弘明寺の十一面観音像

  関東を代表する鉈彫仏

住所

横浜市南区弘明寺町267

 

 

訪問日

2007年8月3日  2015年5月31日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

弘明寺ホームページ

 

 

 

拝観までの道

弘明寺(ぐみょうじ)駅は2つあり(京浜急行と市営地下鉄)、寺に近いのは京浜急行線の弘明寺駅である。

下車後数分で仁王門(大きな顔、誇張された怒りの表情の仁王像が安置されている)前へ、そこから石段をのぼると本堂前に出る。

 

 

拝観料

本堂入堂500円

 

 

お寺や仏像のいわれ

江戸時代の史料である『新編武蔵国風土記稿』によれば、弘明寺の堂は1044年(寛徳元年)に建立され、その後何度も修築が重ねられてきたものという。そして、1765年の改修のおり、古い柱のほぞの内側に寛徳元年と記されているのを見た村民がいると書かれている。

現在の本堂の板には古代の工具で削ったと思われる古材が残っており、この堂の成立が実際にこの年代の頃まで遡る可能性は十分にある。十一面観音像がはじめからこのお堂の本尊であるとすれば、その造像年代は堂と同じ頃、すなわち11世紀半ばと考えることが可能である。

 

 

拝観の環境

本尊の十一面観音像は本堂奥に安置され、厨子のすぐ前まで近づいて拝観できる。頭頂部は陰になっていて見えないものの、顔つき、体全体につけられている鑿(のみ)目の様子などとてもよく見える。

 

 

仏像の印象

十一面観音像は高さ約180cm、ケヤキの一木造りで、内ぐりも施されていない。そのためか顔に縦に割れ目がある。体は上半身がやや右に傾いでおり、顔が大きい。

可愛らしくも見え、独特の迫力も感じるすばらしい像である。

 

厨子の陰となっている頭頂部は、写真を見ると、上に向いた突起(立像化仏?)がつけられている。こうした突起は秋田県の小沼神社に伝わる観音像にもみられ、神が依り付く「よりしろ」の名残りという説がある。

この仏像そのものが神木のような特別な木を用いて彫られているのかもしれず、傾いているのは、材料とされた神木の形が像に現れたからとも考えられる。また、神木ゆえに内ぐりが施されなかったのかもしれない。

 

鉈彫像独特の鑿目は、ほぼ全身に横方向に彫られている。伸びた右手の人さし指の先に至るまで、実に規則的に縞がつけられているが、衣や天衣などの表現が打ち消されないようにその上の部分では方向や彫りの深さを加減している。不思議な造型美の仏像である。

ほかに特色としては、下半身を横切る2筋の天衣がからんで、一本がW字のようになっている。この形は例がないわけではないが、比較的珍しい。

 

なお、久野健氏は鉈彫像を3つに分類している(『鉈彫』)。第一類は規則的な横縞目をもつ像、第二類は規則的というほどではないものの丸鑿の痕を誇示している像、第三類は丸鑿の痕が少なく、また弱くなった像である。地域によって前後することもあるだろうが、全般的に第一類が古く、第三類は新しい。そしてやがて鑿の痕は消滅し、鎌倉彫刻の中へと消えてゆく(像の造られ方も、第一類はほとんど全身が一本の木から彫られ、二類では腕のみ別木、三類になると寄木造の像が現れてくる)。この区分で考えるならば、この弘明寺の十一面観音像は第一類に属し、日向薬師(神奈川県)の薬師三尊像に次ぐ時期のものと考えられ、11世紀半ばという造像年代はおおむね妥当と考えられる。

 

 

その他

地下鉄の弘明寺駅の隣、蒔田駅のそばに無量寺というお寺がある。ここには50センチほどの大きさの鉄造の不動明王立像(近世の作)がまつられているが、お聞きしたところ12年に一度の開帳なのだそうだ。2005年がその年で、5月中開扉していたとのこと。次は2017年ということになろうか。

 

 

さらに知りたい時は…

『平安密教彫刻論』、津田徹英、中央公論美術出版、2016年

『関東の仏像』、副島弘道編、大正大学出版会、2012年

『東日本に分布する宗教彫像の基礎的調査研究』(『東国乃仏像』二)、有賀祥隆ほか、2010年

『曼荼羅』(展覧会図録)、神奈川県立金沢文庫、2008年

『仏像』(展覧会図録)、東京国立博物館・読売新聞社、2006年

「十一面観音像が戴く異形の頂上仏面をめぐって」(『仏教美術と歴史文化』、法蔵館)、津田徹英、2005年

「十一面観音像の表現」(『シルクロード学研究』11)、井上一稔、2001

『唐物と宋版一切経』(展覧会図録)、神奈川県立金沢文庫、1998年

「十一面観音像」(『国華』1013)、清水眞澄、1978年6月

『鉈彫』、久野健、六興出版、1976年

『神奈川県文化財図鑑 彫刻篇』、神奈川県教育委員会、1975年

 

 

仏像探訪記/神奈川県