国清寺の金剛力士像

  山あいの小さな門に立つ仁王さま

住所

伊豆の国市奈古谷1240-1

 

 

訪問日 

2007年9月23日 

 

 

 

拝観までの道

国清寺(こくせいじ、こくしょうじ)へは三島から伊豆箱根鉄道駿豆線で4つめの大場(だいば)駅で降り、沼津登山東海バス奈古谷(なごや)温泉入口行きバスに乗車するのがよい。大場のバス停は、三島からの電車の進行方向にある出口を出て、前の道を左へ、川を渡ったところにある(駅のすぐ脇にあるバス停ではないので注意)。バスの本数は1時間に1〜2本くらいである。

 

 → 東海バスおれんじガイド

 

乗車して10分くらいで終点の「奈古谷温泉入口」に着くので、そこから先へと6〜7分歩くと「左国清寺、 0.3キロ」という看板がある。生涯学習センターの先を右へ曲がると国清寺の前に出る。

 

しかし、この寺には門がない。

このお寺には中世のすぐれた仁王像(金剛力士像)が伝わっているが、少し離れたところにある毘沙門堂(授福寺、授福閣とも)の仁王門に安置されている。

毘沙門堂へは、国清寺の前の道をさらに先(南)へと進み、最初の分かれ道で左へ、すぐ突き当たるので、そこをさらに左へとる。あとは一本道で、分かりやすい。道は次第に急坂になるが、舗装された林道で、歩きやすい。

途中、蛇石、大日石など七つ石と呼ばれる巨石があり、ここが古くからの信仰の道であることが知られる。頼朝と同時代に伊豆に流された僧文覚(もんがく)の配流の地と伝わる場所もある。

国清寺から約1.5キロ、20分か25分ほど歩くと、道の左側に毘沙門堂の看板が出ている。そこから石段をのぼると、すぐに仁王門が見えてくる。

 

 

拝観料

なし

 

 

お寺のいわれ

寺伝によれば、国清寺は南北朝時代に畠山国清がこの寺を開いたのでその名があるという。室町時代にはたいそう栄えた禅寺であったようで、今も広い寺域を占める。緑におおわれ、すがすがしいお寺である。門もなく、正面の釈迦堂の扉も開け放されていて、来るもの拒まずという感じである。

国清寺に属する毘沙門堂は頼朝が文覚に建てさせたというが、その真偽のほどはともかくも、仁王像は鎌倉時代のものなので、国清寺本体よりも歴史があることは確かである。毘沙門堂の本尊も古いものであるらしいが、秘仏で通常は拝観できない(50年ごと開帳、その間に中開帳あり)。

 

 

仏像の印象

仁王門は山あいの狭い場所に建てられているため、小さな可愛らしい門である。

左右にそれぞれ2メートルを越える仁王像が安置されている。狭いスペースにやっと納まっている感じで、全身を拝観することも難しいが、大きな手、大きく翻る衣の裾など、ここまで登ってきた疲れを忘れさせる魅力的な像である。衣の裾が内側でなく外側に翻っているのは面白い。大きな像だが、どことなく微笑ましく感じるお姿である。カヤの寄木造。天衣(てんね)は後補である。

阿形の背板に墨書銘で1310年の年記と仏師として描門大弐(?)法眼印照の名前および江戸時代中期の修理銘がある。吽形の背板にも墨書があり、1310年の年が記されている。

 

 

その他

国清寺の名前は、畠山国清からきているという説のほかに、中国の名高いお寺である天台山国清寺からとったという説がある。

畠山国清と国清寺との間に関係があるのかないのかは地元郷土史にとっては重大な問題であるようで、伊豆の国市の前身である韮山町および伊豆長岡町の町史は、いずれもこの問題にかなりのページ数を割いている。結論から言えば、直接の関係はないようである。

畠山国清は北朝方の有力武将で、一時は伊豆国など数カ国の守護を兼ねたが、失脚し、最後は京都で窮死したという。その悲運の武将を悼み、たまたま同名であったことから、この寺の開基であるという伝承が生まれたのではないか。実際の開基は関東管領の上杉憲顕であるという。

 

 

さらに知りたい時は…

『静岡県史 通史編』2、静岡県、1997年

『静岡県の文化財ー彫刻』、静岡県教育委員会文化財課、1978年

 

 

仏像探訪記/静岡県