伊豆山郷土資料館寄託の阿弥陀像・脇侍像

  伊豆山権現常行堂の旧仏

住所

熱海市伊豆山708-2 伊豆山神社境内

 

 

訪問日 

2007年12月24日、 2012年9月22日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

熱海市ホームページ・伊豆山郷土資料館

 

 

 

館までの道

伊豆山郷土資料館は、熱海駅前から東海バス七尾原循環で約10分、「伊豆山神社前」で下車。バスの本数は日中1時間3本程度。また、熱海駅から「遊〜湯〜バス」という循環バスが1時間に1、2本のペースで運行されてもいる。

バス停のすぐ前が神社の石段である。

 

東海バスおれんじガイド

 

資料館は伊豆山神社の境内、本殿の向って右奥にある。

原則として月曜日と年末年始が休み。

 

 

入館料

一般150円

 

 

資料館と伊豆山神社について

現在では静かなたたずまいの伊豆山神社だが、かつては関八州の総鎮守として大いに栄えた。鎌倉幕府の歴代将軍からの尊崇厚く、箱根神社とともに「二所詣り」がたびたび行われたという。

古代・中世の遺品も多く伝来し、また境内には平安時代の経塚もつくられていた。

 

資料館は神社に境内にあるが、熱海市の施設で、一室だけの小さな博物館である。

主な展示品は、経塚の出土品、神社に伝えられた神像や経典(一部レプリカ)、そして神社ゆかりの仏像である。

 

 

拝観の環境

宝冠阿弥陀像・脇侍像はケース内に納められ、すぐ前から見ることができる。展示位置がやや低いので、脚部の様子などよくわかる。また、幸いケース内の端の位置に置かれているので、横からも見ることができる。

 

 

阿弥陀五尊像と伊豆山の常行堂について

最澄が伝えた天台宗では、4つの大きな修行である四種三昧について説かれる。そのうちのひとつが阿弥陀如来を本尊として行われる常行三昧であるが、実際には最澄の後継者である円仁が唐より改めて伝え、しだいに全国へと広まっていった。

ところで、一般に如来像はくりくりした螺髪(らほつ)という髪をし、菩薩像はまげを結い宝冠をつけた姿であらわされる。阿弥陀如来も螺髪であるのが通例である。しかし、阿弥陀如来の中にはまげを結い、宝冠をつけたものがある。この常行三昧の本尊の阿弥陀如来がそうで、4菩薩を脇侍とする宝冠阿弥陀像である。菩薩の名前は、金剛法菩薩、金剛利菩薩、金剛因菩薩、金剛語菩薩という聞き慣れない名前である(「法、利、因、語」と略称される)。ただし遺例は少なく、特に5尊とも揃って伝来しているものはわずかしかない。

 

各地で常行堂がつくられるのは10世紀後半からと考えられているが、この伊豆山権現では早い時期に常行堂が開かれ、しかも上常行堂と下常行堂の2堂が建てられていたらしい。かつてここは天台系の仏教や山岳信仰など多彩な修法の場所であったのである。

江戸時代後期の史料によれば、伊豆山権現の上・下の常行堂はともに阿弥陀如来、4菩薩を本尊としていたが、下常行堂は秀吉が小田原北条氏攻めの戦火のために焼失して、以後再建されることはなかったという。

その下常行堂は、13世紀はじめの再建時に快慶作の宝冠阿弥陀像を本尊としていたが、その像は現在瀬戸内の耕三寺に移されている。

上常行堂は、おそらく近代初期までは存続していたと思われる。近代の廃仏に際し、平安末期の宝冠阿弥陀像と大きく損傷した脇侍像2体は近くの逢初(あいぞめ)地蔵堂というお堂に移された。ちなみにこの逢初とは頼朝と政子が会った場所という伝承からついた地名ということだ。

その後奈良国立博物館への寄託を経て、現在はこの伊豆山神社境内の資料館に保管されている。なお、所蔵者は漁師さんたちの組合(伊豆山浜生活協同組合)となっているそうだ。

