東京国立博物館寄託の経塚出土仏

  鳥取、倭文神社の塚から発見された仏像

住所

台東区上野公園13-9

 

 

訪問日

2009年9月13日、 2015年10月31日

 

 

 

東京国立博物館までの道

東京国立博物館は、JR上野駅公園口から徒歩約10分。

門を入って正面が本館、その向って左奥に平成館がある。平成館1階の考古展示室の後半、経塚をテーマとするコーナーがある。2015年10月に考古室はリニューアル・オープンし、経塚出土品の展示は以前よりいっそう充実したものとなった。

このコーナーの先頭に倭文神社の経塚出土品が展示されている(ただし展示替えもあるので、ホームページにて確認の上、お出かけになることをお勧めする)。

 

休館日は原則月曜日と年末年始。

東京国立博物館ホームページ

 

 

入館料

総合文化展(平常展)620円

 

 

伯耆一宮経塚出土品について

倭文神社は倭文氏がその祖である機織りの神、タケハツチをまつった神社である。八幡社、春日社などの有名神社ではないものの全国に分布し、「しとり」「しどり」「しづり」などと読まれる。中でも鳥取県湯梨浜町の倭文(しとり)神社は、10世紀前半に成立した『延喜式』に記載があり、伯耆国の一宮であった。

 

湯梨原町ホームページ・倭文神社

 

倭文神社は、社伝によれば出雲から海でやってきたシタテルヒメ(『古事記』によるとオオクニヌシの子という)をまつったことにはじまるといい、境内にはシタテルヒメの墓と伝えられる塚があった(神社の東南のゆるやかな尾根の上、直径約10メートルの塚)。そこを1915年に発掘したところ、経塚であることがわかった(倭文神社西北山上経塚)。その出土品は「伯耆一宮経塚出土品」として一括国宝指定され、長く東京国立博物館に寄託されている。

 

この経塚は、地表下1メートル半ほどのところにつくられた一辺1メートル余りの石室で、その中および周辺から経筒、仏像、銅鏡、玉、銅銭(宋銭)、短刀・檜扇・漆器の残欠が発見された。

残念ながら経筒の中におさめられた経典は長年の劣化のために失われていたが、銅製の経筒(高さ約42センチ)の外側には整った文字で銘文が書かれている。そこには、釈迦入滅の2052年後の康和5年(1103年)、僧京尊が一宮(いちのみや)の御前において法華経を供養し、弥勒出世に立ち会うことを願い、一切衆生が成仏すべきことが述べられている。

この文章からはさまざまなことが分かる。各国で神社の格付けが行われ、一宮、二宮などと呼ばれたが、その起源や経緯はよくわかっていない。伯耆国に関しても史料が乏しいが、この経筒の文章から倭文神社が伯耆の一宮であったとわかる。また、当時釈迦入滅ののち正法千年、像法千年を経て末法の世に至るという末法思想を背景として、はるか未来に出現するという弥勒を待ち望んで功徳を積み、経塚を営むという当時の宗教意識が大変よくあらわれている。

 

 

仏像の印象

経筒とともに出土した仏像は、観音菩薩像と千手観音像、それに銅板に線刻された弥勒像である。

弥勒像は光背のような形の銅の板に蓮台とともに描かれている立像で、12センチほどの小さなものである。経筒の銘の見事な線質に比べると、浅くやや頼りない感じは否めないが、裏面に「弥勒如来」と線彫りされていて、経塚への納入品としてまことにふさわしいものである。

 

千手観音立像は像高15センチほどの小金銅仏である。ほぼ直立し、落ち着いた顔つきとすらりと長い足を持つ。脇手はすべて失われているが、木彫の千手観音像と同様の付け方をしていたらしい。経塚が営まれたのと近い時代の作と思われる。平安後期時代には金銅仏の作例が少ないので、数少ない金銅造、しかも年代の推定が可能な仏像として貴重である。

 

観音菩薩立像も小金銅仏で、蓮台と合わせて一鋳でつくられているが、右手だけは別につくってはめ込まれていた(亡失)。蓮台まで入れた総高は21センチ余、台座を除いた像高は17センチ余である。顔は大きく、前と左右に分かれた三面頭飾をつける。ただし正面の頭飾は根元で折れてしまっているが、蓮台の形がかろうじて見えるので、ここには如来像が刻まれていたと考え、この像は観音であると考えられる。

頭頂のまげは3つの山になって結われている。目鼻立ちは残念ながら摩滅が進んでいるが、かえって慈悲の相あつい顔つきと思える。上半身はやや後に反るが、全体的にはほぼ直立し、下半身は細い。胸や腹は抑揚に乏しく、胸元のW字型の飾りが目立つ。この胸飾りや天冠台、天衣のふちはタガネで細かく線を刻む。経塚が営まれるよりもずっと前、7〜8世紀の素朴な金銅仏で、何らかの縁によって塚に納められたのであろう。

これほど傷んでいる像でありながら、驚くべきことに、下半身や台座の一部に鍍金が残り、今も金の輝きを放っている。

 

 

その他

この経塚のある倭文神社は、鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内にあり、最寄り駅は山陰線の松崎。東郷池(東郷湖)という周囲12キロメートルほどの汽水湖の東側丘陵上にある。

日本史の教科書で、鎌倉時代の下地中分の例として必ずといっていいほど登場する「伯耆国河村郡東郷荘下地中分絵図」の中に、この神社の社殿および社領が図示されている。

 

 

さらに知りたい時は…

『藤原道長』(展覧会図録)、京都国立博物館、2007年

「伯耆一宮経塚出土の金銅菩薩立像」(『MUSEUM』No.551)、淺湫毅、1997年12月

『週刊朝日百科 日本の国宝』No.30、朝日新聞社、1997年9月

『経塚とその遺物』(『日本の美術』No.292)、関秀夫、至文堂、1990年9月

「伯耆一宮経塚と倭文神社の文化財」(『仏像を旅する 山陰線』)、至文堂、1989年

『金銅仏』(『日本の美術』251)、鷲塚泰光、至文堂、1987年4月

『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇8』、中央公論美術出版、1971年

「伯耆一宮の遺宝」(『仏教芸術』No.60)、蔵田蔵、1966年4月

 

 

仏像探訪記/東京都