古保利薬師

  量感あふれる薬師仏と破損仏群

住所

北広島町古保利224

 

 

訪問日

2007年4月15日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

薬師如来像脇侍像   十一面観音立像

 

 

 

拝観までの道

古保利(こおり)薬師に行くためには、広島バスセンター(9番ホーム)から三次・庄原方面行きの高速バスに乗り、約45分、「千代田BS(バスストップ)」で下車する。 

 

バス時刻表

 

このバス停は中国自動車道千代田インターの北の端に設けられていて、そこから北西の方向、徒歩で20分くらいのところにめざす堂はある。大きな駐車場のあるスーパー万惣を目印に、その横手から岡の方を見ると、薬師堂への登り口を示す赤い幟が立っている。そこまでの案内表示などはないが、比較的分かりやすい。

見学は千代田歴史民俗資料館と共通で、月曜日など休館日がある。

 

 

拝観料

300円

 

 

お堂や仏像のいわれなど

古保利は「郡(こおり)」からきた地名らしい。古保利薬師の裏の山からは50基を越える古墳が見つかっており、古代より勢力をもつ者がいたことがわかっている。この地は山陰と山陽を結ぶ交通の拠点であり、郡の中心地であったのだろう。古代には凡(おおし)氏という豪族が勢威をはり、この薬師堂の前身となった寺院を建立したものと思われる。

その後鎌倉時代以後桃山時代までこの地を治めた吉川(きっかわ)氏の保護により、この寺院(福光寺という名前であったことがわかっている)は大いに栄えたが、江戸時代になって吉川氏が岩国へ転封になって以後衰微し、ついには無住の堂が残るのみとなった。薬師堂の諸像の多くは破損が進んでいるが、そのような歴史の流れの中でかろうじて残った仏像を集めたものと考えられる。

現在は仁王門の後ろに立派な収蔵庫が建てられ、北広島町が管理している。

 

 

拝観の環境

収蔵庫の中で間近に拝観できる。

 

 

仏像の印象

古保利薬師の収蔵庫は、厨子に入った薬師如来像を中心に、脇侍の菩薩像2体、3体の十一面観音像、吉祥天像、千手観音像、四天王像4体、そして小ぶりな十二神将像がずらりと並んでいて、壮観である。十二神将以外は平安前期の彫像で、材はカヤもしくはヒノキ。薬師像は背からのくりがあるが、他は内ぐりはないという。

 

薬師如来坐像は像高120センチほどで、丸々とした顔、切れ長の目、思いきり横幅をとった胸部など、平安前期彫刻の魅力に富んでいる。両手は後補、また螺髪は失われている。脇侍の伝日光・月光菩薩立像は像高140センチ前後で、中尊に対しやや小ぶりな像である。手首や腕を失っている。中尊同様肉付きがよく、また伝日光菩薩像には膝の間に渦紋が見られる等、平安前期彫刻の特色が見て取れるが、中尊に比べて作風はおとなしく、当初からの三尊像ではない可能性もある。

 

3体の十一面観音立像は、像高約150〜190センチと背丈もまちまちで、髪の整え方、天衣の形、衣文も作り方等それぞれに特色があり、興味深い。手、足先、頭上面はいずれも亡失している。

千手観音立像は高さ約180センチで、優しい笑みを浮かべた像である。この像の面白いところは、左右の脇手の付け根まで一木より彫り出しているところである。仏像を刻むための特別の木材が選ばれ、できうる限りその材から像を彫り出したいと考えたのであろうか。腕の先や足先は失われている。

 

このほか、素朴でかわいらしい感じの吉祥天立像や動きがあってどことなくユーモラスな四天王像も魅力的である。

十二神将像は12体揃っているものの、何組かのものが混ざっているようである。像高は80から90センチ余で、時代は平安末以後と思われる。味わいのある造型で、見飽きない。

 

 

その他

「千代田BS」方面行きバスは広島駅からも出ているが、本数は少ない。広島バスセンターは広島駅からは離れているので注意。

 

 

さらに知りたい時は…

『仏像』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2006年

『古保利の仏像』(広島修道大学学術選書23)、松本眞、アートダイジェスト、2004年

『里の仏』、藤森武、東京美術、1997年

『解説版 新指定重要文化財3 彫刻』、毎日新聞社、1981年

『仏像の旅』、久野健、芸艸堂、1975年

 

 

仏像探訪記/広島県