コラム08

仏像と木のはなし

 

 あいまいな記憶ですが、NHKの教養番組でこんなシーンがありました。

 それは縄文文化を紹介する番組で、男性の先生と女性の案内役というこの手の番組でよくある組み合わせのおふたりが進行を担当していました。ふたりは、クスノキだかクヌギだか、実にみごとに枝を差し渡した巨木のもとを訪れ、ひとしきりその木の放つオーラに酔いしれたあと、先生が口を開きます。「ここにオノがあって、この木を切り倒すことになったとします。あなた、やれますか?」

 絶句する相棒役の女性。しばらく木を見つめながら考え、「できないと思います」。

 ああ、そうだよなと、その番組を見ていた私は妙に納得をしました。何百年も生きて時代の移り変わりを見て来た老木を、時に勝手な都合で簡単に切ってしまったりもする一方で、人は木を単なる木とは見ず、大いなる存在と感じたりもします。そうした感じ方は縄文時代以来のものなのだと、この番組は私たちに語りかけていました。

 

 さて、仏像の話でした。

 『日本書紀』によれば、仏教伝来は552年。この時朝鮮半島の百済よりもたらされた仏像の容貌はきらきらしかったとあります。おそらく金色に輝く比較的小さな金銅仏だったのでしょう。

 翌553年、同じく『日本書紀』ですが、今度は日本で仏像をつくったという記事が登場します。なかなか神秘的な話で、茅淳(ちぬ)の海(大阪にあった入海)に光輝くクスノキの木材が浮いていたので、これを仏像に彫り、吉野にまつったとのこと。

 これが事実そのままかどうかはともかく、ずいぶん面白い話です。仏教が伝わってまもなく、木で仏像をつくることが行われたということ。その木はクスノキで、霊木で、海から来て、山にまつられたということ。先のNHKの番組の例で分かるとおり、古木を大いなる存在と見る考え方は縄文時代以来のものですが、同じように縄文以来人々は海や山は神の宿るところと考えていたと思われます。新来の仏教はこうした古くからの信仰と結びつくことで、広く受け入れられるものとなったと考えることができそうです。

 

 ところで、クスノキという木ですが、常緑広葉樹です。香り高く、彫刻に向く樹木で、南方系であり、寒い地方では生えません。虫除けの効果もあり、タンスに入れる樟脳(しょうのう)はクスノキから取れる成分によってつくられています。クスノキの語源は「薬の木」であるという説もあります。耐朽性にもすぐれます。

 吉野にまつられたという霊像は残念ながら現存しませんが、法隆寺の百済観音像や中宮寺の菩薩半跏像など、奈良時代以前の木彫像のほとんどがクスノキでつくられています。

 

 ところが、彫刻のしやすさという点だけでみれば、クスノキよりヒノキの方が断然上なのです。ヒノキは針葉樹、すなわちすっと真っすぐに立つ木ですから、容易に太く真っすぐな材が得られます。また、最後の表面の処理も広葉樹より容易なのです。さらにヒノキは香り高く、やわらかく、粘りがあり、かつ耐朽性にもすぐれます。実際、平安時代以後の彫刻の多くがヒノキや同じ針葉樹のカヤでつくられています。

 では、奈良時代以前の人はヒノキの使いやすさを知らなかったのでしょうか。そんなことはありません。法隆寺の建築など古くからヒノキは使われているのですから。

 

 ここに不思議なことがあります。百済観音像はクスノキ製と書きましたが、頭に付属する光背(頭光)や蓮の形をした台座(蓮台)もまたクスノキでつくられています。ところが頭光の支柱だけは針葉樹(ヒノキまたはカヤ)製なのです。

 有名な玉虫厨子。これは中の仏像は金銅製、厨子の全体はヒノキでつくられているのに、仏像を支える蓮台だけはクスノキ製なのです。つまり仏像に付属する建築材的なものはヒノキを使用しても、仏像に準ずるパーツはクスノキを用いているということです。明らかに使い分けをしていて、「仏像にはクスノキ」という原則があったらしいということがわかります。 

 クスノキは太さは数十センチから数メートル、高さは40メートル以上になるものもあり、枝はくねって、存在感があります。その葉は光沢があって、濃い緑が美しく輝きます。山中で群生するクスノキというのはあまりなく、人里で多く生えているのは神木として大切にされることが多かったからなのでしょう。古代の人は、この美しく力強いクスノキこそ仏像をつくるにふさわしい木であるとして選択したのだと思われます。

 

 もう少しあとの時代、ヒノキ、カヤといった針葉樹でつくられた仏像であっても、「この仏像はクスノキの霊木で彫った」といった伝承がついているものがあります。

 また、ウロのある使いにくい木から彫りだした仏像、別の木でつくってつなげた方が早い腕の付け根の部分まで一本の木から彫りだした仏像、衣のひだを省略的にあらわしてなるべく元の木の表情をそこなわないように仕上げた仏像、木の根の部分を台座として用いている仏像などがまれに見られます。いずれも、霊木の力をできる限り生かして仏像をつくりたいという意識によると考えられます。

 よくいわれることですが、中国、朝鮮の仏像は石彫が主流であるのに対して日本の仏像は多く木でつくられています。木に宿る霊力を信じ、その力を借りることによって、日本の仏像は成り立ったというべきでしょう。

 

 

 

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