願興寺の諸像

  重要文化財指定の仏像24躰

住所

御嵩町御嵩1377-1

 

 

訪問日 

2008年4月12日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

願興寺ホームページ

 

 

 

拝観までの道

願興寺(がんこうじ)は名鉄広見線の終点御嵩(みたけ)駅の駅前にある。

仏像は本堂に向って左手の収蔵庫に安置されている。

拝観は事前連絡必要。

 

 

拝観料

500円

 

 

お寺のいわれ

別名を蟹(可児)薬師という。

寺伝によると、最澄によって開かれ、その後平安中期の一条天皇の皇女が尼となりこの寺で最澄自刻の薬師像を朝夕に礼拝していたところ、金色の薬師如来の小像が蟹の背に乗って出現したので、これを本尊の胎内に納めたのだという。

戦国時代に兵火にかかるが、桃山時代に復興し(現本堂はこの時のもの)、江戸時代には幕府によって厚く保護された。近代以後は後ろ盾を失い苦労が多かったようだが、貴重な文化遺産を守って今日に至っている。

なお、境内の発掘調査によって、寺伝による創建時期よりもさらに古い時代の瓦が発見されている。

 

 

拝観の環境

収蔵庫の中はいくつも蛍光灯がつけられて明るいのだが、直接光が眼に入ってやや見づらい。像にはかなり近づいて拝観することができる。

 

 

仏像の印象

願興寺には重要文化財指定の仏像が24躰もある。

その24躰とは、薬師三尊、釈迦三尊、阿弥陀如来坐像、阿弥陀如来立像、四天王像、十二神将像で、そのうち23躰が収蔵庫に安置され圧巻である。薬師三尊像、阿弥陀如来立像、十二神将像は平安時代の作、四天王像は平安から鎌倉時代、そして釈迦三尊像と阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の作である。

 

中央には真新しい厨子があり、薬師三尊の中尊・薬師如来像が秘仏として安置されている。左右に脇侍の日光・月光菩薩像、さらにその左右に十二神将像が並び、壇の4隅には四天王像が立つ。四天王像は各2メートル半以上ある巨像で、地方作らしい洗練されない造形に味わいがあるが、4躰の中にも作風の違いがあるようで、年代に幅がある可能性がある。

 

収蔵庫の左奥の阿弥陀如来坐像と右奥の釈迦三尊像は、鎌倉時代の作である。

阿弥陀如来坐像は像高80センチほどの像で、寄木造、玉眼で、保存状態はよい。穏やかな像だが、「上げ底式」の像底や髪の表し方など、慶派の特徴をもつ像である。

釈迦三尊像の中尊も像高80センチほどで、阿弥陀如来坐像と同じく寄木造、玉眼の像である。中尊は胸の前に手を構える説法印の像で、脇侍の文殊・普賢は獅子・象に乗る。この形の三尊像は珍しい。像内に銘文があり、鎌倉中期の1244年、大檀那は源康能、仏師僧覚俊の作と知れるが、覚俊については不詳である。源康能はこの地域の領主と思われ、ほかにもこの寺に残る大般若経書写の施主でもあったことが知られる。『吾妻鏡』などには名前が見えないため、有力御家人ではなかったのかもしれないが、この時代に願興寺の寺勢をもり立てた在地領主であったと思われる。像はややインパクトに欠けるが、鎌倉時代の在地領主による造像の作例として歴史的価値は高い。

 

24躰の重文指定の仏像のうち、1躰だけ本堂に安置されている像がある。それは十二神将像のうちの1躰である。

願興寺の十二神将は頭に十二支の標識をつけているが、本堂に安置されているのはその年のえとの像である(従って年が変わる時に仏像も入れ替えるとのこと)。もともとこれらの仏像はすべて本堂に安置されていたのだが、収蔵庫ができて移されることになったときに、本堂にその年の神将像を配置するということにしたらしい。

本堂の正面扉中を覗くと、神将像が本尊像の旧厨子の前に安置されているのが見える。1躰となってしまったが、けなげに本堂をお守りしているのだと思うと、いとおしい。

 

 

秘仏・薬師如来像について

願興寺本尊の薬師三尊像中尊は秘仏で、子年の春に開扉される(2008年は4月1日から13日までご開帳されていた。また、通例の開帳とは別に2015年の11月〜12月にかけて特別開帳が行われた)。

像高は約140センチ、半丈六のなかなかどっしりした坐像で、衣文線もくっきりとしている。素地仕上げ。平安時代後期の作と思われる。

 

 

さらに知りたい時は…

「願興寺蔵 木造釈迦如来 及び両脇侍像」(『国華』1438)、髙梨純次、2015年8月

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』6、中央公論美術出版、2008年

「美濃・願興寺の阿弥陀如来像及び釈迦三尊像について」(『仏教芸術』263)、塩澤寛樹、2002年7月

『仏像集成』2、久野健編、学生社、1992年

 

 

仏像探訪記/岐阜県