青龍寺の二天像

  鎌倉時代後期の基準作例

住所

八頭町下門尾46

 

 

訪問日

2009年8月1日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

八頭町観光情報

 

 

 

拝観までの道

青龍寺(せいりゅうじ)は、因美線の郡家(こうげ)駅かその隣の東郡家駅で下車し、徒歩約20分。県道287号線(河原郡家線)で私都川(きさいちがわ、千代川支流)をまたぐ橋のたもとから西北へ細い道をゆくと、まもなくである。町を見下ろす眺望の地に立つお寺である。

ご住職は他寺との兼務で、常住されていないが、事前連絡によって拝観可能。問い合わせ先は八頭町教育委員会。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺のいわれ

青龍寺はもと浄光寺(城光寺)といい、場所も北側の山にあった。

頼朝に追われてこの地へ来た弟の範頼を匿い、その子孫が代々住職を継いだ、また、108もの子院が立ち並んでいたので中山千軒寺といった等の伝承が残る。

秀吉の中国攻めの際に毛利方がこの城に立て籠ったことから焼かれ、現地に移ったといわれる。

近代になって千葉の成田山から不動明王を勧請し、寺名を成田山青龍寺と改めた。

 

 

拝観の環境

仏像は収蔵庫におさめられている。聖観音像をはさんで二天像が安置され、持国天、多聞天と伝える。

中は明るく、すぐ近くからまた側面からもよく拝観できる。

 

 

仏像の印象

持国天像の像内に墨書銘があり、1301年に仏師隆円によってつくられたことがわかり、鎌倉時代後期の基準作例として貴重な作である。ヒノキの寄木造で、像高は80センチ弱。

多聞天像もほぼ同じ像高で、もともと一具と思われる。

ともに素朴な地方作であり、保存状態もあまりよくない。いかにも歴史の荒波をくぐり抜けて来たという様子で、顔の一部や髻など欠失があり、手先、足先、邪鬼など後補部分も多い。しかし、見るほどに味わいのある仏像であると思う。

 

聖観音像は二天像の間に安置されている坐像で、鎌倉時代の像と思われるが、未指定。二天像にくらべ洗練されているが、顔はまだらに漆箔が残り、表情がつかみにくい。玉眼。

 

 

その他

本堂奥には神社の建物が置かれている。20世紀初頭に内務省主導で進められた神社の合祀政策(要するに合併。これによって全国で約20万あったという神社のうち約7万社が取り壊されたという)によって廃された神社で、同じ八頭町内にあった白兎神社の本殿らしい。由緒ある神社が取り壊されるか朽ちてゆく運命にあるのは忍びないとして、ここに納められたのであろう。

お寺の中に神社があるというのは珍しいことではないが、本堂の中に神社のご本殿だった建物がそのまま保存されているというのは珍しい。このお寺のおおらかで豊かな精神を思う。

 

 

さらに知りたい時は…

『鳥取県の仏像調査報告書』、鳥取県立博物館、2004年

『郡家町の文化財』、郡家町文化財協会、1989年

 

 

仏像探訪記/鳥取県