高幡不動の不動三尊像

  東国武士による造像か

住所

日野市高幡733

 

 

訪問日

2007年9月24日、 2010年1月10日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

高幡不動尊金剛寺ホームページ

 

 

 

拝観までの道

京王線の高幡不動駅から短い参道を行くと、間もなく山門前に出る。

平安時代後期の木造不動三尊像は不動堂の後ろの奥殿という建物に安置されている。

月曜日は休館(祝日や正月、紅葉祭りの時期などは月曜日でも開館する場合がある一方、年末など月曜日以外でも休館することがある。問い合わせて出かけることをお勧めする)。

 

 

拝観料

300円

 

 

お寺や仏像のいわれ

高幡不動は正式には高幡山明王院金剛寺という。

草創の事情は分からない。この不動三尊像のほか、平安時代のものと推定される金剛界大日如来像が伝来していることから、古代にさかのぼる寺院であるのは確かと思われる。

 

不動三尊像が安置されていた不動堂は、かつては現在の境内地の西側の丘陵斜面か山中にあったらしい。

その堂は南北朝時代の1335年に大風で倒壊、不動三尊像(特に中尊)も大破してしまった。新たに像を造ることも計画されたが、結局、新造計画は頓挫し、もとの像の大修理が行われた。平安時代までさかのぼりうる丈六不動像は全国でも数例しかなく、しかも三尊が揃っているのはこの高幡不動の像だけなのであるが、もしこの時新造されていれば、現在の像は伝来していなかったであろう。

 

江戸時代、高幡不動は成田山、大山とならぶ関東三不動のひとつとして信仰を集めたが、江戸後期(18世紀後半)の大火の後は寺運は停滞を余儀なくされた。

不動三尊像は江戸時代には出開帳されたりしたが、近代以後は大きな法要の際以外開帳されず、本格的に調査がなされたのは1980年代になってからであった。

1997年から2000年にかけて解体修理がされ、その後は新たに建てられた奥殿に安置されることになった(不動堂には新造された不動三尊像が安置されている)。

 

 

拝観の環境

建物の外からも拝観できるが、拝観料を払い堂内に入ると間近に見ることができる。特に中尊には照明がよく当てられ、とてもよく拝観できる。

 

 

仏像の印象など

中尊の丈六不動明王坐像は、高さ3メートル近い。脇侍の童子像も2メートル前後あり、とにかく迫力がある。表現としては、童子像の方が、独特のポーズ、泣き笑いしているように見える顔、太く長い腕など面白い。いかにも洗練されない、地方仏の魅力がある(何らかの事情があって、童子像の方が早く、中尊は鎌倉初期ごろの造像かとされる)。

 

材は、中尊はヒノキだが、膝部はカヤだという。童子は朴(ほお)とトチだそうで、彫刻に向く良材を得るのに苦労があったのであろう。勃興してきた関東武士が合力し、苦心の末に造像を果たしたのであろうか。当時(平安後期から末期)、この地に勢力を持っていたのは西党という武士集団であったらしい(大きな修理が行われた南北朝時代には勢力地図が変わっており、高麗氏などがこの寺院を外護していた)。

 

今回の解体修理によって、改めて南北朝期の修理がいかに大がかりなものであったかが確認された。現在の修理はできるだけ途中の時代に付け加えられたものは取り去るのが原則であるが、今回については南北朝期の修理も尊重しながらの修復となったそうである。

 

 

不動像の納入文書について

20世紀前半、不動像の首から南北朝時代の修理の際納入された文書(69通)が取り出された(どのような事情、状況で取り出されたかは不明)。そのまま長く寺内に保管されてきたが、1980年代の仏像の調査と平行して調査されることになった。保存状態は悪く、また断片的なものも多いが、これらの文書から非常に興味深い事柄がわかった。例えば、南北朝期に像が大破した際新造計画があったことも、これら文書から明らかになった事柄である。

 

文書の大部分を占めているのは、この寺の復興にもかかわった武士である山内経之(やまのうち つねゆき)の手紙である。経之は北朝方に属し、おそらく常陸での南朝勢力との合戦で戦死してしまったようで、その供養のために彼の手紙が不動像内に納入されたということらしい。手紙からは、食料や乗り替え馬も不足する過酷な戦場の状況や、留守宅を心配してあれこれ指示を出している経之の心情など、中世の武士の姿が生々しく伝わってくる。

 

不動三尊像を安置する奥殿は宝物館を兼ねており、この納入文書のうち比較的状態のよいものを展示している。ほかに、解体修理によって取り除かれた南北朝期の修理の際の釘や、光背に納められていた仏舎利、神仏習合の資料、鎌倉時代中期の銘のある鰐口、また新撰組関係資料なども展示され、興味深い。

 

 

その他

奥殿のさらに後ろに建つ大日堂(総本堂)の本尊、金剛界大日如来像も平安時代の仏像である。

像高は80センチ余りの坐像。ケヤキの一木造だが、脚部はカヤ材という。

2007年から翌年にわたって修理が行われ、現在は奥殿に移されている。

もと後補の漆箔に覆われていたが、修理によって後補部分が除かれた結果、素地をあらわす。ガラスケース中に安置され、間近で拝観できる。

なお、両腕と宝冠は今回の修復による新補である。

 

 

さらに知りたい時には…

「金剛寺蔵 木造不動明王及び二童子像」(『国華』1401)、奥健夫、2012年7月

『関東の仏像』、副島弘道編、大正大学出版会、2012年

『仏像からのメッセージ』(展覧会図録)、神奈川県立金沢文庫、2011年

『高幡山金剛寺の歴史』、高幡不動尊金剛寺、2006年

『彫刻の保存と修理』(『日本の美術』452)、根立研介、至文堂、2004年

「東京・金剛寺(高幡不動)不動明王像の解体修理と新知見」(『月刊文化財』476)、川瀬由照、2003年5月

『高幡山金剛寺重要文化財木造不動明王及二童子像保存修理報告書』、高幡山金剛寺、2002年

『日野市史 通史編』2上、日野市史編さん委員会、1994年

『日野市史 史料集 高幡不動胎内文書編』、日野市史編さん委員会、1993年

 

 

仏像探訪記/東京都