 

 

仏像の印象

中尊の阿弥陀像は像高約70センチの坐像である。ヒノキの寄木造。

穏やかな作風で、衣の襞(ひだ)も浅く彫られている。裾は膝の前で美しく整えられていて、いかにも平安後・末期の仏像の様式である。衣は通肩(つうけん)といって両肩を覆う着方で、胸を広く開けず、体にぴったりとつく感じで着ている。結ったまげの形は美しい。

 

脇侍は破損が著しく、2像とも腕と膝を失っている。像名は不明である。

一方の像には腕がつく部分に丸ほぞが残っているが、もう一方はこれがない。ない方の像は頭部も後補であるという。

25センチほどの小像だが、きりりとした顔つきで、体の奥行きがよくとられ、条帛(襷のように体につけた布)の襞はしっかりと刻まれている。本尊とはやや印象が異なり、遅れて鎌倉期につくられた可能性がある。

さらに推測を進めると、この脇侍像は本来快慶作の旧下常行堂本尊像(現耕三寺蔵)の脇侍ではなかったかと思い至る。実際、快慶作像とこの脇侍像では、 構造や像内の仕上げが共通している。

 

 

寄託の神像彫刻について

伊豆山神社はかつては伊豆山権現と呼ばれ、その神は走湯(そうとう)権現とも呼ばれた。これは山腹の源泉から湯が走るがごとく海に流れていたことに由来するという。いわば温泉を神格化した神である。

この資料館には、伊豆山神社に伝えられた銅造の走湯権現立像が2体が寄託され、展示されている。うち1体の像(像高90センチあまり)の背面の肩に、南北朝合一の年である1392年の年と、この像が本宮走湯権現の神体であること、そして造像にあたった人々の名前が刻銘されている。

体は丸みを帯び、穏やかな像である。当時の貴人の服装をする俗体の神像であるが、烏帽子をかぶり、袈裟をつけているのが面白い。特に袈裟は、この像が神仏習合の時代の神像であることを端的に表している。

もう一体の像(像高約50センチ)は、銘文等はないが、先の像とほとんど同じ姿形をしているため、走湯権現像と判断できる。土中に埋まっていた時期があったといい、全身に緑青がふいている。そのため細部は分かりにくいが、肩をいからせ、顔も柔和というよりは威厳を表しているようで、湧出する温泉の力強いイメージにより合っているように思える。こちらの像の方が時代もやや古く、鎌倉時代にさかのぼると考えられる。

 

 

その他1

上がってくる石段の途中に小さなお堂があり、役行者像が安置されているのが見える。像内銘があり、室町時代後期の1483年に造られたことが知られる。

 

 

その他2

1.5キロほどのところに、MOA美術館がある。ここも優れた仏像を所蔵するが、展示されているかどうかは事前に確認の上、お出かけになることをお勧めする。

 

 

さらに知りたい時は…

『運慶 鎌倉幕府と霊験伝説』(展覧会図録)、神奈川県立金沢文庫、2018年

『快慶』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2017年

『伊豆山神社の歴史と美術』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2016年

「伊豆の仏像を巡る」11〜14(『伊豆新聞』2012年8月19日、8月26日、9月2日、9月9日)、田島整

『大本山光明寺と浄土教美術』(展覧会図録)、鎌倉国宝館、2009年

『日本彫刻史基礎資料集成 造像銘記篇 鎌倉時代1』、中央公論美術出版、2003年

『源頼朝とゆかりの寺社の名宝』(展覧会図録)、神奈川県立歴史博物館、1999年

『伊豆国の遺宝』(展覧会図録)、MOA美術館、1992年

『阿弥陀如来像』(日本の美術』241)、光森正士、至文堂、1986年

「伊豆山権現像について」(『三浦古文化』30)、松島健、1981年

「伊豆御山常行堂とその本尊について」(『大和文化研究』13巻9号)、光森正士、1968年9月

 

 

仏像探訪記/静岡県