応賀寺の諸仏

  夢告によって造立された毘沙門天像など

毘沙門天像
毘沙門天像

住所

湖西市新居町中之郷68−1

 

 

訪問日

2007年11月3日

 

 

 

拝観までの道

浜松方面から東海道線で浜名湖を過ぎると、新居町という駅に着く(地名は「あらいちょう」だが、駅名は「あらいまち」)。ここは箱根とならぶ東海道の関所、新居の関(今切の関)があったところである。

応賀寺へは、新居町駅南口前の国道を西へ向い、新居の関跡(資料館)の先を右折、東海道線と新幹線の下をくぐって少し行くと応賀寺の看板が出ているのでそこを左折し、さらに次の道を左折すると山門が見える。駅から徒歩15分から20分である。

 

 

拝観料

宝物館の入館料300円(11月3日の本尊開帳時には無料公開、その他の日は事前予約必要)

 

 

寺のいわれ

寺伝では奈良時代の行基による開創というが、不詳。

薬師堂(本堂)は室町時代後半に建てられはじめたが工事が中断し、江戸前期になってようやく完成したという。最近の修理で近代の改変部を戻した。大きな屋根が印象的な建物である。

薬師堂の手前に立派な宝物館が建っていて、多くの寺宝が公開されている。 

 

 

拝観の環境

宝物館の中は明るく。仏像はケース内の安置ではないので、とてもよく拝観できる。

 

 

仏像の印象

宝物館では2体の仏像を拝観できる。

阿弥陀像はヒノキの寄木造で、定朝様式の穏やかな作風に金箔・金泥、銅の透かし彫りの光背で華やかさを加える(ただし彩色や光背は後補であると思われる)。像高は約90センチ。もと浜松市の舘山寺の仏像で、同寺が近代初期の神仏分離・廃仏毀釈で廃された際に移されたという(その後舘山寺は再興されている)。

 

毘沙門天像は、像高40センチあまりの立像で、カヤの寄木造。小像ながら顔面の凹凸をうまく表現し、迫力を出していて、なかなかに魅力的である。姿勢は誇張に走らず、安定感があるが、同時によく気迫を感じさせる。

江戸初期の修理の際、像内から願文が発見され、それも宝物館内に展示されている。像と納入品を揃って拝観できるのはうれしい。それによると、この像は妙相という人物が鎌倉後期の1270年に造らせたものという。

 

 

毘沙門天像の納入文書をめぐって

願文は小さな字で書かれているが、かなりの長文であり、4メートル以上もある。これだけのものが小さな像内によく納まっていたと思うほどである。

その内容はなかなかユニークである。経文等に続いて、本像の造立の経緯が書かれているのだが、それによると願主は妙相といい、鎌倉後期の1270年、4つの夢告を得て、この像を造らせたという。

最初の夢は、ムカデが体に這いのぼってくるのでほうきではたき落としたところ、聖人が現れ、これは毘沙門天から与えられた福であると告げるので、ムカデをふところに納めたというもの(ムカデは毘沙門天のお使いとされる)。ふたつめは、真福寺(愛知県岡崎市に現存)の僧のもとに行って導きを受けよというもの。3番目は、京都・鞍馬山の毘沙門天から授かり物を得た夢で、最後は、毘沙門天像を受け継ぐことを命じられたというものである。

この妙相の願文には、江戸前期の1617年の修理時の文書が付けられている。それによると、長年雨露にされされて像は大破してしまい、像の中から妙相の願文が見つかった。そこで、小野末葉融弁という人物が願主となり、この像を再興したいと考え、運慶の末流である仏工宗円によって望み通りの修復がかなったとある。

 

では、この像を造像した妙相とはどのような人物であろうか。

江戸時代の史料によれば、妙相は鎌倉時代に栄えたこの地域の宿場である橋本宿の長者の娘であったとされる。頼朝が上洛した際恋仲になり、別れたのちに仏門に入って妙相と称した。妙相が建立したとされる寺院や、妙相から寄進されたという仏画などがこの地域にはあり、妙相にまつわる伝説は広く流布しているらしい。

しかし、毘沙門天像を造立した1270年は頼朝上洛の時期から80年もたっていて、時代が合わない。信仰厚く、かつ像を造るだけの財力をもった鎌倉後期の人物妙相から伝説が生まれ、頼朝との悲恋物語となったのだろうか。

『新居町史』によれば、願文の文章にしても、いかにも客観的であり、他の人の手によるものでないかという。実像と虚像、史実と伝説が交差するところであり、どのように読み解いていくべきか、面白くまた難しい。

 

 

本尊のご開帳の様子

本尊は秘仏の薬師如来坐像で、かつては33年に一度の開扉であったそうだが、現在は年に1回、11月3日の12時からご開帳している。

筆者は12時すぎにお寺に到着した。すでに薬師堂で読経がはじまっており、ほかの参拝の方とともに座って待っていると、やがてお坊さんが立ち上がり、マスクをかけてうやうやしく厨子のカギをあけてご開帳となった。その後、すぐ近くに寄って拝観することができた。

像高は約90センチ、ヒノキの割矧(わりは)ぎ造で、素地で仕上げられているらしい。体躯は堂々としている。顔は神秘的な印象で、やや親しみにくい感じだが、目鼻立ちの線と唇の朱が加えられているためかもしれない。鎌倉時代の作と思われる。台座には15世紀の修理銘があるという。

この日は2時半から法要、3時半から餅投げが行われるそうで、お餅が何箱も本堂に供えられていた。法要や餅投げの時間にあわせていらっしゃる方が多いらしく、12時の開扉の時にはあまり人がいなくて、ゆっくり拝観できた。

 

 

さらに知りたい時は…

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』11、中央公論美術出版、2015年

『静岡県の仏像めぐり』、静岡新聞社、2005年

『新居町史3 風土編』、新居町史編纂委員会、1985年

 

 

仏像探訪記/静岡県