石山寺本尊胎内仏

  2002年に本尊像内より見つかる

観音像
観音像

住所

大津市石山寺1-1-1

 

 

訪問日 

2011年3月27日

 

 

拝観までの道

京阪電鉄石山坂本線の終点石山寺駅下車。琵琶湖から流れ出る瀬田川に沿って南へ10分ほど行くと、石山寺の正門である東大門の前に出る。

または、JR石山駅前から野々宮方面行き京阪バスで「石山寺山門前」下車すぐ。

 

石山寺ホームページ

 

 

拝観料

入山料600円(ほかに本堂内陣拝観料必要)

 

 

お寺および本尊のいわれ

その名が示すとおり、石山寺は大岩の上に築かれたお寺である。

豪快に褶曲する変成岩は天然記念物にもなっているが、これがおそらく石山の名の起こりで、岩そのものが古くからの信仰の対象でもあったのだろう。

鎌倉時代成立の「石山寺縁起絵巻」によれば、奈良時代に良弁が夢告によってこの地に観音像を安置し祈ったところ、どういうわけか像がそこから動かなくなったことから、ここに寺院を開いたのがそのはじまりであるとする。

奈良時代後期の761年から762年にかけて、塑像の丈六観音像が造立された。最初期に安置された観音像は、その像内に納められたという。

なお、この塑像の本尊は当初は「観音」であったが、平安後期より石山寺の観音は「如意輪観音」であるとされるようになった。

 

塑像の本尊は古代または中世に失われ、現在の本尊・如意輪観音像は木造の再興像である。当初の本尊像にならい、岩上に座す巨像で、本堂内の厨子中に秘される。次回開扉予定は2016年という。

 

 

胎内仏の発見

平安後期の1078年、石山寺本堂は火災で炎上。この時本尊は焼けたという記録と焼け残ったという記録の両方が存在する。

「石山寺縁起絵巻」には、この火災の際、小さな観音像が自ら火から飛び出て、柳の木の上に立つ奇瑞が描かれている。

その描かれ方から、この観音像は、良弁によって安置され、のち本尊内に納められたとされる小金銅仏のことと思われる。丈六本尊が火災でどうなったかは述べられてはいない。本尊は焼け落ちたが、胎内仏だけは助け出され、それが説話として自ら飛び出たという話になったのだろうか。

現在の秘仏本尊は、様式から平安後・末期の仏像と見られ、1078年の火災ののち本堂が再建された1096年の頃につくられたとみることができる。塑像はこの時の火災で焼け、かわって現在の木像がつくられたというのがひとつの見方である。

 

一方、江戸時代後期の座主・尊賢によってまとめられた記録によれば、1078年の火災で塑像本尊は焼け残り、鎌倉時代前期の1211年に至ってついに崩れてしまったので、1245年に別当・実位が旧本尊の胎内仏を籠めて本尊を再興したとする。これだと、現在の本尊が平安後・末期の様式であることとの矛盾が生じる。しかし、記録の内容がリアルで、作り事のようにも思えない。

 

2002年、石山寺の開基1250年を記念して本尊の開扉が行われた。

その際に調査が行われて、像内に小型の厨子が納入されているのが確認され、その中から金銅仏4躰が発見された。この厨子の表面、裏面には1245年、別当・実位による墨書があり、この厨子はまさに彼によって鎌倉時代に4躰の胎内仏を納めるためにつくられたものであること、旧本尊が1211年に崩れたために本尊を再興して胎内仏を納めたという江戸後期の記録と一致する内容であることが分かった。

これにより、次のように考える説が出されている。

1078年の火災で旧本尊は大きな損傷を受けたため、現在の木像が造られた。旧本尊はその安置場所はともかくとして、しばらくの間新本尊と併存していたが、鎌倉期についに崩壊したので、その胎内仏を新本尊に移した。

 

 

拝観の環境

2002年に発見された胎内仏は、本堂内陣内、ガラスケース中に安置されている。すぐ前からよく拝観できる。

 

