安楽寺(奥田)の阿弥陀三尊像

正月、彼岸などに開扉

住所
稲沢市奥田町5584


訪問日 
2017年1月1日


この仏像の姿は(外部リンク)
稲沢市・文化財



拝観までの道
稲沢市内には阿弥陀仏の古像を伝え安楽寺が2か寺ある。地名をとって奥田の安楽寺、船橋の安楽寺と区別して呼ぶことがある。
ここで紹介するのは、奥田の安楽寺である。

名鉄線の大里駅から西北西に徒歩約10分。福田川という小さな川を越えて、白山神社を過ぎたところにある。


阿弥陀三尊像は収蔵庫に安置され、1年に10日ほど開扉される。
12月31日から1月3日、1月7日、3月彼岸中日、4月17日、8月21日、9月彼岸中日、および10月7日だそうだ。


拝観料
拝観料等の設定は特になかった。


お寺や仏像のいわれなど
真言宗寺院。
行基草創と伝え、鎌倉時代後期に勝円という僧が中興したという。もと東側の中学校のあたりにあったというが、江戸時代後期に現在地に移転してきたそうだ。
こちらの阿弥陀三尊像は三尊すべてが座る姿である。中尊は坐像、両脇侍は立像という三尊像が多いので、珍しい。


拝観の環境
収蔵庫は山門を入り、左手にある。
入口にガラスの格子戸がはまり、それを通しての拝観。斜めの角度となる両脇侍像は見えやすかったが、拝観にうかがったのが天気のよい昼頃だったこともあってか、中尊はガラスの映り込みで、よく見るのは難しかった。


仏像の印象
中尊は像高約170センチ、脇侍像は約110センチ。寄木造。
中尊はこんもりと盛り上がった肉髻、安定感のある座った姿をしている。顔つきは優美というよりは若々しい力がみなぎり、衣には狭い間隔でたくさんのひだを刻んでいる。
脇侍像もまた意志の強さのようなものを感じさせる顔つき。向かって右の像(左脇侍像)の方が若干だが目が中央に寄り、眉の立ち上がりがきついので、より強い印象を感じさせる。


七寺の阿弥陀三尊像との関係
安楽寺から新幹線の線路をはさんで南側に、七ツ寺町という地名がある。名古屋市中区にある七寺がもとあった場所であるらしい。そして、七寺の本尊も安楽寺と同じく三尊とも坐像の阿弥陀三尊像であった。あったと過去形で書くのは、名古屋空襲のために中尊が焼失してしまい、今は脇侍の2像だけとなってしまっているからである。
残された写真によると、七寺の中尊は定印を結び、脇侍は左右相称になるように腕を構える。この手の形は安楽寺と同じである。ただし大きさは七寺の三尊像の方が若干大きい。


この2組の三尊像とまったく同じという姿の像はほとんどなく、奈良の頭塔の石仏(奈良時代)に同様の例がある。このことから、七寺と安楽寺の三尊像は奈良の仏教美術に影響を受けてつくられた可能性がある。
七寺の本尊は、この地方の豪族であった大中臣氏によって寺院が建てられたとされる1167年ごろの作と考えられており、安楽寺の三尊はそれより若干遅れて、七寺本尊の影響を受けてつくられたのではないかと推測されている。


その他
七ツ寺町のすぐ東側に無量光院というお寺がある。

本尊は鎌倉時代初期の阿弥陀三尊像で、脇侍像も坐像、手の形もいっしょである(ただし中尊は定印でなく来迎印)。この像も七寺本尊の影響下で成立した可能性が高い。


さらに知りたい時は…
『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年
「稲沢の思いで・雑感」(『愛知県史のしおり 別編、文化財3、彫刻』)、紺野敏文、2013年
『仏像好風』、紺野敏文、名著出版、2004年

『解説版 新指定重要文化財3、彫刻』、毎日新聞社、1981年
『新修稲沢市史 研究編2 美術工芸』、稲沢市史編纂会事務局、1979年


仏像探訪記/愛知県