大悲山の石仏

大迫力の磨崖仏群

薬師堂
薬師堂

住所
南相馬市小高区泉沢薬師前


訪問日 
2020年3月27日


この仏像の姿は(外部リンク)
南相馬市小高観光協会・大悲山石仏



拝観までの道
大悲山(だいひさん、だいひさ)の石仏がある地区は福島第一原発から20キロ圏内にあり、全住民が避難。現在は解除されている。

常磐線で最後に復旧した富岡ー浪江間(2020年に開通)の区間の北側にある。開通したとはいえ、日中の列車の本数は少ない。

最寄り駅は桃内駅。下車後北へ徒歩25分くらい。
駅前を通る県道120号(陸前浜街道)を北に向かい、徒歩10分くらいで常磐線の下をくぐる。ここまでは平坦な道。そこからさらに北へややアップダウンがある道を徒歩約10分。左手に大悲山石仏の案内表示が出てくる。


拝観料
拝観料等の設定は特になかった。


お寺や仏像のいわれなど
泉沢磨崖仏ともよばれる。
栃木・大谷石仏、大分・臼杵石仏とともに日本3大石仏とされる。

しかし、だれがいつつくったのか、ほとんど何もわかっていない。近くに古代の製鉄遺跡があり、何らかの関連があるのではないかといわれる。

薬師堂石仏、阿弥陀堂石仏、観音堂石仏の3か所に分れ、一番よく残り、圧巻であるのは薬師堂石仏である。PC上の地図では薬師堂と表示されている。
阿弥陀堂石仏はその50メートルくらい手前(東)にあり、石段を上っていく。ただしこの石仏はほとんど崩落して痕跡をさがすのが難しいほどである。筆者が訪れた時には新しい覆い屋を建設中であった。
観音堂石仏は薬師堂石仏から東北に100メートルくらい。案内表示があり、わかりやすい。


薬師堂石仏について
石仏が彫られた崖を奥にしてお堂がつくられており、薬師堂とよばれている。自由に扉を開けて入り拝観するが、石仏との間はガラス戸で仕切られている。かつてはそのガラスもあけて石仏のすぐ前まで寄れたらしいが、現在はガラス越しの拝観となる。
入堂するとセンサーでライトが着く。しかししばらくじっと見ていると、いないものと見なされるのか、電気が切れてしまい、また堂内を歩くとつく。

石質は凝灰質砂岩といい、これは砂が堆積し、火山灰が混じっているものだそうだ。その岩をくり抜いて、間口で14メートル、奥行き3メートル、高さ5メートルという大きさの空間を作り、中に石仏を高浮き彫りでつくっている。
大陸ではともかくとして、日本の石仏としてはたいへんスケールが大きい。
事前に写真を見て行ったのだが、実物の迫力は圧倒的といってよい。

彫られているのは如来像(坐像)が4躰に菩薩像(立像)が2躰。さらにその間には線刻で菩薩像や飛天が彫られているが、よく見えない。如来像の光背についてはよくわかる。
像はいずれも表面の傷みが進んでいる。石心塑像といって、石の上に粘土をおいてそれに細かい彫刻を施していたのが崩落したものではないかと考えられている。
お腹の衣の線は比較的よく残るが、如来像の中では向かって一番右の像が左腕や脚部の衣がよく残っている。

いずれも肩や胸が広く堂々として、大変力強い。観音像は体躯が短い一方で腰のあたりはたっぷりとしていて量感豊かである。
この石仏がいつの時代につくられたのか、はっきりしたことは分からないが、木彫仏でこうした量感豊かな仏像がつくられたのは平安前期なので、その頃ではないかと思われる。また大陸的なスケールの大きさが感じられ、中国の影響が強いとも考えられる。


観音堂石仏について
千手観音像の浮き彫りで、高さは9メートルもあるといい、日本でも最大級の石仏である。大悲山石仏群全体の本尊とされる。
しかし、残念ながら保存状態はよくない。残っているのは顔の上半分だけで、それ以下はほぼ崩落している。顔より上にあげている手と斜め上に漂うようにして彫られた化仏は見ることができる。
顔の横に上げた手は、一見、ゆらゆらと頭をもたげた蛇のようである。それらの脇手は14~5本くらいがわかるばかりだが、それぞれの手は持物を掲げている。
面白いのは、そのうちの2本が頭の上で化仏を掲げていることである。これは清水寺式千手観音とよばれ、京都の清水寺の秘仏本尊がこの姿だという。中尊寺讃衡蔵の像や岐阜の慈恩寺の像など全国にこの姿の千手観音像はあるが、高く掲げた手は後補であることがほとんどで、確実な古例は少ない。
三十三間堂の千手観音像の納入品の刷り物にこの姿があるのと、あとはこの大悲山の千手観音像が古い確実な例といえるだろう。
石仏には新しい覆い屋がつくられ、ライトもつくので、よく拝観できる。


さらに知りたい時は…
『福島の磨崖仏、鎮魂の旅へ』、青木淳、淡交社、2017年


仏像探訪記/福島県

観音堂石仏
観音堂石仏