 

仏像の印象

金銅仏4躰すべて立像で、像高は各20センチ〜30センチ。

もともとセットでなく、飛鳥時代から奈良時代にかけての像である。

それぞれいきさつがあって、本尊に納入されたのであろうが、今となってはその事情は知りようがない。

1躰は如来形で、3躰は菩薩形である。

 

如来形立像は像高25センチ余り。頭部から顔にかけてと肩から腕がかなり破損している。厨子の墨書の中に「1躰は火災にあった痕があり、往古の霊像か」と特筆されているのが本像のことと思われる。

損傷のためにわかりにくくはなっているが、本来目鼻立ちはくっきりしていて、前面に下がる衣の流れも明確である。

衣が厚く感じられ、胸元に斜めに下着を見せているところなど、全体に古様な印象である。飛鳥時代ないし大陸伝来の仏像の可能性もあると思われる。

 

あとの3躰の内の2躰には頭に如来像をいただいている痕跡があり、観音像と思われる。

うち1躰は三面頭飾に低いまげ、左右の肩に髪を垂らす。衣は薄く表現される。アクセサリー、天衣の流れ、裙が短く足首を出すところなど、素朴で可愛らしい像である。像高は約30センチと4躰で1番大きい。

 

逆に1番小さな像は、像高20センチあまりの菩薩立像である。三面頭飾、微笑みを浮かべる優しい顔だち、大きな顔、直立する細い体の像である。

 

最後の像は像高30センチ弱の観音菩薩立像である。三面頭飾の上にまげが山形にきれいに整えられ、左右に振り分けられる。顔は丸く、豊かな胸、引き締まる胴、わずかにひねる腰など、前の3像とは体つきのとらえ方が明らかに異なり、奈良時代に入ってからの像である。

 

なお、発見された当時の写真を見ると、像はここで紹介した順(すなわち古い順と思われる並び方)に右からぴったりと行儀よく並んで厨子に納まっていた。その上部には小さな舍利容器が取り付けられていた。

 

 

その他の本堂内安置諸像

本堂の内陣にはたくさんの仏像が安置され、拝観できる。

まず正面には、秘仏本尊の前立ちの二臂の如意輪観音像が安置される。端正な近世像である。

その向って左手、護摩壇の奥に平安時代前期から中期ごろの一木造の不動明王坐像が安置されている。迫力のある像だが、像の安置場所はやや暗く、また像までは距離があり、見えにくいのが残念である。

 

本尊厨子に向って右手に胎内仏4躰が安置され、その後方には蔵王権現懸仏の残欠、本尊脇侍像の心木、毘沙門天像と二天像が安置されている。また、室町時代ごろの作と考えられている三十三応現神像もずらりと並んでいる。

 

本尊脇侍の心木、すなわち奈良時代造立の本尊の右脇侍像(塑像)の心木は、当初像が壊れた後、再利用されていたもの、近年の修理で取り出された。奈良時代の塑像の心木が安置されているというのは、珍しいことだ。像高は右手右足を上げる蔵王権現の姿であるが、これは途中で改変された姿である。

 

毘沙門天像は本堂北東隅に安置される。像高は2メートル半以上ある巨像で、もと瀬田の毘沙門堂に安置されていたという。やや大味な感じ。寄木造で、平安後・末期の像。その脇の二天像は平安時代後期らしい大人しい天部像である。寄木造で、像高は各160センチ前後。

 

 

さらに知りたい時は…

「石山寺蔵 金銅仏」(『国華』1407)、岩田茂樹、2013年1月

『石山寺と湖南の仏像 』(展覧会図録)、大津市歴史博物館、2008年

『石山寺の信仰と歴史』、綾村宏編、思文閣出版、2008年

『観音のみてら石山寺』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2002年

『石山寺本尊如意輪観音像内納入品』、奈良国立博物館、2002年

「石山寺本尊観音菩薩像」(『日本古彫刻史論』)、猪川和子、講談社、1975年

 

 

仏像探訪記/滋賀県