黒田観音寺と安念寺

古様な木彫像の魅力

黒田観音寺
黒田観音寺

住所
長浜市木之本町黒田1811(黒田観音寺)

長浜市木之本町黒田2027(安念寺)


訪問日 
2016年11月6日


この仏像の姿は(外部リンク)
長浜・米原・奥びわ湖を楽しむ観光情報サイト・黒田観音寺  黒田安念寺



黒田観音寺への道
霊応山観音寺が正式名称だが、地名をとって黒田観音寺と呼ばれることが多い。
木ノ本駅から北西に2キロほどのところにあり、便利なのは駅のレンタサイクル。平坦地を行くので、快適である。近くまで行くと案内表示があるので、わかりやすい。
拝観は事前連絡が必要。月曜日は不可。また冬季は休み。
問い合わせ先は奥びわ湖観光協会。
拝観料は500円


黒田観音寺について
奈良時代、行基による創建と伝える。のちに臨済宗となる。また、大名黒田氏の祖先の方が寺の再興にたずさわったという。
現在は湖北の他の寺院と同様に地域の方が管理している。
本尊は千手観音像と伝えられているが、腕の数が18本であるので、准胝観音ではないかなどといわれている。


拝観の環境
厨子中に安置される。近くよりよく拝観させていただけた。
お堂が若干東向きであるのか、筆者が訪れたのは晴天の午前中の時間帯で、陽光が入ってとてもよく拝観できた。


仏像の印象
像高は約2メートル。針葉樹材の一木造で、背中からくりをほどこす。
写真で見るとでっぷりと太づくりの像のようだが、実際にはそれほどではない。確かに上半身は肉付きがよく、ぷっくりとした感じだが、下半身はむしろスレンダーである。
まげを高く結い、目や口は薄くつくる。眉と目の間が比較的近く、また目尻がやや釣り上がり気味であることから、独特の表情となっている。
腕はにょきにょきと太い。

正面に出ている手が、合掌していたり鉢をもったりしていないし、腕の数が少ないということもあって、やはり千手観音像とは考えにくいように思う。頭上面もついていない。
では准胝観音像と考えてよいかというと、18の手をもつ准胝観音の姿を述べた経典では3眼であると説く。本像はそうではなく、尊名を確定しがたい。

裙の折り返しは自然な衣の動きをあらわし、正面で打ち合わせた部分はきれいな三角形の形を重ねている。下肢の衣のひだは太く、奈良時代の塑像の彫刻のように深く彫り込まれていて、魅力がある。

安念寺
安念寺

安念寺(いも観音)について
黒田観音寺から西南に数分、水路の先、西側の高台に安念寺がある。
案内表示等はないので若干わかりにくいが、水路をまたぐ小さな石橋を渡るとその先が入口である。
このお寺も地元で管理されている。拝観は事前予約必要。
拝観料は300円。
問い合わせ先は奥びわ湖観光協会。

創建は奈良時代前期、藤原不比等の子で仏門に入った詳厳という方という。以来その子孫が代々この西黒田の集落に住んで、今日までずっとお寺を守ってきたということだ。

このお寺には10躰の古仏が伝えられている。かつては15躰あったそうだが、盗難で失われたとのこと。
「いも観音」という不思議な別称がある。
伝承によれば、信長や秀吉の軍の兵火から仏像を救うために、村人たちは土に埋めて守ったといい、埋めたり掘り出して洗うことから芋が連想されたのであろうか。かつては仏像を川に浮かべて子どもたちが遊んだ、また仏像を洗う習慣があった等伝えられている。


安念寺の仏像について
仏像は如来形、菩薩形、天部形とさまざまな姿で、比較的小さな像もあれば等身大ほどの像もある。平安時代前期の一木彫の仏像であるが、どの仏像も傷みが進んでいる。
カヤかと思われる針葉樹の一木造で、内ぐりのない古様なつくり。単純な構造であるからこそ堅牢であり、このように損傷が進んでも、仏としての姿をとどめているともいえる。
わずかに残る面影は優しさをとどめ、上半身は大きく、お腹は少し丸みをもたせている。


さらに知りたい時は…
『びわ湖・長浜のホトケたち』Ⅱ(展覧会図録)、長浜市長浜城歴史博物館編、長浜市発行、2016年
『びわ湖・長浜のホトケたち』(展覧会図録)、 長浜市長浜城歴史博物館編、長浜市発行、2014年
『高月町史 景観・文化財編』分冊2、高月町、2006年
『不空羂索・准胝観音像』(『日本の美術』382)、浅井和春、至文堂、1998年3月
「滋賀・黒田観音寺伝千手観音立像」(『日本美術工芸』667)、井上正、1994年4月


仏像探訪記/滋賀県