西光寺と禅長寺の阿弥陀仏

  町の仏さま、里の仏さま

西光寺阿弥陀如来像
西光寺阿弥陀如来像

住所

沼津市本字宮町437(西光寺)

沼津市西浦河内396−2(禅長寺)

 

 

訪問日 

2012年2月12日

 

 

 

西光寺について

沼津駅から南に徒歩約20分のところにある。

もと真言宗寺院だったというが、一遍上人がこの地を訪れたのをきっかけに時宗に転じたという。

 

本尊の阿弥陀三尊像はお前立ち像や仏具などが並ぶ奥、やや暗い座に安置されるが、近くより拝観させていただけた。

拝観は事前連絡が必要。

 

 

西光寺の阿弥陀三尊像

中尊は像高約80センチの立像。脇侍像は腰を屈めて立つ姿勢で、約50センチ。

中尊は来迎印(ただし右手指は亡失)、脇侍は観音像は蓮台(亡失)を捧げ、勢至菩薩は合掌する。まさに来迎する姿の像である。

鎌倉時代後期ごろの作。このお寺が時宗にかわったのが1282年だそうで、その頃に造像されたと考えることができるかもしれない。

 

中尊は整ったお顔立ちで、若々しさを感じる像。玉眼がすがすがしい。髪際は中央で少し下がる。なで肩。衣は装飾的に処理している。右手の指が失われているのが残念である。

脇侍像はきりりとりりしい顔つき。まげを高く結う。腰を曲げて死者を迎える姿勢は優美である。下半身の衣は、中尊同様やや賑やかにつくられている。

 

禅長寺頼政堂
禅長寺頼政堂

禅長寺への道

禅長寺も沼津駅より南側にあるが、町なかにある西光寺と違ってずっと南、伊豆半島の西北部に入ったところにある。

沼津駅南口から木負(きしょう)方面行き沼津登山東海バスに乗車し、伊豆半島の付け根の海沿いを揺られること約40分。「木負農協」下車。バスの本数は日中1時間に2本。

 

→  東海バスおれんじガイド

 

駿河湾の海から山地へと急に立ち上がっていく地形で、南側の山々は千メートル近くにもなる。山地に発する短い川が何本か南から北へと流れ、そのうちの1本、西浦河内川に沿って登って行く道は、戸田峠、金冠山などへと通じるハイキングコースの登り口でもある。みかん畑が斜面に広がっているのを見ながら坂道を上がって行く。途中、2つの神社(子聖神社、御崎神社)の横を過ぎ、山田橋を渡るあたりで道のりの約半分。そこからはさらに上りがきつくなる。

「木負農協」の バス停 から禅長寺まで徒歩約35分。

 

 

禅長寺の頼政堂について

禅長寺は臨済宗だが、もとは真言の道場だったらしい。

このお寺は、菖蒲(あやめ)御前(菖蒲の前)の終焉の地という。

伝承によると、この菖蒲という女性は、もと鳥羽院の女房で、源頼政の側室となり、2児をもうけた。

頼政は、清和源氏といっても頼朝とは遠い親戚になる。頼朝の父義朝と平清盛が争った平治の乱で、彼は戦局を見て清盛についた。その結果、平家にあらずんば人にあらずといわれた平氏政権下において三位まで進んだが、心に思うところがあり、平氏に一矢報いる機会をうかがっていた。

1180年、後白河院の子でありながら不遇の身をかこっていた以仁王とともに挙兵、衆寡敵せず、平等院で自害する。しかし、以仁王が発行した平家打倒の命令書が頼朝や義仲に届けられて、源平の合戦の扉が開かれていくことになり、頼政と以仁王の挙兵の意味は大きい。

菖蒲御前のその後については、伊豆あるいは安芸に逃れて余生を過ごしたといわれる。伊豆長岡の西琳寺で出家し、その後この地に移り住んだという伝承がある。

 

江戸時代の前期に禅長寺は禅宗寺院として再興される。

江戸中期になり、頼政の後裔を名乗る大名が、頼政と菖蒲御前ゆかりのこのお寺のためにと禅堂を寄進した(すでにあった建物を改築したのかもしれない)。これが頼政堂である。お寺に入ってすぐ左側に立つ建造物がそれで、沼津市内に残る禅宗式の仏殿建築として随一の建物である。

正面が格子戸で、覗けるようになっている。石の土間が、いかにも禅宗の建物らしい。

 

 

頼政堂本尊の阿弥陀如来像について

頼政堂の中央には鎌倉時代の阿弥陀如来像が、その左右には頼政と菖蒲の坐像が安置されている。

お堂の中は暗めで、像まで距離があるので、あまりよくは見えない。一眼鏡のようなものが必要である。また、阿弥陀像は上からの垂れ物のために頭頂部は見えない。

お堂は東面するので、好天の午前中が比較的条件がよい。しばらく見ていると、次第に目が慣れてくる。

 

像高は約160センチ、来迎印の阿弥陀如来立像である。玉眼で、鎌倉時代後期ごろの作。

顔はまず、鼻筋がよく通っているのが印象的である。目、口、耳はみな大きく、上半身もしっかりとつくって、堂々とした像である。一方、てのひらは小さく、腕もすらりと伸びてはいない印象がある。

左脇から下がる衣の線など、なかなか達者なつくりのようである。

胸元にのぞいている内側の衣は、左肩から吊った下着であろうか。古代に学んだ鎌倉彫刻らしい特色のように思える。

来迎の阿弥陀立像は、鎌倉前期以後快慶風の精緻な作が風靡したが、一方で力強さを感じる像も造られている。この像も後者の一例と思われる。

 

 

さらに知りたい時は…

『一遍 神と仏との出会い』(展覧会図録)、佐野美術館ほか、1992年

『遊行の美術』(展覧会図録)、神奈川県立博物館、1985年

『沼津の文化財』、沼津市教育委員会、1982年

 

 

仏像探訪記/静岡県