中尊寺讃衡蔵の文殊五尊像

  経蔵旧本尊

住所

平泉町平泉衣関202

 

 

訪問日 

2013年8月30日

 

 

 

拝観までの道

中尊寺金色堂の項をご覧下さい。

 

関山中尊寺ホームページ

 

 

拝観料

金色堂と讃衡蔵(さんこうぞう)共通で、一般800円。

 

 

お寺や仏像のいわれなど

金色堂があまりにも有名すぎて、その陰になってあまり知られていないかもしれないのだが、奥州藤原氏は経典の書写にもひとかたならぬ情熱を傾けた。

初代清衡(きよひら)は紺紙に一行おきに金字と銀字で書写した美しい一切経を完成させ(現在はそのほとんどが高野山金剛峰寺の所蔵になっている)、3代秀衡(ひでひら)は紺紙に金字の一切経をつくらせた。さらに、請来された宋版の一切経もあった。

かつて中尊寺には経蔵が複数あり、それぞれの一切経に専属の経蔵があって、そこに納められていたらしいが、14世紀には金色堂の西側に建つ経蔵に集められ、保管された。

この経蔵は、中尊寺の中で金色堂に次ぐ古堂で、14世紀初頭(鎌倉時代後期)に古材を利用しながら再建されたものと考えられている。そしてその本尊として伝来したのが、今は讃衡蔵に安置されている文殊五尊像である。

 

おそらくこの文殊五尊像は、本来はいずれかの一切経をおさめた経蔵の本尊として造立されたものであったのだろう。

藤原3代にかかわる一切経のうち、最も古い清衡所願のお経の完成は12世紀前半。この五尊像は平安時代後期の作だが、12世紀前半までさかのぼれるかといえば、それは難しそうである。また、古記録にも清衡の経蔵に安置された像として「文殊師利尊像一體」とあり、五尊像ではなかったようだ。

本像の造立年代として説得力のある説としては、将来された宋版の一切経を納めるための経蔵の本尊として1170年~80年代につくられたのではないかとするものがある。

 

 

拝観の環境

文殊五尊像は讃衡蔵のガラスケース中、国宝の螺鈿八角須弥壇上に安置され、よく拝観できる。

 

 

仏像の印象

像高は、獅子の背の蓮華座上に座る文殊菩薩像が像高約65センチ、4眷属像のうち、一番小さな善財童子像が約60センチ、他の3像は約70~75センチの立像である。ヒノキと思われる材を用いた割矧(わりは)ぎ造の像である。

 

文殊菩薩像は金色、他は衣は金で肉身部分には彩色を施す。ただし表面は後世に厚く塗られたもので、そのためにやや鈍い雰囲気であるのは否めない。

文殊五尊像といえば、まっさきに思い浮かべるのが快慶作の奈良県桜井市の文殊院の像であろう。まったくスケールが異なるので比べること自体が無謀ともいえるが、文殊院像に引き比べるならば、中尊寺の像は大人しく、物足りなさが感じられる。

 

しかし後世の厚塗りによるであろう鈍い印象を差し引き、また他像との比較をやめて虚心坦懐に見直すと、文殊菩薩像はなかなか落ち着いた、大変上品な姿をしている。

目は細く、切れ長。鼻筋は通る。額は狭く、あごはしっかりつくって、まげは低く結う。ややなで肩で、頭と体のバランスがよくとれている。左足を前に外し、右足は踏み下げる。

手には如意という細い棒状の道具をもっている。後補であるが、手の形からして、もともと如意をもっている姿であったと思われる。如意は説法時の持物であるので、文殊の浄土にて説法をしている姿ということになる。 

左足をくるむ衣は浅くリズミカルにひだを刻む。上半身はにぎやかに衣を重ね着して、煩雑に感じられるが、これはがい襠衣(とうい)という本来女性の服を着て、さらにそこに条帛をつけている。がい襠衣を着る文殊像は以後流行するが、さらに条帛もつけている像というのは珍しい。

 

ところでこの頃の中国、すなわち唐末から宋にかけての時期には、がい襠衣を着て、如意を持ち、片足を踏み下げて獅子に乗る文殊菩薩像が多くつくられた。しかし、これらすべての要素を満たして日本でつくられた彫刻の文殊像はといえばその違例は少なく、本像のほかには高野山の遍明院の像(鎌倉時代、龕におさめられた美しい小像)があるばかりである。従って本像は、中国での流行の姿をそのままにつくられた大変貴重な作例といえる。

また、本像は玉眼であり(後補ではあるが、あとからの改造ではなく、もともと玉眼の像と思われる)、初期の玉眼の作例としても重要である。

 

眷属像は、前列に箱を捧げ持つ善財童子像、獅子の手綱を持つ于闐(うてん)王像、後列に仏陀波利(ぶつだはり)三蔵像と最勝老人像が中尊を囲むようにして立つ。

最勝老人は大聖老人ともいい、文殊菩薩の聖地とされる中国の五台山に住む仙人で、文殊菩薩の化身とされた。仏陀波利はバラモン僧で、7世紀にはるばる五台山を訪れて大聖老人に会い、また『仏頂尊勝陀羅尼経』という経典を五台山に伝えて文殊の浄土に入ったと伝える。

これらは仏像というよりはやや人形めいた印象もあるが、いかにも平安時代の優美な彫刻であると感じる。

 

 

その他

讃衡蔵は中尊寺の山内の文化財が集められている。平安時代から鎌倉時代にかけての仏像である3躰の丈六の如来坐像、清水式の千手観音立像、金剛界の大日如来坐像、懸仏などを拝観することができる。

そのほかに有名な仏像として一字金輪仏頂尊像があるが、秘仏。公開時期は定めず、特別な記念の年に開く。前回は2012年、平泉の世界遺産登録と東日本日本大震災復興祈年として行われた。

 

 

さらに知りたい時は…

「文殊五尊像」(『西大寺 美術史研究のあゆみ』、里文出版、2018年)、磯貝誠

『図説 平泉』、大矢邦宣、河出書房新社、2013年

『中尊寺』、中尊寺発行、2010年

『平泉 みちのくの浄土』(展覧会図録)、NHK仙台放送局ほか、2008年

「中尊寺彫像研究の現在」(『仏教芸術』277)、浅井和春、2004年11月

「中尊寺経蔵の文殊五尊像について」(『仏教芸術』277、奥健夫、2004年11月

『中尊寺を中心とする奥州藤原文化圏の宗教彫像に関する調査研究』、有賀祥隆ほか、2003年

『いわて未来への遺産 古代・中世を歩く』、岩手日報社出版部、2001年

『図説 みちのく古仏紀行』、大矢邦宣、河出書房新社、1999年

『月刊 文化財』382、文化庁文化財保護部、1995年7月

『中尊寺と毛越寺』(『日本の古寺美術』19)、須藤弘敏、岩佐光晴、保育社、1993年

『文殊菩薩像』(『日本の美術』314)、金子啓明、至文堂、1992年7月

「文殊五尊図像の成立と中尊寺経蔵文殊五尊像(序説))」(『東京国立博物館紀要』18)、金子啓明、1982年

 『中尊寺』(『古寺巡礼東国』1)、淡交社、1982年

 

 

仏像探訪記/岩手県