長谷寺本尊と宗宝蔵の仏像

  宗宝蔵は春、秋の時期に公開

住所

桜井市初瀬731-1

 

 

訪問日

2011年11月27日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

長谷寺ホームページ 縁起・国宝・寺宝

 

 

 

拝観までの道

長谷寺(大和長谷寺)は、桜井駅から近鉄大阪線で東へ2つ、長谷寺駅で下車。北へ徒歩約20分。

駅は初瀬川(大和川の上流)の南側にある。駅前はいたって地味だが、国道165号(初瀬街道)の交差点「初瀬」まで下り、初瀬川を渡るとにぎやかな参道に出るので北東に歩いて行くと、長谷寺の門前に着く。

この交差点「初瀬」の近くにバス停がある。桜井駅南口からの桜井市コミュニティバス(桜井初瀬線)のバス停「長谷寺参道口」で、このバス便は1〜2時間に一本ある。

 

桜井市コミュニティバス

 

山門を入ってすぐ右側に宗宝蔵がある。

春と秋に「特別寺宝展」として開館する。期間は長谷寺ホームページで要確認。なお、2011年秋の場合は10月22日(土)~12月11日(日)だった。

 

 

拝観料

入山料500円+宗宝蔵入館料100円

 

 

長谷寺の本堂と本尊について

長谷寺は、西から三輪山、巻向山、初瀬山とつづくなだらかな山地の東南側に位置する。その豊かな自然そのものが古来から信仰の対象だったのであろう。

 

山門を入り、登廊と呼ばれる屋根のついた階段を登って行くと、本堂の東側に出る。本堂はほぼ南面し、正堂と礼堂そして両者をつなぐ相の間からなる大規模なお堂で、山の斜面から張り出してつくられた懸け造の建造物。桃山期の再建。

 

長谷寺の本尊十一面観音像は、伝えによれば奈良時代前期、初瀬川に祟りをなす巨大な神木が流れ着き、徳道という僧がその木から観音像を彫り出してまつったことにはじまる。

霊験あらたかな観音として、藤原道長をはじめ貴族から庶民に至るまで、長谷寺に参籠を行ったと歴史は伝える。はじめ東大寺末、のち興福寺の支配下となり、16世紀以後は真言宗となった(豊山派本山)が、現在も観音信仰の寺として名高く、西国三十三所巡拝の第八番の札所となっている。

 

しかし、この寺は繰り返し大火に見舞われ、現在の本尊は何と7回目の再興像(創建時本尊から数えて8代め)である。

やや煩瑣ではあるが、長谷寺本尊の罹災と再興の歴史を述べると以下のようになる。

10世紀なかば、11世紀なかば、11世紀末と、平安時代だけで3回焼け、鎌倉初期の13世紀前半の火災後には快慶一門によって復興像がつくられたが、その像も鎌倉後期の13世紀後半に焼失。慶派の系統を引くと思われる運実らによって再興されるが、これも15世紀末に焼け、この時には当時の南都を代表する仏師、椿井春慶らが再興。そしてこの像も16世紀入って罹災してしまい、1538年に再興された像が現在の長谷寺本尊なのである。

本像は、東大寺の実清が差配し、運宗という仏師らによってつくられた。

像高は、約10メートル(髪際から計ると約8メートル、2丈6尺)ある。 あまりに大きいため上半身しか見えていないが、その大きさゆえの威圧感はあまり感じられず、安定感のあるすぐれた仏像で、この時代の仏像の代表作といえる。

十の頭上面をそなえ、左手に水瓶、右手に錫杖を持ち、光背に梵字を配する姿で、この姿の十一面観音像は「長谷寺式観音」として全国に分布している。

 

