎる霊験を場合によってコントロールする必要を思ったのではないだろうか。そういえば、神体は多くの場合、神社の扉の奥で公開されることはない。そうした神への対し方が、一部仏像にも援用されたのが、秘仏というものではなかったか。

 

 

 

04−5 仏教の日本的受容を思う

 

 仏像をあたかも神のように扱う例はほかにもある。

 仏像が展覧会等に出される時、仏像を送り出すにあたって何が行われるのかご存じだろうか。お寺ではこの時、仏の魂を抜くための儀式を行うという。これを「魂抜き」あるいは「御魂(みたま)抜き」という。読経と焼香を中心とした20分くらいの短い法要なのだそうで、それほど特別な儀式という感じはしないということだが。

 つまり、お寺の方々の多くは、仏像から魂を抜いて単なる像に戻すことで、展覧会に出品したり、修理に出したりできると考えているわけである(当然、戻って来た時には再び魂を入れる儀式を行う)。

 では、その抜かれた魂はどこに行くのだろうか。私はこのことをかねがね疑問に思っていたのだが、最近、修復家の飯泉太子宗さんがこれについて書いているのを知った。彼はある寺から修理のために大日如来像を預かるにあたって、「御魂抜き」を行ったご住職にお聞きしてみたという。その答えは、本来の大日如来のもとへ魂は戻っているというものであったそうだ(『壊れても仏像』、白水社)。なんと「神道的」な話ではないか。どこかに神なり仏なりの本体があって、そこから魂を分けたり、また合わせたりでき、分けた魂を像に込めたり、また抜いたりできるというのである。

 我々は長い長い時間をかけて、仏教を受容し、血肉としてきた。その際、日本独自の考え方が加味されたのである。考えてみれば当たり前のことだが、当たり前すぎて普段はそのことを忘れている。しかし、覆面観音の放つ異様な迫力に圧倒された瞬間、我々は仏教をいかに我々なりのやり方で受け入れてきたかというはるけき歴史の流れを再認識せずにはすまされないのである。 

 

 

(付記)真野寺の境内に立てられている案内板「真野寺のあらまし」には、覆面観音について、「素顔が拝めるのは丑年と午年に行われる観音開帳の折だけであります」と書かれている。これによると開帳時には覆面を取るとも読める。もしかすると、日時によっては覆面を取った状態で拝観できることもあるのかもしれないが、現時点では不詳である。お分かりの方があればお教えいただきたい。なお、『房総の仏像彫刻』(千葉県教育庁生涯学習部文化課編、1993年)などには、この観音像のお顔が掲載されている。実にやさしい穏やかなお顔の観音さまである。

 

 

 

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