中禅寺の立木観音

  5メートルをこえる千手観音の巨像

住所

日光市中禅寺歌ケ浜2578

 

 

訪問日 

2007年3月26日、 2010年8月9日 

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

輪王寺ホームページ・中禅寺「立木観音」ご案内

 

 

 

拝観までの道

中禅寺は、JRまたは東武の日光駅から東武バス湯元温泉行き(または中禅寺温泉行き)で約50分、「立木観音入口」かそのひとつ前の「中禅寺温泉」で下車し、徒歩15分ほどのところにある。

バスが行く方向とは別の、中禅寺湖の東側を南に向かう道が中禅寺への参道となっており、湖畔の一本道なので分かりやすい(「中禅寺温泉」から中禅寺湖畔めぐり線というバスもある。「立木観音前」下車)。

 

東武バス

 

山門で拝観料を払い、進むとやがて本堂の前に出る。案内に従って中に入ると、四天王像に囲まれて立つ千手観音像が眼に入る。

 

 

拝観料

500円

 

 

お寺や仏像のいわれ

中禅寺は、寺伝によると奈良時代末期の784年に僧勝道によって開かれ、本尊の千手観音像はそのときに勝道によって立木から刻まれたという。

藤原敦光の「中禅寺私記」(1141年)に、高い嶽の半腹に中禅寺はあり、丈六の千手観音が安置されていると記されているが、これが現在の本尊であるのかもしれない。

中禅寺が現在の場所に移ってきたのは1902年に起きた男体山の山崩れのあとで、それ以前は湖の北側の二荒山(ふたらさん)神社中宮祠社殿の西側にあったそうだ。

なお、当寺は輪王寺に属している。

 

 

拝観の環境

堂内は明るく、拝観しやすい環境である。

 

 

仏像の印象

立木観音といわれている千手観音像だが、カツラの一木を根幹として、ヒノキとカツラを複雑に寄せて造られ、内ぐりも深くとられている。

像高は5メートルを越える巨像で、顔や細部を省略している衣文などは素朴であり、近づいて見ると胸などノミの痕が見える。そうした特色から、立木を刻んだという伝承が生じたのであろう。あるいは、最初の本尊は本当に立木を刻んだ仏であり、傷む等して現在の本尊が新造された際、立木観音の特色と伝承を引き継いだということも考えられる。膝下はよく見えないが、床下から直接立つ立木仏の姿をとっている。彩色がなされているがこれは後補で、もとは白木であった可能性もある。

少し離れて見ると、顔の表情は穏やかで、魅力的に思える。こうした穏やかさは、この仏像が平安時代後期の特徴を示していると考えられる。

持物は後補、また脇手や下半身にも後補部分がある。

 

四天王像は、寺伝によれば頼朝寄進という。等身大を越える大きなもので、カツラの一木造。素朴さと穏やかさが見られ、やはり平安時代後期の作と思われる。

 

 

その他

中禅寺を開いたという僧勝道は、奈良時代中期から平安時代初期に生きた実在の人物である。

勝道の事績は空海によって『二荒山碑文』としてまとめられ、神護寺に伝来している(ただし平安時代中期の写本)。それによると、勝道は下野(栃木県)出身で、山林の静寂を求めて二荒山(男体山)に入ることを決意した。しかし、この山はあまりに険峻で今までだれも登頂したものはなく、勝道も2度失敗したのち、3度めについに成功。それは奈良時代末の782年のことであったという。その後、784年には湖の中州に神宮寺を建て4年間修行したのち、さらに奥地に入って修行を続けたという。

実際、男体山上の遺跡からは、奈良時代にまでさかのぼると思われる法具が出土している。

 

 

さらに知りたい時は…

『日光 その歴史と宗教』、菅原信海・田邉三郎助 編、春秋社、2011年

「木造千手観音菩薩立像」(『国華』1367)、浅井和春、2009年9月

『山岳信仰の美術 日光』(『日本の美術』467)、関根俊一、2005年

『仏像を旅する、東北線』、至文堂、1990年

『輪王寺』(『古寺巡礼 東国2』)、山本健吉・菅原信海、淡交社、1981年

『栃木県史 通史編2 古代2』、1980年

 

 

仏像探訪記/栃木県