清雲寺の滝見観音像

  南宋からの渡来仏

住所

横須賀市大矢部5-9-20

 

 

訪問日

2010年6月5日、 2014年8月24日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

よこすかの文化財・滝見観音像  毘沙門天像

 

 

拝観までの道

清雲寺は京急北久里浜駅かJR横須賀線衣笠駅から徒歩約30分。

 

路線バスでは、京急バスの「満昌寺」が1番近いバス停である。衣笠十字路(衣笠駅の東約500メートル)とYRP野比駅との間を結ぶ路線で、本数は1時間に2本程度。

「満昌寺」バス停から東へ100メートルくらい行った最初の信号のところに、清雲寺を示す道しるべが立っているので、そこから細い道を南へ150メートルほど行くと左側にある。

または、京急北久里浜駅から岩戸団地循環または団地経由YRP野比駅行き京急バスで「大矢部三丁目」下車、西へ400メートルくらいで、上に書いた清雲寺への道しるべのある信号のところに行く。

あるいは、JR横須賀駅か京急の横須賀中央駅から長井、三崎口駅方面行き京急バスで「衣笠城趾(きぬがさじょうし)」下車、東へ500〜600メートルくらい行くと、やはりこの道しるべのある交差点に着く。この路線は比較的本数が多い。

 

京浜急行バス

 

拝観は事前予約が必要。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺や仏像のいわれ

本尊の観音菩薩像は、滝見観音と呼ばれる。もともとの本尊ではなく、廃絶した他寺から移されてきた像という。本尊に向って右側に毘沙門天像が安置されているが、以前はこちらが本尊であったらしい。向って左側には三浦氏3代の位牌が置かれていて、この寺が三浦氏ゆかりの寺院であるとわかる。

 

三浦氏は、桓武平氏流と伝えるが、もともとこの地の豪族であったとの説もある。平安時代後期に源氏に従って功をあげ、のちには鎌倉幕府を支える重要な御家人となる。

清雲寺にほど近い満昌寺をはじめ、この地域には三浦氏の関係のお寺がいくつも残る。その中でもこの清雲寺は鎌倉幕府ができる以前の創建ということで、特に歴史あるお寺である。

 

 

拝観の環境

内陣は照明があるので十分な明るさだが、本堂は西向きなので、晴天の午後はさらに光が入ってよい。拝観は外陣からなので、若干距離はある。

 

 

滝見観音像

滝見観音像は像高(坐高)約60センチ。材は中国製のサクラだそうで、中国・南宋でつくられた仏像と考えられている(ただし樹種については不確実。キリであると述べているものもある)。

右足を立て膝にし、左足を踏み下げる。右手は右膝の上に、左膝の後ろで左手をついて、くつろいだ姿勢である。滝を見ている姿だそうで、実際厨子の中には滝のミニチュア(後補)がしつらえられている。

 

しかしなぜ観音が滝を見てくつろいでいるのだろうか。

仏画や中国の磨崖仏の中には、くつろいだ姿の観音の脇に礼拝する童子の姿が表されているものがある。『華厳経』によれば、インドの長者の子、善財童子が悟りへの旅を続けて多くの人や仏・菩薩に教えを請い、その間に光明山中に観音菩薩をおとなう。観音像と礼拝する童子の組み合わせは、その場面を描いたものと考えられる。

しかし、『華厳経』には「観音は金剛宝座(ゆるぎなき悟りの座)上に結跏趺坐(けっかふざ、仏教における正式な座り方、座禅のときに組むのがこれ)している」と書かれている。それがなぜくつろいだ姿で描かれるようになっていったのかはよくわからないが、おそらくは中国古来の神仙思想にしばしば登場する山中で超能力を獲得した仙人の悠然たる姿が仏教の中に取り入れられたものであろう。

10世紀ごろよりこうしたくつろいだ姿の観音の画像が盛んに中国でつくられ、やがて滝とともに描かれたものを滝見観音、楊柳(やなぎのこと)を挿した水瓶とともに描かれると楊柳観音など、画中の景物によってさまざまな名称が生み出された。

しかし、画像は多いが、本像のような彫刻は少なく、貴重である。

 

面長で目は細い。瞳にはガラスのようなものを裏から入れている(玉眼にも通じる技法と言えるかもしれない)。首飾りや肩の髪は練り物でつくられている。首飾りの下には下着を見せ、上半身には衣をまとうなど、一般の観音像とは異なる姿で、下半身の裳を腰でぐるぐると巻いて留めている表現など、エキゾチックな感じがする。

大きな冠をつけるが、これは後補。

体部は、中を空洞にして、前面材、後面材、両側面材、底板で箱のように木を組んでいる。こうした構造や、肩の髪を練り物でつくる技法、上半身の服制は、日本に伝来する他の南宋仏像と共通していて、13世紀前半ごろの作と考えられている。

 

 

毘沙門天像

毘沙門天像は像高約70センチ。寄木造、玉眼。鎌倉時代の作。

大きな像ではないが、立派な甲冑をまとって、スケール感ある仏像である。特に兜は首回りを保護する部分が大きく左右に翻り、大変力強い。この兜は取り外しができるようになっているのだそうで、鎌倉時代らしいリアリズムというべきか。足は裸足だが、これも沓などをはかせていた可能性もある。

彩色はところどころ残るが、これは当初のものらしい。ただし、顔は彩色がまだらになって、表情が読み取りにくい。

堂々と胸を張り、塔を掲げる左手は屈臂して、力を溜めるがごときである。右足を斜めに踏み出して、安定感を出している。

和田合戦に際し、和田義盛のために敵の矢を受け止めた像との伝説がある。

 

 

その他

内陣の三浦氏位牌の前に横向きに安置されている地蔵菩薩の小像は、南北朝時代の作。

 

 

さらに知りたい時は…

『運慶 鎌倉幕府と霊験伝説』(展覧会図録)、神奈川県立金沢文庫、2018年

『鎌倉の仏像』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2014年

「都市鎌倉の宋風彫刻」(『仏教美術論集 様式論1』、竹林舍、2012年)、浅見龍介

「宋代美術の受容」(『週刊朝日百科 国宝の美』28)、藤岡穣、朝日新聞出版、2010年3月

『東日本に分布する宗教彫像の基礎的調査研究』(『東国乃仏像』二)、有賀祥隆ほか、2010年

『聖地寧波』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2009年

『禅宗の彫刻』(『日本の美術』507)、浅見龍介、至文堂、2008年8月

『よこすかの文化財』、横須賀市教育委員会、2007年

『霊験仏ー鎌倉人の信仰世界』(展覧会図録)、神奈川県立金沢文庫、2006年

「木造観音菩薩坐像」(『三浦一族研究』10)、上杉孝良、2006年

「清雲寺蔵 観音菩薩坐像」(『国華』1288)、奥健夫、2003年2月

「宋風彫刻の発展」(『朝日百科 日本の国宝 別冊 国宝と歴史の旅』7)、浅見龍介、2000年 

『月刊文化財』417、第一法規出版、1998年6月

『神奈川県文化財図鑑 彫刻編』、神奈川県教育委員会、1975年

 

 

仏像探訪記/神奈川県