コラム01

せきど的仏像探訪作法・上

 

01−1 「みる」と「拝む」の間

 

 仏像は信仰の対象であり、同時に文化財でもあります。

 信仰の対象ならば、「見に来たとは何ごとか。仏を拝むものだ」というスタンスもあり得ます。実際、「拝ませて下さい」と言わないと拝観を拒絶される寺があると先輩に聞いたことがあります。

 

 しかし、私は、仏教に対してシンパシーを持っているものの信仰はなく、態度としては「見る」の方になります。これでは信仰の場に入れていただく資格はないのではないか、というような後ろめたさを常々感じてきました。

 いとうせいこう、みうらじゅん氏共著の『見仏記』(中央公論社)という本があると知った時は、「おおっ! このように堂々と『見る』と言えるとは!」という感じで、ちょっとした衝撃でした。

 

 さて、現在のところ私がこの問題をどのように決着しているかというと、失礼のないように臨むということに尽きます。信仰はないものの、合掌をして、信仰をもって仏像を守り伝えてこられた方々への敬意を示します。

 

 「拝観」という言葉があります。「拝む」と「観る(みる)」の両方を含んでいて、さらに「観」は「みる」だが、「観照」のように宗教的な意味をこめて使われることもあります。私は、この便利かつ深みのある言葉を好んで用いています。

 ついでながら、失礼のないようにということは、地面すれすれまで達するような長いズボンは避けた方がよいと思います。靴を脱いで上げていただく場合など、ズボンの裾に泥や種子などがついていると堂を汚したり、文化財に対しても悪い影響があるからです。

 

 

 

01ー2 仏像拝観では事前連絡が必要か

 

 京都・奈良・鎌倉などにあって、ガイドブックに拝観時間や拝観料が載っているようなお寺はともかく、多くの寺院の場合、拝観させていただくためには、基本的に事前連絡が必要と考えておいた方がよいと思います。

 

 観光客が日々訪れる寺は別として、急な訪問者にはお寺もお困りになります。寺院は博物館とは違うのです。対応できる人も限られているし、祈りの場として宗教行事や法事が予定されていることもあります。せっかく行っても拝観できなければ残念ですし、そうした事態を避けるためには少々おっくうであっても、事前連絡は不可欠と思います(それでも急なお葬式等で拝観できないということもあり得ますが、その場合は出直すしかありません)。

 

 事前連絡には私はおもに電話を使っています。番号はネットで検索すると出てくる場合が多いですが、調べられないときは、郵便を使うか、地元自治体の役場に拝観を行っている寺院かどうかを問い合わせるということになります。久野健氏は、『日曜関東古寺めぐり』(新潮とんぼの本)の中で、往復はがきの利用を勧めています。寺によっては普段無住で管理者が別にいたりというところもあったりしますが、本やネットで見たり、役場に問い合わせたりしていくと次第に事情が分かってきて、拝観できそうかどうか知ることができます。

 

 秘仏で開帳日が分かっている場合も、問い合わせて行くことが望ましいです。1日中拝観できる場合もあれば、時間が限られている場合もあるからです。また、代が替わるなどして、公開のあり方が変更となっていることもあり得ます。

 

 

 

01−3 「仏像といえば京都・奈良」とは限りませんよ

 

 京都や奈良の洗練された仏像も美しいが、地方の仏像には中央作にない力強さや味わいがあります。また、これまでの経験では、地方のお寺の方は親切なところが多く、拝観のお願いに快く応じてくださり、さらに仏さまの由来などについてお話いただけることもしばしばです。

 

 現在は文化財保護のための決まりによって、国宝や重要文化財に指定されている仏像のほとんどが耐火建築の収蔵庫に納められています。そうした国指定の文化財となっていない仏像は、昔ながらのお堂に安置されていることが多く、お花やお水(お酒?)などがあがって、お寺ごとのやり方で大切にされている様子にも心なごみます。

 

 地方のお寺では拝観料もとらない所が多く、それはそれで困るもので、その時は、京都や奈良の寺院で設定されている拝観料程度のお賽銭を仏さまの前の賽銭箱に入れて来るようにしています。

 

 

 

01−4 国宝・重文に指定されてなくとも

 

 優れた文化財は国宝や重要文化財に指定されています。戦前には国指定の有形文化財はすべて国宝と称していましたが、戦後の文化財保護法(1950年)によってそれらは重要文化財という名称に変わり、その中で特にすばらしいとされたものを改めて国宝としました。このように国宝は文化財保護法の以前と以後では異なっており、混乱を避けるために「旧国宝」「新国宝」と言うこともあります。

 

 現在、彫刻作品では、重要文化財は約2650件、国宝は約130件です。

 

 博物館に行くと、国宝や重要文化財の指定を受けていれば、作品のラベルの肩にそのように記載されています。これをつい先に見てしまうということはありませんか。私もそうなんです! 国宝だから素晴らしい、未指定なのでそれほどでもないとの先入観で仏像を見るようになっている自分に気がついて、反省しました。

 このような指定は現代の学者や行政が現代の美的価値観に基づいて行っているのであって、自分なりの別の見方があってもよいのではないかと、ある時から感じるようになりました。

 

 そのような目で改めて見ようと努めれば、県指定・市町村指定、あるいは未指定であっても魅力ある仏像は多いことに気がつきます。(同時に、国宝指定されているのにはそれだけの理由があり、素晴らしい魅力を持っているということにも改めて気付かされるのですが。)

 

 

 

01−5 仏像の見方って

 

 「仏像の見方」といったタイトルをもつ本は多く、それだけ需要があるのでしょう。

 

 仏像の体系は複雑です。種類だけでも如来(釈迦や阿弥陀など)、菩薩(観音、地蔵など)、明王(不動、愛染など)等に分かれ、インド起源で仏教の守護神である天(天部)や中国起源の地獄十王、日本の神の像、さらには僧の肖像彫刻など仏像に準じて扱われるものも数多くあります。

 

 仏像はそれぞれ姿形や持ち物などが違いますが、ややこしいことに必ず例外が存在します。例えば、薬壷を持っていれば薬師如来とすぐ分りますが、薬師如来の中には何も持たない姿でつくられているものもあるという具合です。また、宗派や依拠する教典の違いによって、異なる姿で表されているという場合もあります。伝来の過程で像の名前が誤って伝えられたり、三尊像などセットの仏像が入れ替わっているということもあるし、素材や地域・時代の違いによって表現や特徴が異なっているということもあります。

 

 とにかく、いろいろ難しいのです。

 

 しかし、知識の量が少ないからといって、仏像の拝観して豊かな気持ちになれないということはありません。むしろ知識は後からついてくるのであって、まず本で知識をつけてそれを確認するようにして拝観するというのは逆に味気ないものです。

 知識があることで実際に仏像を拝観した時に感動が増すということは、私も経験があります。しかし仏像の見方というのは、本で教わる以上に、仏像を一躰一躰拝観しながらひとりひとりが自分なりに作っていくものという気がします。

 

 

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