脇侍として難陀龍王像と赤精童子(雨宝童子)が随侍する。

ほぼ等身の高さだが、本尊があまりに巨大なため、小さく見える。赤精童子は本尊と同時の造立で、像内に本尊の作者である運実などの名前が見える。

しかし難陀龍王像は本尊より古く、頭部内に残された銘より、鎌倉末期の1316年に舜慶によってつくられたことが分かっている。ささげ持った水盤が波立ち、龍が出現して像の頭の上へと登って行くような、そんなダイナミックな造形であるが、本尊に比べて脇侍像はやや見えにくく、残念である。

また、本尊の脇の棚には二十八部衆が並ぶが、これは近世の作である。

 

 

宗宝蔵について

宗宝蔵は長谷寺に伝わる宝物を収蔵し、展示する宝物館である。

前述のように展示は各期ごと変えていくようだが、筆者が訪れた時には仏像は10躰ほどがガラスケース中に安置されていた。

なお、有名な国宝の銅板法華説相図は奈良国立博物館に寄託されているため、ここではレプリカが展示されている。

 

 

仏像の印象

宗宝蔵の仏像の中で、ひときわ長身の地蔵菩薩像と、逆に小さいながらも強い存在感を放つ金銅製の十一面観音像が目を引く。ここではその2躰について紹介させていただく。

 

地蔵菩薩蔵は像高180センチ、一木造。樹種はヒノキまたはカヤ。

やや面長で、眉目秀麗な顔立ちである。目、鼻はしっかりとつくって、存在感がある。

上半身は、左の肩から胸は袈裟、右側はその下の衣を見せるが、その左右がしっかりと打ち合わせられ、胸をあらわにしない。

腹のあたりは襞を強く刻むが、下半身では襞は浅く、様式化が見て取れる。

下げた右手は衣をつまんでいるような形をとっている。その姿は奈良、融念寺の地蔵菩薩像などの例があるが、珍しい。地蔵像の姿をとった神の像であるのかもしれない。

 

十一面観音像は像高70センチほどの立像。鎌倉後期ごろの作で、たいへん保存状態がいい像である。頭上面のひとつが後補であるほかは、持物や台座まで当初のものであり、鍍金もよく残る。

顔は大きめで、さらに強い顔立ちでもあり、印象に残る像である。目はややつり上がり、豊かに張った輪郭をして、やや斜め下を向いている。

手は長くなく、下肢の衣は自然な流れをしている。

中心部分は一鋳だが、頭上面や天衣の遊離部、腕など別につくって取り付けている。台座や光背はさらに細かくパーツに分けて別に鋳造して組み立てているとのことで、高い技術によってつくられた像である。

右手で錫杖を持つが、親指の形から、もともとは錫杖をもった長谷寺式観音ではなかったと思われる。光背も非常に美しい透かし彫りだが、長谷寺式観音のように梵字を配したりしてはいない(ただし光背はもともと一具ではない可能性もある)。

いずれにしても、鎌倉期金銅仏の優品であることは間違いない。

 

 

その他(普門院の不動明王像について)

山門の手前の普門院の不動堂には、平安前期の不動明王像が安置されている。

堂内拝観は受け付けていず、扉の外からの拝観で、お像まで距離があるが、照明を当ててくださっているので、なんとか見ることができる。

大神神社の神宮寺であった平等寺の旧仏で、大きな目、頭頂には大きく開いた蓮華をのせる個性的な像である。

 

 

さらに知りたい時は…

『奈良大和四寺のみほとけ』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2019年

『室町時代の彫刻』(『日本の美術』494)、根立研介、至文堂、2007年7月

『豊山長谷寺拾遺 第3輯 彫刻』、元興寺文化財研究所、2005年

『桜井の文化財』、桜井市埋蔵文化財センター、1996年

『飛鳥の仏像』、奈良国立文化財研究所飛鳥資料館、同朋舍出版、1983年

『解説版 新指定重要文化財3、彫刻』、毎日新聞社、1981年

『桜井市史』上、桜井市史編纂委員会、1979年

 

 

仏像探訪記/奈良県