松山ふるさと歴史館寄託の千手観音像

小松観音堂に伝来した3躰の像を展示

住所
大崎市松山千石字松山428番地


訪問日 
2016年5月8日


この仏像の姿は(外部リンク)
宮城県公式ウェブサイト・指定文化財



歴史館までの道
ふるさと歴史館は松山町の施設として1989年に設立され、2006年に周辺の市、町が合併して大崎市となるにともない、大崎市松山ふるさと歴史館となった。
旧松山町は町の中心部が東北本線の松山町駅から離れており、これを補う交通手段として、かつて馬車ならぬ「人車」が運行されていた。その当時は馬を飼うよりも人を雇う方が安上がりだったためとのこと。歴史館はこの人車の展示、また地元出身のフランク永井に関する展示室などがある。
東日本大震災後、小松観音堂に安置されてきた千手観音像、脇侍像がこの歴史館に寄託され、展示されている。

交通は東北本線の松山町駅から西へ徒歩約35分。またはひとつ北の小牛田駅前に常駐しているタクシーを使うと便利。
原則月曜日休館。


入館料
一般230円


仏像のいわれなど
大崎市内、歴史館のある松山地区より10キロくらい北の田尻地区(旧田尻町)というところにある小松観音堂に伝わった仏像である。
小松観音堂は、『今昔物語集』など平安時代の史料に「陸奥国小松寺」として登場する古寺の後身と思われる。天台宗で、のちに真言宗に転じたという。近代に廃され、仏像は田尻の薬師堂の隣に観音堂をつくり、安置したという。

ここに平安時代から鎌倉時代にかけてつくられた千手観音像と不動、毘沙門像が安置されていた。
東日本大震災で破損し、修復を経て、2015年の4月~5月にかけて松山ふるさと歴史館での特別展で展示、その後も同館が預かることになり、展示室内で見ることができる。いずれは本来のお堂に帰る日も来るのではないかと思うが、当分の間はこの館に寄託、展示されるとのこと。

 

→2020年10月より、展示場所は大崎市田尻総合支所(東北本線田尻駅5分)内の観覧室へと移ったとのこと。月曜日は休み。


大崎市・木造千手観音坐像の一般公開


鑑賞の環境
ガラスごしだが、よく見ることができた。


仏像の印象
千手観音像は比較的珍しい坐像で、像高は1メートル弱。寄木造、彫眼。

かつての写真をみると、傷みがかなり進んでおり、像の印象も洗練さを欠き、室町時代頃の仏像と考えられていた。修復によって面目を一新し、現在では平安時代後・末期の作とされている。
京都・峰定寺の千手観音像に雰囲気が似て、都ぶりな造形から奥州藤原氏関係の造像ではないかと推測される。

上品で落ち着いた仏像である。この時代によく見られる丸まるとした顔とせず、ほおは自然なふくらみである。目は切れ長で、二重まぶた。みごとな天冠台をつけ、鼻の下や口は小さめにまとめる。
面白いのは後頭部の髪で、少し垂れている。ケースの側面から見える。頭頂部で結い上げているのだから、後頭部の髪は全体的には下から上へと引っ張られているはずだが、一方で下へも垂れるヘアスタイルとなっている。

なで肩で体は細く、さらに胴で絞っている。
脚部は自然な感じで、衣のひだは深くないが、比較的大きな線の間に小さな線をはさんで変化をつけている。


その他
脇に不動明王、毘沙門天の2像が立つ。
天台宗でまま見られる組み合わせであるが、中尊とは作風が異なり、素朴な雰囲気がある。若干後の時代に補われたものか。
ほぼ直立する不動明王像と体にひねりを加えた毘沙門天像、静と動の対比が面白い。


さらに知りたい時は…

「院政期彫刻史における中尊寺造像」(『中尊寺の仏教美術』、吉川弘文館、2021年)、武笠朗

『月刊文化財』645、文化庁文化財部、2017年6月

『別冊太陽 みちのくの仏像』、平凡社、2012年10月
『論集 東洋日本美術史と現場』、竹林舎、2012年

『熊野信仰と東北 名宝でたどる祈りの歴史』(展覧会図録)、「熊野信仰と東北展」実行委員会、2006年

『田尻町史』史料編、田尻町、1983年

『田尻町史』上、田尻町、1982年


仏像探訪記/宮城県