円応寺の冥界群像

  閻魔さまはじめ地獄の諸王勢揃い

閻魔王坐像
閻魔王坐像

住所

鎌倉市山ノ内154

 

 

訪問日

2010年7月21日、 2015年4月5日

 

 

 

拝観までの道

北鎌倉駅から約15分。鎌倉駅から鶴岡八幡宮の横を通って行くと25分くらい。建長寺の向い。

 

 

拝観料

200円

 

 

お寺や仏像のいわれ

円応寺(えんのうじ)は鎌倉時代、鎌倉大仏の東の地に創建された。その後足利尊氏によって鶴岡八幡宮の浜の大鳥居の東南に移され、さらに江戸時代の18世紀初頭に現在の建長寺の向い側へと移転して今日に至っている。

建長寺の向いというと、現在でこそ鎌倉観光の中心という感じの場所である。しかし、鶴岡八幡宮方面から歩くと巨福呂(こぶくろ)坂を越えたところであり、ここはかつての鎌倉の北の境であって、刑場も設置されていたことがある。

つまりこの寺は、当初は鎌倉の西の境、その後南と北の境へと、いずれも鎌倉の端にあたる場所に置かれた寺院であったわけである。

円応寺は閻魔堂の名で信仰を集め、現在も閻魔大王を中心に、冥界群像をまつる。あの世を指し示す像のある所として、境界の領域がふさわしいと考えられたのであろう。

 

しかし、海岸の近くにあった時期が長かったため、何度も津波のために被害を受けたようである。最終的な移転も、元禄期の地震・津波にあったためという。そのため、地獄十王像の多くが、近世の補作に置き換わっている。さらに、近代には関東大震災の被害にもあった。それにもかかわれず、群像の中には中世までさかのぼれる優れた作品が残っている。

 

 

拝観の環境

閻魔王像は前に壇があり、すぐそばまでは寄れないが、照明も取り付けられていて、よく拝観できる。他の像はすぐ近くで拝観できる。ただし、いくつかの像は鎌倉国宝館に寄託されている。

 

鎌倉国宝館ホームページ

 

 

仏像の印象など

死者を裁く冥界の王が地獄十王である。死後7日めからはじまって、各王が決まった期日に亡者を裁き、その行くべきところを決するのだという。円応寺にはその地獄十王と、王に仕える倶生神(ぐしょうじん)、鬼卒(きそつ)、罪の軽重を計る役割を果たす人頭杖(檀拏幢)、三途の川のほとりで亡者の着物をはぐ奪衣婆(だつえば)、そして地獄より亡者を救うという地蔵菩薩までが一具で伝えられている。

ただしその制作年代は一様でない。初江王(しょこうおう)像は後述のように鎌倉中期の1251年、倶生神像(2躯)はやや遅れて鎌倉後期、鬼卒像と人頭杖は南北朝時代(台座は近世の補作)、奪衣婆は像内の銘文より室町時代であることが分かっている。閻魔王像は、頭部のみ当初の鎌倉時代の作ともいわれる(疑義あり、後述)。その他の像は江戸期の補作である。また、初江王、倶生神、鬼卒、人頭杖は鶴岡八幡宮境内の鎌倉国宝館に寄託されていて、一具揃っては拝観できないのが残念である。

 

円応寺の冥界群像中、最も優れた出来ばえを表すのは初江王像である。関東大震災後の修理で像内より銘文が見つかり、鎌倉中期の1251年、仏師幸有の作であることが知られた。幸有については分かっていることは少ないが、慶派の流れを汲むと書かれた史料もある。

像高1メートル余りの坐像で、目を見開き、口は結んで、怒りの表情を表す。中国風の衣服をまとうが、複雑な衣の襞(ひだ)の表現がすばらしい。通常、鎌倉国宝館の常設展示(鎌倉の仏像)で見ることができる(展示されていないこともあるので、問い合わせるか、ホームページで確認しておでかけください)。

 

円応寺本堂に安置されている像では、本尊として中央にある閻魔像が迫力ある表情を見せている。口を大きく開き、罪人を強く叱責しているようである。しかし、体は顔に比べて小さく、手など縮こまっているようである。衣服の表現など、初江王像に比べて面白みに欠ける。室町時代の仏師如円(弘円?)が修理したという史料があり、頭部は当初の鎌倉時代だが、室町時代、そして江戸時代にも大きな修理を受けて現在の姿になっているという。確かに頭部は鎌倉時代の仏像のもつ力強さを感じるが、一方体部はやや小さく、頭と体がアンバランスであるようにも思う。

 

ところが、江戸中期の1698年3月、円応寺の十王像は江戸・浅草に運ばれて公開されたのだが、この時正式の出開帳の手続きを踏まなかったとして関係者は幕府から厳しく咎めらるという事件があった。結局許されたようだが、像は浅草にしばらく留め置かれ、9月12日に火災に巻き込まれて、閻魔王以下五躰が灰燼に帰したと伝える史料がある。とするならば、当初の閻魔王像はこの時焼けてしまったことになる。

現在の像については、いかなる経過で円応寺にもたらされたものか、今のところ不明ということになる。

 

初江王、閻魔王以外の八王は、顔、体ともやや変化に乏しいなど精彩を欠いていて、江戸期のものと考えられる。

堂内向って右側に安置されている奪衣婆像は像高約90センチ。よく見る上半身裸体の老婆の姿でなく、着衣をつけ、堂々と座る像で、なかなか優れた像である。像内に長文の銘があり、文意不明なところも多いが、16世紀前半に弘円(閻魔王像を修理したとされる仏師)によって制作されたことが分かっている。

 

 

さらに知りたい時は…

「円応寺初江王坐像再考」(『仏教芸術』343)、森田龍磨、2015年11月

『鎌倉の仏像』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2014年

『東日本に分布する宗教彫像の基礎的調査研究』、有賀祥隆ほか、2010年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』7、中央公論美術出版、2009年

『鎌倉人の地獄と極楽』(特別展図録)、鎌倉国宝館、2007年

「冥界の彫刻の古例」(至文堂『日本の美術』313)、田中義恭、1992年

「円応寺閻魔十王像に関する一史料」(『鎌倉』42)、伊藤智子、1983年

『神奈川県文化財図鑑 彫刻篇』、神奈川県教育委員会、1975年

「円応寺の閻魔十王像について」(『仏教芸術』89)、鷲塚泰光、1972年

 

 

仏像探訪記/神奈川県