中村正義の美術館

 

 

 中村正義の美術館は、川崎市内といっても臨海工業地帯とは離れた麻生区の緑の残る住宅地の中にある。

 1977年に52歳で亡くなった画家中村正義は、晩年の16年間ここに住宅とアトリエを構えた。その旧宅(建築家篠原一男の作品「直方体の森」)がそのまま美術館となった。開館は1988年。

 信楽の知的障がい者の方々による陶芸作品が点在する前庭の脇を通って美術館の入口に至るが、扉や玄関は一般家庭と変わらないつくりで、大きなミュージアムとはまた違った雰囲気がある。

 1階の展示室は2階部分まで吹き抜けとなっていて、白い大きな壁面とガラス窓をもつ部屋。ここはもともと中村家の居間、そして2階の展示室は家族の部屋だったとのこと。明るく、心やすらぐ空間の美術館となっている。

 

 中村正義の初期の絵画は茶色系統の色が多く用いられている。自分でも「セピア色の好きな男」と述べたりしているが、ある時から「自分の好みでない色、関心を持たなかった色に挑戦」してゆく。日本画家として将来を嘱望される身でありながら、新しいものを常に求めつづけるあまり、「日展」を飛び出したという経歴をもち、「反骨の画家」などと呼ばれるが、その彼の激しい生きざまがもたらした原色の画面。

 正義はまた、「絵のすべては自画像」「何を描いても自分自身」と述べているが、実際に自画像である「顔」の連作を膨大な数手がけている。色もピンク・青・緑などの原色をふんだんに使って描いた作品群で、曲がった鼻、むき出した歯、頭と顎がはみ出した画面いっぱいの顔・顔・顔。これらをアトリエ中にならべ、時々ひっぱり出しては手を入れるということを死ぬ前までしていたそうで、彼にとってそれが自分との対話の形であったのだろう。そんなふうにして描かれた顔のシリーズはほとんど売られることなく、そっくりこの美術館に残っている。

 

 この美術館を開いたのは、正義の遺族である。その願いは「この家で正義が描いたものを見てもらいたい」ということにあったと思う。正義の暮らした家、部屋であり眺めた庭があり、座った椅子があり、そして彼自身とも言える彼の作品が掛けられている。その絵に向かって、彼の激しい人生に思いをいたすこともできれば、初期の優しい色づかいに別の一面を想像することもできる。顔の連作に繰り返し手を入れる彼の姿を思い描いて、内面と表に現れた作品との関係を考えることもできるし、たくさんの顔にまなざされ、激しい色に打たれながら作品の前にひたすら立つこともできる。また、彼がかつて住んだ住まいや庭の空気をゆったりと味わうこともできるのである。

 現代美術を展示する美術館の多くは、作品の周囲には鑑賞のさまたげとなる可能性があるものは置かず、できるだけニュートラルな空間を作って、その作品と対面することができるように配慮して空間をつくる。一方、中村正義の美術館では、1点の絵だけ切り離して鑑賞するということははじめから考えられていない。展示全体と美術館の空間すべてによって、中村正義と交流することができるのがこの美術館の特色となっている。作家のかつての住まいを使い、その空間を最大限生かし、その作家の作品だけを落ちついた雰囲気の中で展示する。これは、美術館としてのひとつの理想のあり方である。

 

*引用は中村正義著『創造は醜なり』(美術出版社)より

 

→ 中村正義の美術館ホームページ

 

*3〜5月と9〜11月の金・土・日・祝に開館。一般500円。交通は、小田急線読売ランド前駅、新百合丘駅、京王線京王よみうりランド前駅からバスで「細山」下車。バスを降りると美術館まで250メートルという看板が見える。



*補足の情報(山田土筆細山美術館について)

中村正義の美術館から南西に1キロ強、日本画家山田土筆が自身の作品を公開するために開いた個人美術館である山田土筆(どひつ)細山美術館がある。中村正義とも肩を並べて制作したことがあるという土筆さんは今もかくしゃくとされていて、来館者に説明をしてくださる。展示の中心は、かつては自然が豊かだった川崎北部の里山を描いた風景画である。

開館は土日祝日だが、1、8、12月は休館。また、都合で臨時に閉館することもあるそうなので、連絡の上、来館するのがよい。入館無料。

住所は川崎市麻生区千代ヶ丘6-3-7、電話は044-966-4083

 

 

 

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