勝常寺の仏像

  平安時代初期の大作

 

住所

湯川村勝常代舞1764

 

 

訪問日 

2014年5月24日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

湯川村ホームページ 史跡・文化財

 

 

 

拝観までの道

会津若松駅前のバスターミナルより坂下営業所行き会津バスに乗車して「佐野」下車。北へ徒歩約20分。勝常小学校の西側にある。

仁王門を入って正面が薬師堂、右手に収蔵庫がある。

庫裏は門の左手奥にあるので、そちらに声をかける。

 

拝観はできない日もあるので、事前に申し込んでおくのがよい。

なお、毎週火曜日と冬期(11月半ばから3月)は不可。

 

 

拝観料

500円

 

 

お寺や仏像のいわれなど

伝承によれば、空海と徳一(東北地方で活動した法相宗の僧)によって会津に5躰の薬師如来像が造立されたという。方位によって中央薬師、東方薬師…と呼ばれ、勝常寺はその中央薬師であったとのこと。

その中で現存するのは、中央薬師の勝常寺と西方薬師の上宇内薬師堂だが、上宇内薬師堂の本尊は勝常寺より若干時代が下る。

勝常寺の本尊の薬師如来坐像は9世紀の作と考えられており、徳一の活躍と実際に関係している可能性があるとされる。

 

かつては大きなお寺だったそうで、仁王門が立つの手前あたりに金堂があり、今の薬師堂は講堂にあたるそうだ。また、さらに手前には東西両塔があったという。

 

現在は、古い建物は薬師堂(室町時代)だけとなり、本尊の薬師如来像が安置されるほか、十二神将像と徳一(とくいつ)上人像が置かれている。なお、本堂の厨子、須弥壇も室町時代の作である。

他の像は、収蔵庫に安置されている。

 

 

薬師堂の薬師如来像

本尊の薬師如来像が安置されている本堂は電気が来ていないために、拝観の環境としては暗く、見づらいといわざるを得ない。

しかし、その風格は何者にも代え難い。

顔、上半身、下半身のすべてがどっしりと大きい。像高は約140センチの坐像。

肉髻は自然な盛り上がりを見せ、螺髪の粒は大きい。顔は眉、目、鼻、耳のすべてをしっかりと彫出して、厳しい顔立ちをつくり出しているが、ことに鼻の下から上唇にかけてが大変に力強い。しかし角度によっては青年ような若々しさが垣間見えたりもする。

 

上半身は横の方が長いのではと思えるほど幅をとり、胸の厚みもひとしおで、衣の線も太い紐のようにしっかりと刻み出されている。

組んだ足も緊張感があり、左足先に衣が巻き付いているさまは面白い。

材はケヤキで、一部には乾漆を併用しているという。まさしく平安前期の名像であるが、なんと割矧(わりは)ぎ造であるという。一般的には割矧ぎの技法でつくられた仏像はこのもっとあとで登場するので、あたかも時代を飛び越したようである。

 

蓮華座は後補。しかし、その下の四角い台座は当初のものらしい。こうした四角い台座を宣字座ともいうが、古代の三尊仏の中尊の如来坐像はこうした宣字座に乗ることが多く、その点でも古式である。さらに光背も同作という(ただし向かって右側についている飛天は薬師像と同じくらい古いが、当初からここについていたものでない)。

 

 

収蔵庫安置の仏像

収蔵庫は、お寺では観音堂と呼んでいる。

正面には薬師三尊像の脇侍の日光、月光菩薩像、その周囲に四天王像(ただし広目天像のみ東京国立博物館に寄託)、左右に地蔵菩薩、その向かい側に十一面観音像、聖観音像、天部立像が並ぶ。計10体、すべて一木造、平安時代前期から中期ごろの仏像である。

 

日光、月光菩薩は本来薬師堂の厨子内に薬師如来像とともに入っていたのだという。像高は170センチ前後で、ほぼ対称の姿勢で立っている。どっしりとはしているが、中尊像のような厳しさはなく、穏やかさが感じられる。

天衣は片方が前方に、もう片方が背中側に垂れるため、平安時代によく見られる膝のあたりを2本横切るのではなく、1本横切り、これは古い形である。

その横切り方も足の凹凸に合わせた曲線をつくる。その上のもものあたりの衣は襞をつくらず、下肢は衣がつれて襞を多くあらわす。また裙は中央であわせている巻きスカートであるので、裙の折り返しも中央で衣が左右に分かれる。理屈にあったまじめな造形と思う。

下肢の長さや胴の絞り、腰の太さ、肩の傾き具合など細かく見ると、両像の雰囲気は若干異なっている。

 

四天王像のうちの持国天、増長天の二天像は、破損もあるが、顔、体の面白さ、動き、安定感の揃ったすぐれた像である。

顔はごつごつした岩のようにつくり、首はほとんどない。右手を上に大きく振りかぶり、腰は左に強くひねって、右足を半歩外に出す。

像高は120~130センチ。邪鬼まで一木から彫り出している。

多聞天像は動きが少なく、作風が異なるように思える。

 

十一面観音像も聖観音像も前で天衣が1本横切るタイプで、やはり古式である。十一面観音像は条帛がもものあたりまで下がり、また、裙をおさえるベルトが見えていたりと、面白い造形である。なお、他の像はケヤキでつくられているが、本像のみカツラかヒノキらしい。

聖観音像は傷みも進んでいるためか、やや沈鬱な表情に見えるが、なかなかの名像である。十一面観音像ほどではないが、条帛を右のももの方まで下げ、胸飾りも共木でつくり出している。顎は小さめだが力強い。裙は足首にぼってりとかかっている。

 

2躰の地蔵菩薩像は、ともにいかにも霊像という雰囲気。厳しい顔つきと袈裟に同心円状におびただしく襞を刻んでいる様子からそのように感じるのであろうか。

伊豆の南禅寺(河津平安の仏像展示館安置)の地蔵菩薩像と並んで、東国での地蔵菩薩像の古い作例であるが、あるいは神像としてつくられたのかもしれない。

 

天部像は虚空蔵菩薩像と伝えられている。顔が彫り直されているが、他は保存状態がよく、台座も当初のものである。

 

 

その他

仁王門の仁王像は腰蓑とレッグウォーマーを着けて、いかにも雪国の像という感じでほほえましかった。

筆者はこのあと会津坂下町の恵隆寺と上宇内薬師堂を訪れたが、そのすべてに仁王門があり、地方的で素朴な作ながら仁王像が安置されていた。雪国の吹きさらしの場所に立つ仁王像だが、それを大切に守っている人々がいらっしゃることのすばらしさを感じた。

 

 

さらに知りたい時は…

『みちのくの仏像』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2015年

『みちのくの仏像』(『別冊太陽』)、平凡社、2012年

『会津若松市史17 会津の仏像』、会津若松市、2005年

『ふくしまの文化財 会津編』、笹川寿夫、歴史春秋出版、2003年

『図説 みちのく古仏紀行』、大矢邦宣、河出書房新社、1999年

『隠れた仏たちー山の仏』、藤森武・田中惠、東京美術、1998年

『月刊文化財』394、1996年7月

『勝常寺と村の文化財』(『湯川村史』1)、湯川村教育委員会、1985年

 

 

仏像探訪記/福島県