善福寺の親鸞聖人坐像

  「伝了源坐像」として文化財指定

住所

大磯町高麗1−7−7

 

 

訪問日 

2012年8月5日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

大磯町観光情報

 

 

 

拝観までの道

大磯駅または平塚駅北口から神奈川中央交通バスで、「花水」下車。両駅から歩くことも可能な距離である(徒歩30分くらい)。また、大磯駅前の観光案内所にはレンタサイクルもある。

平塚駅からバスで行くと、花水川に架かる花水橋を渡って次の停留所が「花水」。下車し、来た方へ戻ると、道の南側に善福寺がある。

 

拝観は事前連絡必要。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺や仏像のいわれなど

善福寺は浄土真宗のお寺。開山は了源というお坊さんであると伝える。

了源は平塚入道とも称した、また曽我十郎と虎御前の間の子であるなど伝えられる。親鸞が南関東に来られた際にそのお弟子となったといい、親鸞の消息に「ひらつか入道の往生」について触れているものがあるので、13世紀半ばごろ、親鸞に先立って没したとされる。

しかし、その人物像は伝説的であり、また親鸞消息にある「ひらつか入道」と本当に同一人物なのか疑わしい。

 

善福寺の本尊は阿弥陀如来立像で、その向って右側に僧形坐像が安置される。この像について、当寺を開いた了源の像であると書かれた近世史料があり、それに従って伝了源坐像像として指定文化財(国重要文化財)となっている。

 

この像について、善福寺では親鸞の像であると伝えられてきた。

親鸞像は、画像、木像ともにかなりの数残されているが、口は小さく、襟に布を巻き、数珠を持つ姿というのが多いようだ。一方この像は、そうした全国に分布する親鸞の像と姿形の上で共通点が乏しい。このことから、本像は親鸞像ではないだろうということになり、開祖の了源像の可能性が高いとされたらしい。

 

だが、本像のように合掌する親鸞像も存在する。さらに、江戸中期のものではあるが、本像には納入文書があり、そこには「親鸞聖人御像」と明記されている。こうしたことなどから、本像は「親鸞聖人坐像」として、2011年開催の「親鸞展」(京都市美術館)や「釈尊と親鸞」展(龍谷ミュージアム開館記念展)に出品された。

 

 

拝観の環境

堂内でよく拝観させていただけた。

 

 

親鸞聖人坐像の印象

像高は約1メートル。寄木造で玉眼。像底は上げ底式に彫り残しているそうである。表面はほぼまっくろだが、もとは彩色されていたらしい。

顔は、目や口許が左右対称を若干破り、額の皺、張ったほお骨、小さめの耳と、とてもリアルな造形である。鎌倉時代の真に迫る肖像彫刻として優作といえると思うが、どことなく特定の人物というよりも一般的な高僧像のようでもある。

こちらに向けてやや倒した合掌の手も自然。衣の線は大まかで、達者だがやや類型的な彫りという感じもする。

鎌倉時代後期〜末期ごろの作と思われる。

 

像内に遺骨が塗り籠められているそうだ。これは、14世紀前半に唯善という僧が関東に親鸞の木像と遺骨を伴って下向したことが伝えられており、その遺骨の一部である可能性もあるという。

 

 

本尊について

本尊の阿弥陀如来像は来迎印を結ぶ立像で、像高は約1メートル。快慶が得意とした三尺の阿弥陀立像に近い姿である。

割矧(わりは)ぎ造、玉眼。表面の金や両手先、両足先は後補で、やや傷んでいるところもあるが、全体的にはよい保存状態を保っている。

顔つきは若々しい中に落ち着きをもち、快慶作の像のきりりとした感じとはやや異なるように思う。鎌倉中期ごろ、快慶の流れを汲んだ仏師によってつくられた像か。

この時代としてはやや大きめの肉髻をもち、髪際はほぼ一直線、頬は写真で見ると大きく張っているように思えたが、実際に拝観すると、光の加減もあると思うが、それほど誇張した表現ではない。

両肩の衣をたるませたりはせず、下肢の衣の流れもすっきりとしている。

 

 

その他

国道1号をはさんで西側に、鎌倉時代の地蔵菩薩坐像を所蔵する慶覚院がある。

 

 

さらに知りたい時は…

「中世真宗の祖師先徳彫像の制作をめぐって」(『美術研究』406)、津田徹英、2012年3月

『親鸞展』(展覧会図録)、京都市美術館ほか、2011年

「善福寺蔵 親鸞聖人像」(『国華』1287)、津田徹英、2003年1月

『神奈川県文化財図鑑 補遺篇』、神奈川県教育委員会、1987年

『大磯町文化財調査報告書』20、大磯町教育委員会、1980年

「大磯善福寺の彫刻」(『史迹と美術』460)、山田泰弘、1975年11月

 

 

 

仏像探訪記/神奈川県