智満寺の仏龕

  10センチの中に刻まれた仏の世界

住所

島田市千葉254

 

 

訪問日 

2007年3月24日、 2015年9月21日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

ふじのくに文化財資源データベース・阿弥陀如来及諸尊像刻出龕

 

 

 

拝観までの道

智満寺は島田市北郊の千葉山の山腹にある。

事前に調べ、島田駅前から1時間に1本出ている上相賀(かみおおが)行きのコミュニティバス(相賀線)を使うというルートを選んだ。タクシーを使わない限り、これが最短で行ける方法だと思う。

 

島田市コミュニティバス

 

駅から約25分、「後畑入口」というバス停で降りると、右手に智満寺を示す看板があり、そこから急坂を登っていく。鋪装された一本道で、歩きやすく、迷うことはないが、なかなかの道のりである。途中後畑の集落と斜面に広がる茶畑の横を通り、ペンションが建つあたりまでがずっと登りで約35分、そこから最後の10分ぐらいは下り坂となる。

 

江戸時代の勇壮な本堂の右奥にある宝物館は、小さいが味わいのある近代の建物である。

庫裏にお声をかけると、ご住職が鍵を開けてくださった。仏画、古文書、経典の版木、刀や甲冑、古瓦等のさまざまな宝物が並ぶ中で、めざす仏龕(ぶつがん)は正面中央に安置されている。

拝観は事前申し込みが必要。ただし雨天時は不可となる。

 

*2015年7月〜9月にかけて本尊のご開帳が行われた。この時には仏龕も本堂に移されていて、ともに拝観できたが、お寺の方の話によると、近年は団体の拝観のみを受け付けているとのことだった。

 

 

拝観料

300円

 

 

お寺や仏像のいわれ

創建は古代であるが、頼朝によって再興されたと寺では伝える。寺のある千葉山の名前の由来は、寺の再興にあたった御家人、千葉氏の名前から来ているという。

仏龕の伝来については、北条政子が寄進したものと伝えられているが、判然としない。

時代としては、平安時代後期くらいのものと思われる。

 

 

拝観の環境

ガラスケースの中だが、すぐ前まで寄ることができ、よく拝観できた。

 

 

仏像の印象

仏龕とは、石や木をくり抜いたところに仏像を刻み出したものをいい、要するに携帯できるミニチュアのお堂である。中国製(唐時代)のものとしては高野山に伝わる諸尊仏龕が有名だが、日本のものは遺例が少ない。

 

この智満寺の仏龕は、七尊を刻んでおり、正式には阿弥陀如来及び諸尊像刻出龕(こくしゅつがん)という。サクラの木からすべてを刻みだしており、素地仕上げで、高さはわずか10センチあまりである。全体の形状は寄棟造りのお堂の形となっていて、瓦や鴟尾までが表現されている。扉は失われている。

阿弥陀仏の周囲の六尊は立像で、『日本仏像名宝辞典』によると、阿弥陀仏の向かって右隣が如来形、右端が菩薩形、左隣が菩薩形、左端が不動像で、左右の後ろは声聞(しょうもん、釈迦の教えを直接受けた弟子のこと)形であるというが、肉眼では右端の菩薩形以外は判然としない。

中央は阿弥陀仏の坐像で、衣文や光背まで細かく刻まれ、その上には天蓋まで見事に彫り出されている。そのすばらしい出来ばえに、歩いて来た疲れも吹っ飛んでしまった。

 

 

その他

本堂本尊の千手観音像は秘仏で、60年に1度の開扉。面相や着衣が特異でいかにも霊仏という感じの像である。

上述のとおり、2015年の夏に拝観が行われたが、これは台風で倒れた杉の霊木(頼朝杉と名付けられていた)から彫り出された弥勒菩薩像の完成を記念しての行事だった。

本来の開帳は次は2054年とのことである。

 

 

さらに知りたい時は…

『天台宗 千葉山 智満寺』(お寺発行の冊子)、2010年

『智満寺と大津の文化財名宝展』(展覧会図録)、島田市博物館、2004年

『檀像』(展覧会図録)、奈良国立博物館、1991年

『仏像を旅する、東海道線』(別冊『近代日本の美術』)、至文堂、1990年

『日本仏像名宝辞典』、東京堂出版、1984年

 

 

仏像探訪記/静岡県