七寺と栄国寺の諸像

  名古屋空襲をこえて伝わる仏さま

住所

名古屋市中区大須2-28-5

 

 

訪問日 

2010年9月12日

 

 

 

拝観までの道

七寺(ななつでら)は、名古屋市営地下鉄鶴舞線の大須観音駅下車、南東に徒歩5分。

事前に電話で予約を入れてからうかがうのがよい。

 

大須今昔・七寺さん

 

 

拝観料

500円

 

 

お寺のいわれ

七寺はもと長福寺といい、はじめ行基が尾張国萱津というところに創建し、平安時代前期に紀是広によって七堂伽藍が整備されたという。その後荒廃していたのを、平安後期に大中臣安長によって稲沢に移されて、七堂伽藍が再建された(なお、七寺という寺名だが、「七堂伽藍」の七をとった俗称が正式名称になったのではないかといわれる)。

桃山時代に清洲へ、さらに江戸初期に現在の場所に移された。

 

この地は宝生院(大須観音)や本願寺名古屋別院をはじめとする寺院が甍をならべる寺町であり、本寺も今でこそ戦災と戦後の混乱によって小さな寺域となってしまったが、かつては大きな寺院であったそうだ。

本堂は近世に清洲に移った時の建物だったようで、残されている写真を見ると内外陣を格子で仕切った荘重な雰囲気であり、内陣の低い須弥壇上に丈六の阿弥陀像、脇侍像、二天像が立ち並び、壮観であった。

1945年の名古屋空襲で火にかかり、勢至菩薩像とその光背、観音菩薩像をやっとのことで運び出したが、他は焼失した。この時、境内の露座の大日如来像(青銅製)も真っ赤に焼けたそうだが、痛々しくもなんとか原形を保ちつつ、現在もお座りになっている。戦争の証言者というべきか。また、6つの唐櫃に納められていた一切経は疎開していて、難を免れた。その中には他では伝わらない大変珍しいお経が含まれているということだ。

 

 

拝観の環境

戦後に再建された本堂の奥、中央に観音、勢至像が並んで安置される。やや暗いが、ご住職がライトで照らしながらご説明くださった。

また、堂内には一切経の一部も陳列されていて見ることができる。

 

 

仏像の印象

観菩菩薩像、勢至菩薩像は、像高それぞれ140センチ弱の坐像。寄木造、玉眼。

本寺が平安後期に稲沢で再建された時の像と思われる。

定朝様式を受け継いだゆったりとした優美な像だが、鎌倉時代前期の仏像に通じる引き締まった顔つきをしている。組んだ足の裏の肉付きも豊である。

脚部をくるむ衣のひだ、組んだ足元より膝前に流れるような衣の表現は極めて美しい。

両像は手の位置が異なるほかは、ほぼ同じ姿である。しかしよく見ると、頭髪の線の細かさ、条帛の端の処理、腹部の肉付きに若干の違いがある。観音像の方がやや引き締まっている姿のようである。

勢至菩薩像の光背は造立当初のもので、たいへん美しい。

 

ところで一般には観音像は化仏を、勢至像は水瓶を冠につけるが、この七寺像では化仏、水瓶はそれぞれその光背の上部につけられている(観音菩薩像の光背は失われているが、写真が残っていて、光背に化仏がつけられていたことがわかる)。

また、観音と勢至は阿弥陀仏の脇侍として安置される場合、向って右に観音、左に勢至像が置かれるのが一般的である。しかしこのお寺ではその配置が逆になっている(戦前の写真でもそうなっている)のは珍しい。

 

栄国寺阿弥陀如来像
栄国寺阿弥陀如来像

栄国寺の阿弥陀如来像について

七寺から南へ数百メートルのところに栄国寺というお寺があり、切支丹遺蹟博物館が付設されている。

このあたりはかつて刑場であり、江戸前期、刑死者の菩提を弔うために尾張藩の第2代藩主、徳川光友が清涼庵を開いたが、これが発展して栄国寺となったと伝える。

刑死者の中にはキリシタンもいて、その供養の塚がこの寺の境内に残るが、そうした縁から、1969年に踏み絵などキリシタン関係の遺物が寄贈されたそうだ。

入館料は100円で、本堂内も拝観できる。

 

栄国寺の本堂本尊は阿弥陀如来像。像高約180センチの坐像で、寄木造、玉眼。大きな肉髻、高い上半身で、流れるような衣が美しい定朝様式の仏像である。

このお寺が2代藩主によってつくられた際に他寺から移されてきた像という。「火伏不思議の弥陀」として火災を防ぐこと霊験あらたかといわれ、名古屋大空襲の際にもこの寺院の周辺は焼け残ったのだそうだ。

本像は頭、手、脚部、裳先が着脱可能となっている。これほどの大きさの仏像を運ぶのは大変なことなので、こうした工夫がなされたのであろう。

 

 

さらに知りたい時は…

『戦災等による焼失文化財 昭和・平成の文化財過去帳』、文化庁編、戎光祥出版、2017年

『日本美術全集』4、小学館、2014年

『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年

「稲沢の思い出・雑感」(『愛知県史のしおり』別編 文化財3 彫刻)、紺野敏文、2013年

「新義真言宗系造像の二、三の作例」(『愛知県史研究』5)、伊東史朗、2001年

『新版 名古屋の文化財』上、名古屋市教育委員会、1996年

『名古屋の史跡と文化財』、名古屋市教育委員会、1990年

『戦災等による焼失文化財 美術工芸篇(増訂版)』、文化庁編、1983年

『戦災等による焼失文化財 建造物篇(増訂版)』、文化庁編、1983年

『新修稲沢市史 研究編2 美術工芸』、稲沢市史編纂会事務局、1979年

「観音菩薩像 勢至菩薩像」(『国華』1019)、田中義恭、1979年1月

 

 

→ 仏像探訪記/愛知県