證菩提寺の阿弥陀像

  定朝様の阿弥陀三尊像と鎌倉仏の阿弥陀像

阿弥陀三尊の脇侍像
阿弥陀三尊の脇侍像

住所

横浜市栄区上郷町1864

 

 

訪問日

2011年5月30日

 

 

拝観までの道

大船駅の北口(笠間口)を出て、北側にあるバスターミナルの3番乗り場から本郷車庫前、金沢八景駅方面行きの神奈中バスに乗車し、約15分。「稲荷森」で下車し、南へ徒歩3分ほど。

㹨(いたち)川という小さい川を渡ると左側にある。

 

拝観は事前予約必要。

法事等で忙しい土日や夏の施餓鬼会、春秋の彼岸の前後などは難しいとのこと。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺のいわれ

證菩提寺(しょうぼだいじ)の創建は、鎌倉初期(12世紀末)。

配流先の伊豆で挙兵した頼朝は、石橋山の戦いで敗戦を喫する。この時、岡崎義実の子で佐那田与一義忠という若武者が奮戦し、命を落とした。のちに幕府を開いた頼朝は、佐那田与一の死を悼んでこの證菩提寺を建てさせたと伝えるが、父の義実が息子を菩提を弔うために、頼朝の後援を得て創建したというのが事実に近いところであるかもしれない。寺名は、義実の法名からとられているという。

創建時の中心堂宇は阿弥陀堂であったことがわかっている。

 

ところで、この岡崎氏というのは三浦氏の一族である。

1213年、同じ三浦一族の和田義盛と北条氏が争った。この時岡崎氏は和田義盛の側についたため、滅亡してしまう。岡崎氏の旧領は北条氏のものとなり、證菩提寺も北条氏の管理に移った。この地は鎌倉の北東の要衝であり、ここを得たことは北条氏にとって大きかったようだ。

1236年、北条義時の息女によって證菩提寺に新阿弥陀堂がつくられている。寺の中心も、岡崎氏草創の阿弥陀堂から北条氏による新阿弥陀堂へと移ったと考えられる。

 

その後、證菩提寺は鶴岡八幡宮寺との関係が深くなることが知られる。しかし、15世紀以後は、東寺系の真言宗が優勢となった。(現在、真言宗寺院である)。

また、室町時代後期以後、寺は次第に衰退していったようだ。しかし大きな戦乱や大火に巻き込まれたという記録はなく、法灯は今日まで継続して守られてきたと思われる。

 

 

2躰の阿弥陀像について

この寺には定朝様の阿弥陀三尊像と鎌倉時代の新様式の阿弥陀如来像が伝来している。鎌倉期の阿弥陀如来像が本堂本尊であり、それより古式の様式でつくられた阿弥陀如来像は客仏のような扱いで、本堂横の収蔵庫内に安置されている。

 

阿弥陀三尊像の脇侍像台座に修理銘がある。1635年の年が書かれるとともに、「造られてから460年が経過したために修理した」との旨が書かれている。それが何らかの根拠があって書かれたとすると、阿弥陀三尊像の造立は逆算して平安末期の1175年ということになる。

これを信じるならば、寺の創建以前の像ということになり、いつの時代にか、他から移されてきた像ということになる。しかし、修理銘にある「460年」がどれだけの正確さで書かれたものかは不詳であり、それよりもこの寺が断絶なく続いてきたという歴史を重くとらえるならば、この像こそが岡崎氏によってつくられた創建時の本尊、一方現本尊像は、北条氏によって建てられた新阿弥陀堂の本尊であったとの推測もできる。

 

 

収蔵庫安置の阿弥陀三尊像

収蔵庫に安置されている、平安末期から鎌倉初期の時代の阿弥陀三尊像は、中尊が像高約110センチの坐像、脇侍が1メートルあまりの立像である。ともにヒノキの寄木造、彫眼。

中尊は腹前で組む定印、脇侍像はやや腰をかがめて、蓮台をかかげる観音菩薩像(向って右)と合掌する勢至菩薩像で、来迎する姿の表現である。特に違和感はないが、中尊が来迎印なのか定印なのか、脇侍が立像なのか坐像(大和座りを含めて)なのかと区分していくと、この組み合わせ、すなわち中尊は定印で、脇侍が立像の来迎像というのは、意外に作例が少ないことに気がつく。

 

中尊は、はちきれんばかりの丸顔で、螺髪の粒は細かく、整然と並ぶ。姿勢よく、ゆったりと座り、安定感ある像である。衣の襞(ひだ)は、定朝様の仏像としては比較的深く、一定間隔で整然と刻まれる。

脇に回ると、これも比較的にということではあるが、体に厚みがある。背中から右の脇腹への衣がゆったりと流れていく質感が心地よい。

内ぐりは大きくとり、材の厚みはこの時代の寄木造の像らしく薄くつくられているのだそうだ。

 

脇侍像はやはり丸顔で、裙を大きく折り返し、襞を浅く刻む。わずかに腰をかがめる姿勢が美しい。

中尊、脇侍とも、後世の塗り(修理銘にある年のものか)のために、目鼻立ちがくっきりせず、全体に鈍い印象になっているのは残念である。

台座は、中尊のものは一部当初部分が残るが、脇侍のものは後補。

 

 

本堂本尊の阿弥陀如来像

収蔵庫安置の阿弥陀三尊像は国指定重要文化財なのに対して、本堂本尊の阿弥陀如来像は県指定の文化財であるので、やや知られていないということがあるのかもしれない。しかし、本堂の仏さまもすばらしいお像なので、ぜひ拝観をお願いすることをお勧めする。

 

こちらの像は、像高約85センチの坐像。ヒノキの寄木造、玉眼。定印を結ぶ。

なかなか緊張感のある仏像である。まず目。細く、切れ長とせず、ややつり上がり、前方を見据えている。眉は大きな弧を描かず、自然である。額も広くはとらない。ほおは張り、口許はひきしまる。

顔全体は若干うつむき加減で、首は太く短い。髪際はカーブし、肉髻は低く、螺髪の粒は細かい。

上半身はゆったりと大きくつくり、胸板は厚く、迫力がある。腕はすらりとは伸びない感じで、脚部は低めにつくる。袈裟の端が両膝の間に垂れる。膝頭は、きつく衣につつまれていることを表現して襞を刻まない。

伊豆の願成就院の本堂本尊や北条寺の阿弥陀如来坐像に近い像である。運慶去りしのちの東国において、慶派の力強さを受け継いだ作といえるだろう。

 

 

その他

このお寺にはこのほか、南北朝時代の年記をもつ銅造聖観音像が伝来する。本尊に向って左側に安置されるが、そこはライトが届かず暗いので、わかりにくい。お寺の方に聞くとよい。

 

 

さらに知りたい時は…

『武家の古都・鎌倉』(展覧会図録)、神奈川県立歴史博物館ほか、2012年

『鎌倉時代造像論』、塩澤寛樹、吉川弘文館、2009年

『神奈川県文化財図鑑 彫刻篇』、神奈川県教育委員会、有隣堂、1975年

 

 

仏像探訪記/神奈川県